アトリエ白美「渡辺肖像画工房」 渡辺晃吉
- 平成17年4月30日(土曜日)
【晴】《29日の続き》
宮内が泣き喚いている所が、長谷川の家の近くだったので、長谷川の母ちゃんが驚いて外に飛び出て来た。
「あれまあ、いったい何をしたんだい。駄目じゃないか、多勢で一人をいじめたんじゃあ。そういう事をする奴は卑怯者だよ」
「別にいじめてなんかいねえよ。一人で勝手に泣いてるんだよ」
長谷川が口をとがらせて言い訳すると、母ちゃんは「どこの世界に何もされないで大泣きする子がいるもんかね。いったい何をしたんだい。全く仕様がない子達だねえ」
長谷川の母ちゃんは宮内のそばに行って座り込むと、「ホラホラもう大丈夫だよ。いい加減に泣き止んで立ちな。オバさんが美味しい甘酒を温めてやるからね。さあおいで」
そう言って宮内を抱きかかえるようにして立たせると、「みんなもおいで。甘酒をごちそうするから、もういじめちゃ駄目だよ」と、私達を家の中に招き入れてくれた。
仕事場兼用の広い土間の奥にある上り框に腰をおろすと、前もって用意していたのか、甘酒が直ぐに出て来た。
長谷川の母ちゃんが作ってくれた甘酒の味は、今まで飲んだ甘酒の中で、一番旨かった。
もう夜の9時近くなっていたので、そろそろ帰ろうと、皆で長谷川の家を出ると、「近道して行くか」と小野寺が言った。
すぐ前の石段を下って行けば、逆さ川に出られたから、江泉などは、そこを通ると家は目と鼻の先だった。
「えー、この坂を行くのかよ。よせよ、ここは駄目だよ。みんなだって知ってるんべ。ここは出るんだよ。もう何人も見てるんだから」
江泉が震えながら反対すると、今度は益子が「何言ってるんだよ。こんな所は走って行けば直ぐに抜けられるじゃねえか。もしも出たって、あっという間に川の通りに出られるよ」と、江泉をなじったから、江泉はムキになって「冗談じゃねえよ。俺はヤダからな。もしも家までくっついて来られたら、それこそ大変じゃねえか」と、物凄く真剣に反発するのだった。
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- 平成17年4月29日(金曜日)
【晴】《28日の続き》
「女の幽霊とうとう出なかったな。出たら捕まえて家に連れて来るつもりだったけど、残念だったな」
宮内の奴が墓地から離れたのをいい事に、勝手なセリフを吐いてカラカラと笑った。
「でもよ宮内、さっきからおめえの背中にくっついてる女の人は、いったい誰なんだ」
江泉が不審そうに宮内に尋ねると、宮内の顔は夜目にも真っ白になって、目を大きく見開いたまま動かなくなってしまった。
勿論ウソに決まっているが、そんな時の調子の合わせ方は皆一流だったから、「宮内おめえ肩が重くねえのか。何で女の人なんかオンブしてるんだ?」とか、「こんばんは、お姉さんは宮内の親戚の人ですか?」とか、いかにも宮内のうしろに女の人がいるという芝居をして相手を騙すのだった。
宮内はもう半分死んだようになって、「ウーッ、ウーッ」と唸りながら目だけで助けを求めていた。
「アレッ、この人足がねえよ。ウワーッ顔もねえよ」という益子の叫び声に合わせて、皆一斉に「ヒエーッ」と悲鳴をあげながら宮内から走り去った。
宮内は「ギャー」と物凄い声で泣き喚きながら、私達のうしろから追いすがって来るのを、「ウワーッ来るな来るな」と、さも恐ろしそうに引き離すものだから、宮内は完全に泣き入ってしまい、地面にくの字になって固まってしまった。
口を大きく開いたままで、かなり長い間静止していたあと、今度は近くの家の人達がビックリして飛び出して来るほどの大きな泣き声をたてて、辺りをのた打ち回っていた。
江泉はそれが面白いと腹を抱えて笑い転げ、ハチは心配そうに宮内の顔をなめていた。
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- 平成17年4月28日(木曜日)
【晴】《27日の続き》
「ハチがいねえ、ハチがいねえよ。どうすんべ、ハチが捕まっちまった。助けてくれよ、みんな頼むよ」
益子は心配のあまり、今にも泣きそうな様子で訴えるのだが、ハチを探しに墓地に引き返す勇気のある奴は、誰一人いなかった。
「益子よ、仕方ねえじゃねえかよ。もしもだよ、俺達の代わりにハチが身代わりになってくれてよ、俺達が助かったとしたら、ハチが幽霊に捕まって食われたとしてもいいじゃねえかよ」と江泉。
「何がいいんだよ。ちっとも良かねえよ。何だよ、オメンとこのペスなんかキャンキャン鳴き喚くばかりで、何の役にも立たねえじゃねえかよ」
「んなことねえよ。だってペスはよお、多分幽霊が見えるんだよ。だからあいつはピイピイおっかながってるんだよ」
「ハチだってそうだぞ。さっきもハチは幽霊を見付けたんで、あんな風に身構えたんだからな。オメンチのペスみてえな腰抜けじゃねえぞ」
「腰抜けで悪かったな。捕まって食われるよりもマシじゃねえか」
「まだ捕まったって決まった訳じゃねえだろ。もしかして戦っている途中かもしれねえじゃねえか。何だよみんな、オレンちのハチを見殺しにする気かよ」
益子と江泉は、今にも取っ組み合いを始めそうな勢いで口ゲンカを続けていたが、その声を聞きつけたのか、闇の中からハチが飛び出して来た。
ペスはそれを見ると嬉しそうにハチに近付いて、無事に生還した喜びを分かち合っている。
「益子よ、よかったじゃねえか。ハチが幽霊に食われなくてよ」
小野寺がホッとした様子で益子に言った。
「あ〃、俺はハチが帰って来なかったら、どうすんべと思ったよ。今夜の事は家の人には内緒だからな」
益子は芯からホッとしたのか、晴々とした表情で言った。
私達は今夜の事は共通の秘密にして、誰にも話さないと誓い合って寺をあとにした。
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- 平成17年4月27日(水曜日)
【晴】《26日の続き》
墓地の間の迷路のような細い道は、所々崩れている所もあれば、厚い苔におおわれている所もあって、足元がかなり悪い。
おまけに懐中電灯で照らされない限り、地面は真っ暗だったから、どんなに気が焦っても、そろそろとしか歩けないのだ。
その事が余計に恐怖を誘って、私達は段々パニック状態になっていった。
「オイッ長谷川よ、女の人の幽霊が出るっていう墓地は、いったいどこにあるんだよ。あてなしに歩いたって仕方ねえだろう」
益子がふるえ声で言うと、「そんな事知るかよ。俺だって見た訳じゃねえんだから」
長谷川も泣きそうな声で言い訳をした時だった。
ハチが突然闇の中に目を凝らしながら、「ウーッ」と低く唸って動かなくなった。
「ハチどうした、向こうに何かいるんか」
益子が屁っぴり腰になってハチに問い掛けていたが、ハチは身動きもしないで、じっと闇を見据えたまま唸り続けている。
「オイッ、いるんじゃねえか。とうとう出たんじゃねえか。オラやだぞ、絶対ヤダぞ」
宮内が妙な声で泣き言を言い始めたとたん、皆の我慢の糸が一斉に切れてしまい、「ワーッ」と叫び声をあげながら、我先に逃げ出した。
その場に取り残されたペスが、「キャンキャン」と死にそうに鳴きながら私達のあとを追って来るのも構わず、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながら、何とか本堂の前まで逃げて来ると、今度はハチの姿が見えないのだ。
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- 平成17年4月26日(火曜日)
【晴】《25日の続き》
江泉の家のペスと益子の家のハチは、2匹共雑種のオス犬で人懐っこかった。
ただペスは物凄く臆病な犬で、何かといえばヒイヒイと悲鳴をあげて足元にまとわりついて、幽霊よけの役には立ちそうにない。
「ペスはピイピイ鳴いてばかりで役に立たたねえじゃねえかよ」
益子が忌々しそうに言うと、江泉は「仕様がねえじゃねえか、ペスには人間に見えねえものが見えるんで、おっかなくって鳴くんだって父ちゃんが言ってたんだから」と、口をとんがらせて言い訳した。
私もその話を以前に聞いた事があるので、「人に見えないものって、例えばお化けとか幽霊とか」と、恐る恐る尋ねた。
「よく分かんねえけど、そうなんじゃねえかな」
江泉は辺りの闇に懐中電灯の光を当てながら、ビクビクと答えた。
ハチはみんなと一緒なのが嬉しくてたまらないのか、ハアハアと荒い息をして闇の中に走り去ったかと思うと、またハアハアと駆け戻って来るので、危なくて仕方がなかった。
「だけどよ、ハチがあんなに駆け回ってたんじゃあ、女の幽霊も出てこられねえんじゃねえか。そんじゃあ、何のために幽霊探検に来たんか分かんねえよな」
長谷川がしみじみと言うと、「そんでもよ、本当に出て来たら物凄く怖えしよ、出てこねえ方がいいんじゃねえのか」
益子がビクビク声で言った。
私も内心は益子の言う通りだと思ったが、それを口にすると臆病者と思われそうなので黙っていた。
本当は小便をチビリそうなほど怖かったのだ。
進むにつれて墓地の闇は深く重くなって行き、息をするのも力がいりそうな気がして、思わず「ウーッ」と唸り声を出してしまうのだった。
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- 平成17年4月25日(月曜日)
【晴】《24日の続き》
私が一番先に着いたらしく、家の前には誰もいなかった。
「長谷川くーん」
開いたままになっている入口のガラス戸に向かって、大きな声で呼ぶと、長谷川が口をモグモグさせながら出て来た。
「何だい渡辺君かい。おかしいね、渡辺君は緑町だろう。どうして7丁目の集会に出るんだい」
長谷川の母ちゃんが、広い土間の向こうから声を掛けて来た。
「今日は合同集会なんです」
そんな集会はないのだが、私は苦し紛れに嘘を言った。
「そうかい、ご苦労様、がんばってね」
「ハイ」
長谷川が私に向かってぺロッと舌を出した。
間もなく皆がやって来たので、私達は坂をくだって交番前まで出ると、大通りを渡って「三宝院」に向かった。
三宝院は交番のそばの常念寺の隣だから、歩いても直ぐに着くのだ。
山門をくぐり本堂の右手から墓地に入って行くと、辺りは鼻をつままれても分からないほど真っ暗だった。
三宝院の墓地は、山の斜面の森の中に作られているので、昼間でも薄暗い所だから、夜は本当に不気味だった。
小野寺と宮内の二人が手にしている懐中電灯の光の他に、江泉が気をきかせて空き缶利用のガンドウを持って来たのは良かったが、そこからの光にあたると、みんなの影がユラユラと揺れるだけでなく、薄ぼんやりとした赤い光が気味悪くて、益子が「江泉よ、それ消せよ。ただでさえ気味わりいんだから、そんなもん点けると、余計気味わりいじゃねえかよ。第一そんなもん持ってると、オメエん所にだけ幽霊が出るかもしれねえぞ」と言った。
「オイ、よせよ、やめろよ、変な事言うなよ。消すよ、消すよ」
江泉は大慌てでガンドウの火を消した。
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- 平成17年4月24日(日曜日)
【晴】
4月もそろそろ終わろうとしていた放課後、長谷川が廊下の方を気にしながら私達の方にやって来て、「あのよー、今夜三宝院の墓場に行ってみねえか。最近死んだ女の人の幽霊が出るんだとよ」
幽霊と聞いて黙っている奴など、5組の男子の中では数人しかいないし、そんな奴に話を聞かれると、まず間違いなく先生に告げ口されるから、長谷川は周囲を気にしているのだ。
私達は声をひそめて「ウン、行く行く。絶対行く」と即答した。
午後7時半に長谷川の家の前に集合、私が縄を、小野寺と宮内が懐中電灯を、江泉と益子が犬を連れて来ると、下校前に教室で打ち合わせを済ませていた。
家の者には町内の子供会の集会に行くという事にしたが、本当はつい2日前に集会があったばかりなので、もしかしたら嘘がバレるかもしれないと、内心はビクビクだった。
夕飯もそこそこに「これから子供会の集会に行って来る」と告げると、母は「あ〃行っておいで」と、あっさり返事をした。
私は物置からロープを取り出して肩に斜めに掛けると、逆さ川沿いの道に出て北に向かった。
途中「山我」の前の石橋を渡って、高い石垣の下の坂を行くと、長谷川の家は直ぐなのだが、その坂道は深い谷のようになっていて、足元も見えないほど真っ暗だったから、遠回りを承知で大通りまで出ると、7丁目交番を右に見て公園通りの坂をのぼった。
長谷川の家は坂の途中の右側にあって、納豆作りの仕事をしているので、家の前まで来ると旨そうな匂いがした。
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- 平成17年4月23日(土曜日)
【晴】
5年生の一学期から、昼休みの食事の時に、誰かが前に出て何か話をする事になった。
読書や映画の感想でも良いし、話が苦手な人は歌を歌うか、自作の短歌や俳句などを発表してもいいのだ。
人前に出るのが嫌な人はパス出来るので、結局クラスの半分位が発表して、残りの半分は聞き役にまわった。
女子のほとんどは2〜3人で歌を歌い、はにかみ屋さんを中に入れて庇った。
服部の英語の詩の朗読や先生の漢詩の吟詠には、悪ガキ共の大アクビが教室にあふれ、江泉の浪曲や宮内の猿マネには、万来の拍手がおくられた。
仁田山の倒立と私の投げ網は皆の賞賛を二つに分け、長谷川の手品は全員の罵倒で中断した。
橋本は苦し紛れにケツ振りダンスをして先生にぶっとばされ、岡田の意外な美声に皆は目を見張り、益子のケン玉は尊敬を持って迎えられた。
この行事は一学期の間続いたが、やがて種切れとなり夏休みを前に中止になった。
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- 平成17年4月22日(金曜日)
【晴】
下の姉が熱を出して寝込んでしまい、母は付きっ切りで看病していたが、その最中にも訪問客がたえず、私は学校から帰って来ると、母の使い走りで遊びに行く事が出来なかった。
タバコ屋から帰って来ると、今度は近くの人見医院に薬を取りに行き、次には堀江八百屋にリンゴを買いに出掛け、今度は息つく間もなく、7丁目の氷屋までといった調子なのだ。
下の姉は私より2つ年上だったが、あまり体が丈夫ではなく、時々寝込む事があった。
大抵は2〜3日程度で床上げをしたけれど、長い時に1週間から10日位も床に就いたままの事もあり、そんな時の姉は、退屈凌ぎによく本を読んでいた。
私は姉が読み終わった本を貸してもらうのが楽しみで、やがて本の虫になって行ったが、それにつれて視力が悪くなって、ついには眼鏡をかけなければならなくなった。
5年生の一学期になると、私達5組は本校舎2階に移ったが、隣が図書室だったから、本好きの私には有難い教室だった。
どういう訳か知らないが、時々教室を出て図書室で授業を受ける事があり、5月になると窓の下の椎の木の花が、独特の青臭い匂いを辺りに撒き散らし、それが図書室の中に入って来る。
決して良い匂いではないので、皆はとても嫌がったが、私は椎の花の匂いが、それほど嫌いではなかった。
私にはその匂いが、5月という比類ない月の象徴のような気がしたのだ。
軽い頭痛を誘う椎の花の匂いの向こうに、長い房を垂らす藤の花が、紫の色を風に乗せていた。
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- 平成17年4月21日(木曜日)
【晴】《20日の続き》
昼間のケンカでは難しかったが、うまく夜のケンカに出くわした時など、ただ見物するだけとは違って、もうひとつの楽しみもあった。
暗闇に乗じて、ケンカの現場に石を投げ込むのだ。
あんまり大きいと危ないから、せいぜい1cmから2cm位の小さな石を、高い放物線を描くようにして投げるのだ。
ケンカの場所は大抵木立の中が多かったから、投げた石は落ちる途中で枝や葉にぶつかって勢いをそがれるので、当たっても大したダメージにはならない。
それでも時々は10人以上が、立て続けに投げるのだから、その内にケンカどころではなくなってしまう。
最初の内は、自分の頭に降って来る石つぶてを、お互い相手の攻撃と思っているのだが、その内にどうも変だなと気付くと、「オイ待て待て、どうやら誰かが俺達に石ぶつけてるようだぞ」と、一瞬休戦となって共通の敵を捜し始めるのだ。
そうなったら長居は無用で、少しでも早くその場から逃げ出さないと、今度は恐ろしい事になってしまう。
以前に、ニャンちゃんとボクちゃんが、逃げるよりはその場の闇に身を潜めている方が見付かりにくいと主張して逃げなかった。
ところが不運にも見付かってしまって捕虜になった。
心配で物影に隠れながら戻ってみると、二人共ぐるぐる巻きに縛られて、大人達の中に転がされて泣いていた。
大人達は気が向くと二人をつついたり鼻をつまんだりして、酒の肴にしているのだった。
「この奴らとんでもねえ奴らだ。待ってろ、今宴会が終わったらオメ達は公園のモモンガの晩メシにしてくれるからな」
「ヤダヨー、もうしねえよ、おっかねえよお、かんべんだよお」
ニャンちゃんが泣き喚いている脇では、ボクちゃんが半分気絶しているのか、ビクとも動かないで横になっている。
「しょんべんがしてえよ、もっちゃうよ、しょんべんさせてよ」
ニャンちゃんが涙とハナで顔中ぐちゃぐちゃにして頼んでいる。
「しょんべんならそのままたれろ。いい気味だ、このモモンガのエサが」
結局二人はモモンガのエサにもならず、宴会が終わると解放されたのだが、大人達が立ち去ったあとに、二人の所へ駆け付けてみると、ニャンちゃんは本当にしょんべんをもらしていて、ボクちゃんは放心状態で立つ事も出来なかった。
このまま家に帰ると、今夜の事が親にバレてしまうので、私達は一時間近くかけてボクちゃんを正気づけ、ようやく家に戻る事が出来たのだった。
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- 平成17年4月20日(水曜日)
【晴】《19日の続き》
弓引場の上の道を八雲神社裏に出て、タヌキ便所の脇から防空壕跡(実際は古墳の石室)の前の坂をのぼって行くと、桜が咲いていない場所にもゴザを敷いて酒盛りをしている人達でいっぱいだった。
場所によっては隣同士が2mも離れていないので、片方が「若者ワルツ」を唄っている時に、片方で「異国の岡」を唄い、どっちも相手に「うるせー、静かにしろ」、「何だと、てめえの方こそ静かにしやがれ」といった調子で怒鳴り合いが始まり、やがて大乱闘になるのだ。
不思議なのは、ケンカのあとで大抵一緒に酒盛りを始め、大声で笑いながら肩を叩き合ったりしている事だ。
結局あれはケンカではなくて、見知らぬ者同士が仲良くなるための儀式のようなものなのだろうか。
だから私達も、まるで面白いスポーツを見学するような気分で、ケンカ見物しているのだ。
我が家の経理をみてくれているYさんは、普段お酒を飲まない時には、温厚で礼儀正しい人だったが、酒が入ると人が変わってしまい、相手構わずにケンカを売る。
本格仕込みの柔道の有段者だったから、まず負ける事はなかった。
いつだったか地元の地回りの集団を相手に、文字通りちぎっては投げの大立ち回りをやって、それ以来Yさんは有名人になってしまった。
酔いが覚めたあと、頭を抱えて後悔したそうだが、その現場を多勢の顔見知りが見ていたから、たまらずその話は一大武勇伝となって、後世まで長く語り継がれる事となった。
桜の季節になると、私達は花の他に、酒に酔って我を忘れた大人達の大立ち回りを見るのも、大いなる楽しみだった。
結局、今日の私達の目的も、どこかで必ず始まる酔っ払い同士のケンカを見る事だった。
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- 平成17年4月19日(火曜日)
【晴】《18日の続き》
「ただいま、歯医者さん今日で終わりだよ」
工場の板の間で客の応待をしていた母に声を掛けると、私はその足で母屋に向かい、机の引出しから10円玉と小刀を出すと、それをポケットに入れて公園に行った。
途中で近所からの帰りか、反対側からやって来た祖母に出会った。
「公園に行くのかい。遊ぶのはいいけれど、また歯が痛くなるよ」
「大丈夫、治療は今日で終わりだって。もう全然痛くないよ」
「そうかい、それは良かった。全く歯の痛いのは親の死に目よりも辛いからね」
祖母はそう言いながら私の脇を通り過ぎて行った。
私は祖母のうしろ姿を見ながら、今言った事が頭にひっかかってしまい、しばらくの間その場に佇んで考え込んでしまった。
(確かに歯の痛いのは物凄く嫌だけど、親が死んでしまう方が、もっと辛いような気がするな。どっちか選べって言われたら、どうしようかな)
「オイ、おめ何やってるんだ。また何か悪さ考えてるんか」
底抜けに明るいダミ声に振り返ると、やっぱり江泉だった。
田中と小林が一緒にいたので「田中、今日はアルバイトいいのか」と聞くと、「今日と明日は休み」と、嬉しそうな返事が返って来た。
田中とは四年の組変えで別々になってしまったが、小学校入学以来の付き合いだったので、会えばやはり懐かしい。
目が大きく姿勢の良い小林は、静かな性格の奴だったが、誰からも好かれ、先生の評判も良かった。
江泉は悪ガキの見本のような奴で、その点私とは同類だから、いつも行動を共にしていた一人だった。
口にするまでもなく、私達は連れ立って公園に入って行った。
桜は満開で、浮かれた大人達が、至る所で宴を開いていた。
みんな昼間から酔っ払っているから、あちこちでケンカが絶えない。
私達はそのケンカを見物するために、昼間だけでなく夜も時々公園に行った。
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- 平成17年4月18日(月曜日)
【晴】《17日の続き》
家の近くの薬師堂の前まで来ると、今度は前原富子ちゃんが、近所の男の子達と一緒に遊んでいた。
富子ちゃんも同じ5組で家も近かったせいか、時々遊んだりしていたから、道で会っても、それほど嫌とは思わなかった。
それに富子ちゃんは性格が男のようで、動きも素早いし何の遊びも器用にこなせた。
「あれ、渡辺君どこ行って来たん?」
(どこへ行ったっていいだろう。俺の勝手じゃねえか)
心の中ではそう思いながら、私は「麻野歯医者。今日で治療終わりだって」と、素直に答えてしまった。
他の女の子と違って、富子ちゃんには仲間のような雰囲気がある。
だから何の抵抗もなく話が出来るのだ。
「フウーン、歯医者は行き出すと、しょっちゅう行くようになるっていうから、気を付けた方がいいよ」
「ウン」
返事をしながら(何だこいつ、まるで年上のような口ききやがって)と思ったけれど、富子ちゃんの前では、なぜか強気に出られない。
とにかくケンカしても五分に張り合うし、背も少し私より高かったから、その分手も長い。
その手を使って顔中を引っ掻き回すのだから、危なくて仕方がないのだ。
私はボウズ頭だから、髪の毛を引っ張られる事はなかったが、いつか坊ちゃん刈りの服部が、富子ちゃんに髪の毛を持って振り回されているのを、止めに入った事があった。
服部は解き放されると直ぐに、ワアワア大声で泣いていた。
あの時の富子ちゃんの得意技は、顔を引っ掻くのと、耳やほっぺたを思い切りしっちにくる(つねる)という、男からみると始末に負えないもので、同じ組の何人かの悪ガキは、大声で泣き喚いた経験があるはずだ。
富子ちゃんは腰に手を当てると、一緒に遊んでいた少し年下の奴らに何か大声で指図して、私の方を振り向きもせずに走り去って行った。
私はフッとため息をつくと、薬師堂の裏から九頭竜様の祠の前に出て、大貫さんの家の前を通って我が家に帰った。
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- 平成17年4月17日(日曜日)
【晴】《16日の続き》
歯医者通いは、それから3ヶ月余り続いて、最後は銀色の粘土のようなものを詰めて治療を終了した。
「これで良し。渡辺君はこの歯だけが虫歯で、あとは何ともないんだから、しっかりと手入れして虫歯にならないようにするんだよ。今度学校の検診の時に、よく調べるからな」
麻野先生はニコニコ顔でそう言った。
「ウン、気を付けるよ。ゴハン食べたら必ず歯を磨く」
私は調子良く先生に答えると、走るように診察室を出て待合室のイスに腰を掛け、受付から呼ばれるのを待った。
マンガを読む間もなく、受付から「渡辺くーん」と、いつものお姉さんが、小さな穴のような口から顔だけ見せて私を呼んだ。
「渡辺君は今日で治療が終わりだね。ハイよく頑張った。これご褒美だよ」
お姉さんはそう言うと、私にノートを一冊手に持たせてくれた。
「どうもありがとう」
口では言ったものの、内心はお菓子かキャラメルが貰えなかったので、私は少しがっかりして玄関を出て家に向かった。
歯医者のすぐ隣の丸山油店の前を通ると、ちょうど店先に同級生のフミ子ちゃんが立っていた。
(やばい、見付かっちゃう)
そう思って引き返そうとしたのだが、そんな時に限って目が合ってしまう。
「何してるん?どこに行って来たん?あっ、それ持ってるから麻野先生の所でしょう。渡辺君歯医者に通ってたんだ」
「うるせえな、人がどこに通っていようと、おおきなお世話じゃねえか。そこどけよ。俺家に帰るんだから。メシまだ食ってねえんだから」
何だか訳の分からない事を口走りながら、私はフミ子ちゃんの前を急いで通り過ぎると、背中に感じる視線を無視して早足で道を急いだ。
(ああ見付かっちゃった。あいつ絶対に学校でみんなに言うだろうな。ヤダナ。学校には何で女も来るんだろうな。女なんかどっかに行っちまえばいいんだ。大人の女の人は別だけど、子供の女は別の国に行って暮らしてくれねえかな)
小学校の頃、なぜか同じクラスの女子と男子の間には、いつも敵対意識があって、寄ると触ると四六時中ケンカをしていた。
男子にとって、女子というのは何か別の生物のようで、何となく薄気味悪かったのだ。
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- 平成17年4月16日(土曜日)
【晴】《15日の続き》
先生との戦いを終えたクニ子さんは、ハンケチでほっぺたを押さえながら、少しうつむき加減で診察室から出て来ると、私の隣に座って「遅くなってゴメンね。もっと早く済むと思ったんだけど」と言い訳をしながら、手提げから財布を出した。
間もなく受付から声が掛かり、クニ子さんはお金を払うと私を手招きして玄関に下り、「サァ早く帰ろう」とサッパリした声で言った。
私も何だか解放された気分になり、「ウン」と勢いよく返事をして玄関に向かうと、治療が終わっても待合室でオダをあげていたおじいさんが、「オーッ、ぼうず家にけえるか。今日で懲りずにまた来るんだぞ」と言ったので、私は「ハイ」と答えて外に出た。
花見の季節を迎えたためだろうか、道は何となく華やいだ人達が行き交って楽しそうだった。
「今日は歯医者さんの帰りだから、お菓子やアイスは買ってやらないよ」
クニ子さんは物欲しそうにして歩く私に気付いたのか、買ってくれとも言わないのに釘を刺して来た。
「ウン分かってるよ。それに晩ごはんまで何も食べられないんでしょ」
「水くらいは飲んでもいいけどね」
まだ真昼間だというのに、夜まで何も食べられないのかと思うと、余計に食べたくなるのはなぜだろうか。
私は家に帰る道すがら、店先に並ぶパンやお菓子や果物を見て、いつもより余計に食べたくて仕方がなかった。
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- 平成17年4月15日(金曜日)
【晴】《14日の続き》
でもよく考えてみると、歯の治療をしてもらいたいから歯医者さんの所に来ているのに、肝心の治療をさせないというのも、何だか変だなと思うし、第一すごく矛盾している気がする。
治療は受けたいけれど痛いのは嫌だから、どんなに乱暴にされても全然痛くないようにすればいいのだ。
そうすればもっと沢山の人が歯医者に来るのに、なぜ先生はそうしないのだろうか。
多分ガマンをする事が、そうしない事よりも正しいと思っているのかもしれない。
確かに色々な所でガマンをするのは、とても大切な事なのだと言うのは分かるけれど、何もかもでは身が持たない。
せめて痛いのはガマンしなくて済む方が絶対にいいと思った。
私はこれからの治療で何度くらい痛い思いをするのかを想像して、何だか逃げ出したい気分になった。
診察室の中では、クニ子さんと先生の戦いが続いていた。
待合室の人達は相変わらず無関心で、それぞれが世間話に余念がない。
診察室の中での先生と患者の戦いなどは、いつもの事で珍しくもないのだろう。
そうは言っても、ギャーギャー騒ぐのは女の人と子供だけで、さすがに男の人は静かに治療を受けていた。
特に年寄りの人は物凄くガマン強くて男らしかったので、私はその勇気がどこから来るのか知りたかった。
「そりゃあオメェ、戦争でテッポ弾の中を走り回る事に比べりゃこんなもん蚊に刺されたようなもんだ。一発弾に当たってみろ。物凄くいてえんだぞ。それによ、いてえって事は生きてるって証拠じゃねえか。何もビクつく事なんてねえよ」
私が恐る恐る尋ねると、その人は得意そうに話してくれた。
私は男の勇気に物凄く感動して、年寄りというのは偉いなと心から尊敬した。
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- 平成17年4月14日(木曜日)
【曇】《13日の続き》
私は何だか面白くなって、診察室のドアの横にあるガラス窓から、クニ子さんの様子をじっと見ていた。
最初の内はギュッと目をつぶってガマンしていたクニ子さんも、モーターで回るドリルを口の中に突っ込まれて、ガリガリとやられると、「ファーファー」と訳の分からない叫び声をあげながら、先生の手を握って力ずくで治療を妨害した。
「コラッ、駄目だよ手をつかんじゃあ、危なくて治療出来ないじゃないか。大丈夫痛くしないから、少しだけガマンして」
先生はクニ子さんの治療には慣れているようで、邪魔をされるのも予期していたのか、目にも止まらぬ早さでクニ子さんの手をもぎ放すと、まるで子供をあやす時のようにクニ子さんの口をあけてしまった。
「子供だってガマンしてるんだから、いい大人が泣いてたんじゃダメじゃないか」
先生は少し怒ってクニ子さんを叱ったが、クニ子さんはそれでも、痛かったら直ぐに先生の邪魔をしようと身構えているのが、外から見ている私にもよく分かった。
先生は先生で、そうはさせるもんかと、精一杯注意しているのが、背中と両足の形で分かるのだが、私はクニ子さんの方が絶対に早いと思った。
なぜかといえば、クニ子さんの両手は半分くらい手すりから浮いていて、痛くなった瞬間に先生の手を掴める用意をしているのに、先生の方はそれが分からないからだ。
その代り先生は、クニ子さんの顔の動きを横目で観察していて、変な動きがあれば素早くクニ子さんをおさえつけられるように身構えている。
でもやっぱりクニ子さんの方が勝ったろうと、私は思った。
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- 平成17年4月13日(水曜日)
【晴】《12日の続き》
「今日はこの位でいいか。また明日来るんだよ。学校帰りでもいいからね。恐がって来ないでいると、また痛くなるよ」
やっと解放されたのに、また明日も来るのかと思い、ガックリとしていると、「何だよ、先生は西校の校長先生と友達だし、もしも来なかったら、校長に言いつけて、こんなでかいゲンコを貰えるようにするからな」
絶対ウソだとは思っても、もしもという事もあるので、明日は諦めてちゃんと来ようと思った。
待合室に戻って少し時間が経つと、あんなに酷かった歯の痛みが、まるで嘘のように消えていた。
先生は最後に、薬臭い脱脂綿を歯の穴につめて、「明日までこのままにしておくんだよ」と言ったが、もしも知らない内に取れてしまったり、間違って食べてしまったりしたら、いったいどうなるのだろうと心配だった。
その事が気になって仕方がなかったので、待合室のイスに座っていても、どうしても舌の先で歯の頭をつっついてしまう。
つっつく度に、舌の先がしびれるような薬の味がして、(あぁ、これが効いてるんだな)と思うと、その味も苦にならなかった。
しばらく待っていても、クニ子さんがなかなか出て来ないので、そっと診察室を覗いてみると、クニ子さんは私のあとに治療台に乗って大きな口をあけていた。
(何だよ、自分もかかるんじゃねえか。そうならそうと言ってくれればいいのに。一人じゃおっかねえから、俺をダシに使ったんかよ)
そう思ったとたん、クニ子さんは大きくあけていた口をギュッと結ぶと、「ウ、ウ、ウ、ウ」と唸りながら片手を必死に振りながらイヤイヤをしている。
逃げようとするクニ子さんを一生懸命におさえながら「ちがうちがう、これは注射じゃなくて歯を洗うんだよ。ホラ針がついてないだろう」と大声でなだめた。
なるほど、先生の手に持っている注射器には、確かに針がついていなかった。
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- 平成17年4月12日(火曜日)
【曇時々雨】《11日の続き》
痛み止めの痛い注射の痛み止めがあればいいのにと、真剣に考える程、その注射は本当に痛かった。
しばらく置いて薬が効いてくると、先生は粘土細工の時に使うヘラのような道具を口に突っ込み、カリカリと音を発てながら歯の穴の中を削り出した。
「いま虫歯になっている所をきれいにしてるから、少し我慢だぞ」
薄目を開けてみると、先生の顔が直ぐ近くにあった。
「痛かったらそう言ってな」
私は直ぐに「イファイ」と訴えたが、「ウソつけ、いま神経のない所をやってるんだから、痛いはずなんかないよ」と笑い飛ばされた。
だったら言わなければいいじゃないかと内心思ったが、口を大きく開いていて、おまけに何かを突っ込まれているので、とても喋る事なんか出来ない。
そんな事は先生だって知っているはずなのに、何で先生は色々な質問をするんだろう。
「学校は面白いか」とか「勉強は楽しいか」とか、「父ちゃんや母ちゃんの言う事を聞いているか」、おまけに「勉強は何が好きだ?」なんて、そんなのに返事が出来るはずがないじゃないか。
それでも私は無理して、「オモヒロイ」とか「はおひふあい」とか、「ふいふえう」とか、一生懸命答えると、今度は「ダメだ、いま口の中を治療してるんだから、口開くんじゃないよ」だって。
だったら色々質問しなければいいのにと、私は思わず先生を睨みつけてやった。
そのせいなのか、それまでは何かされている感じはあっても、痛くはなかったのに、急に物凄い痛みに襲われ、思わず「アーッ」と大声をあげた。
「ああ、悪い悪い、かんべんな」
(何がかんべんだよ。そこをやると痛いのは分かってるくせに)
私はこらえても出てくる涙で、ぼやけて見える先生を睨みながら、心の中で悪態をついて恐怖を紛らわせた。
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- 平成17年4月11日(月曜日)
【曇のち雨】《10日の続き》
私の順番が来る前に世界大戦が始まってくれればとの願いも空しく、ついに「渡辺君診察室に入って下さい」と、受付の小さな窓から顔を突き出した女の人が、ニコニコ笑いながら呼びかけて来た。
私は一瞬クニ子さんを見上げて助けを求めてしまったが、クニ子さんは「大丈夫、アッという間に終わっちゃうから」と、私の背を押して診察室に連れて行った。
「こりゃひどいな。何でこんなになるまで放っておいたんだ。これじゃだいぶ前から痛かったろうに。最初に痛いなと思ったのは、いつの頃からだった?」
麻野先生は私を覗き込むようにして質問した。
「しんせん(新水園)のニュースで38度線を観てた時」
「それじゃあ一年以上も前からじゃないか。道理でこんなデカい穴になってるんだ。とにかく抜かないで済むように治療するから、しばらく通って来るんだよ」
私は抜かないで済むと聞きホッとしたが、先生の手を見ると何と注射器が握られていた。
私は「ギャー」と叫びながら治療台から逃げようとした。
「大丈夫、痛くなくするための注射なんだから、じっとしてなさい」
先生とクニ子さんと女の人におさえつけられ、無理矢理開けられた口の中に、注射器が入って行くのを目の端でとらえた時、私はさっき泣き喚いていたあいつの事を思い浮かべ、心の底からあいつの気持ちが理解できた。
そして、痛くなくするための注射といいながら、その注射がこんなに痛いんなら、そんな注射なんか打っても打たなくても、結局痛いんじゃないかと思い、何だか先生が憎らしくなって、腹を思い切り蹴飛ばしてくれた。
「おおっ、それだけ元気なら、これからは麻酔なしで治療しような」
この世で一番の子供の敵は、やっぱり歯医者なんだと思った。
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- 平成17年4月10日(日曜日)
【晴】《9日の続き》
友達の中には、どうせやられるなら少しでも早い方がいいと言う奴もいたが、私は少しでも遅くなる方がいい組だった。
私の順番の三人先の奴は、同じ学年の組違いの顔見知りだったが、そいつの名前が呼ばれると、それまで普通にマンガを読んでいたのに、急にワーッと泣き出して逃げ出そうとした。
隣に座っていた母ちゃんはそれを予期していたのか、目にも止まらない早さでそいつの首根っこを掴むと、手足をバタバタさせて暴れ回るのも構わずに、診察室に引きずり込んで行った。
それから長い間、先生と母ちゃんの怒鳴り声と、そいつの死にそうな悲鳴が途切れる事なく続いて、私はその間ずっと、心臓が口から飛び出すかと思う程、ドキドキが止まらなかった。
やがてそいつは、まるでボロ雑巾のようになって診察室から出て来たが、出るなり母ちゃんが、そいつの頭を思い切り引っ叩いた。
「ピイピイピイピイとバカみたいに泣いてるんじゃないよ。このイクジなしが。大人になる前に入れ歯になりたいんかい」
そしてまた一発ペカンとやったものだから、そいつは半分死んだようになって待合室の床を、のたうち回っていた。
待合室には10人近く番待ちの人がいたが、誰もそいつの事など見もしないし、助けもしない。
歯医者では、そんな事は日常茶飯事だったから、別に同情もしないし、可哀想だとも思っていないのだ。
それでも中には「ボク痛かったんか。男の子はガマンしなきゃな」などと、お座なりの言葉を掛けてくれる人もいるが、そんな事をしようものなら、かえって火のように泣き喚かれるのがオチなのだ。
だから慣れた人は、ガキがどんなに喚いても、まるで犬っころが騒いでいるような目で見るだけで、決して反応しないというコツを知っていて、目の前のバタバタなど、まるで無いかのように、隣の人とノンビリ世間話をしている。
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- 平成17年4月9日(土曜日)
【晴】
その日は朝から右の下の奥歯が痛んでいたのだが、うっかりその事を口にすれば、直ぐ歯医者に連れて行かれると思い、じっと我慢していた。
昼頃になって、我が家の台所の面倒をみてくれているクニ子さんに請われて、今が盛りの桜見物の道案内をしなければならなくなり、二人して出掛けたのは良かったが、暖かい陽射しの中を、あちこち歩き回る内に、歯の痛みは耐えられない程強くなって来て、私は右のほほを手の平でおさえながら、やっとの思いでクニ子さんを先導した。
「どうしたの?歯が痛いの?私も歯の性が悪いから、辛いのよく分かるよ。もう充分楽しんだから家に帰ろう」
心配するクニ子さんに「ううん大丈夫。この先の方がもっときれいだよ」と見栄を張って、とうとう見所の全部を案内して家に戻った。
(歯の事を親に告げ口するだろうな)と、半分以上は覚悟していたら、案の定、母がやって来て有無を言わせず歯医者行きを命じるのだった。
いくら逆らっても無駄だと知っていたので、私はすっかり諦めると、クニ子さんに連れられて、通5丁目の麻野歯医者に行った。
今の子供は知らないが、私達が小さかった頃は、歯医者に行くか、それとも人さらいに連れてってもらうか、どちらかを選べと言われたら、100人の内99人は迷わず人さらいを選んだと思う。
それでも歯医者に行くのは、物が食えなくなるのが困るという、ただひとつの理由からだった。
暴れ盛り子供にとって、食べ物が口に出来ない程苦しく辛い事はない。
物が食えないという最大の恐怖の前には、歯医者の恐さは二番目になるのだ。
それでも待合室の長イスに座って番を待っている時、私はいつも急に世界大戦が始まって、日本中が大混乱となってしまい、先生が当分は治療する事が出来ないので、家に帰ってくれと、診察室から走り出て来ないかなと、真剣に思うのだった。
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- 平成17年4月8日(金曜日)
【晴】
桜の頃になると、我が家には足利公園の花見を目当てにした客が、泊り掛けで訪れるようになる。
今のように車が普及している時代ではなかったから、少し遠方からの旅も、泊り掛けでなければゆっくりと出来なかったのだ。
泊り客は多い時には10人近くにもなったろうか。
そのために毎年春先になると、幾人もの手伝いの手を借りて、綿の打ち直しと布団作りをやっていた。
家は単に家族のためだけではなく、訪ねて来る人達を迎え入れる場でもあったようだ。
泊り客は祭と共にやって来て、我が家をひととき華やいだ活気で包んでくれる。
中でも春の盛りの花の季節に訪れる客には、特別の趣がつきまとっていて、子供達の胸は常になくときめいた。
家の中に見慣れない人の気配がある事の珍しさだけでなく、泊り客は必ず沢山のおみやげと便りを携えて来た事も、その理由かもしれなかった。
花見の泊り客のために、二階の部屋の一間には、常時酒食の卓が置かれて、そこを中心に親戚やその知り合いの人達が、日頃の無沙汰を慰め合っていた。
私は人で賑う我が家の雰囲気が大好きで、そんな中に身を置いていると、とても心が和むのだった。
楽しい事はやがて終わり、そのあとには必ず淋しさが訪れるはずだったが、あの頃は、ひとつが終わると次が始まり、それが終わると、また次が待っているという、とても恵まれた時代だったと思う。
土日の休みもなく、大型連休もなかったが、その代り少なくとも子供にとっては、一年中が祭だった気がする。
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- 平成17年4月7日(木曜日)
【曇のち晴】
公園の桜が五分咲きになると、待ち切れない人達が朝から花見に押し寄せ、木の下にゴザを敷いて酒盛りを始める。
所々にある茶店の桟敷に上る客は、大抵背広姿の人達だったから、店脇の木の下で飲んでいる人達を、何となく見下したり横柄な物言いをするのが原因で、よく取っ組み合いのケンカをしていた。
花見のケンカは私達の楽しみだったから、今日もどこかで始まらないかと、毎日のように公園の中をうろつき廻った。
桜まつりの間でケンカのない日は無いと言っていい程、朝から晩までどこかでケンカがあったが、ケガはしても大抵はかすり傷程度で、大ケガや死人の出る事は無かったから、一種のレクリエーションだったのかもしれない。
金のトビ下の四阿脇に建つ茶店の桟敷に、何人かの芸者を同伴した背広姿の客があがり、何が面白くないのか知らないが、事あるごとに芸者のお姉さんに当り散らしていたが、その内に近くでゴザを敷いて花見をしていた人達の態度が気に入らないと、いちいち文句をつけ出した。
こっちは高い席料を払って飲んでいるのに、ただで場所を使って飲んだり歌ったりしているのは生意気だとか、金も出してないのに一丁前の声で歌うんじゃないとか、言いたい放題だった。
言われている相手は相手にしないようにしていたのだが、その内に態度が気に入らないと、お姉さん達の止めるのも聞かずに、酔いにまかせて撲り込んで行ったまではいいのだが、あっという間に鼻血をふりまきながら坂を転げ落ちて来た。
靴は脱げるはYシャツは血で汚れて破れるは、背広のボタンは取れるは、子供が見ていても最低の有様だった。
多分かなり偉い人だったのだろうが、信じていた権威が全く通じない相手も、世の中には沢山いる事を、その客は思い知ったのか、お姉さん達に介抱され席に戻ったあとは、まるでボロ雑巾のようだった。
見物していた私達も、全員が「ザマーみやがれ」と心から思ったが、それだけで終わるはずはなく、少し暗くなるのを待って、探して来た馬クソをその客に20個程投げつけると、「ウワー何だこりゃー」という悲鳴を背に、勝手知った公園の闇の中を、クモの子を散らすように逃げ去った。
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- 平成17年4月6日(水曜日)
【晴】《5日の続き》
「そんな事ねえよ。たまには店から貰って来る事あるけんどよ、大抵は一枚だけだから、みんなの飯のオカズにもなんねえから、父ちゃんが全部食っちゃうよ」
悔しそうに言う田中に、「本当かよ、俺はオメン所じゃ蒲焼なんか毎日のように食ってるかと思ったよ」と、橋本がスットンキョーな声で言った。
「バカヤロ、あれは売り物だぞ。売り物を勝手に食えるかよ」
田中は橋本を呆れた顔で見ながら言うと、みんながドッと笑い転げてしまった。
「そりゃあそうだよな。売ってるからって食える訳じゃねえもんな」
橋本が、いかにも納得した顔でつくづくと言ったものだから、又みんながドッと大笑い。
「でもよお、どんなに美味えもんも、腹一杯食うと、何で食いたくなくなるんだんべな」
江泉が急にそんな事を言い始めたから、またも宮内が「そんなんあたりめえだろ。腹がいっぱいになれば、それ以上はもう食えねえんだよ」と、江泉を小バカにした言い方で唸り飛ばした。
「だからよ、腹がいっぱいになると、何で美味えもんも美味くなくなってそのあと食うのが辛くなるんだ?食えねえのは分かるけどよ、なんでさっきまで美味えと思ってたもんが、美味くなくなるんだんべ」
江泉の真剣な疑問を聞いている内に、みんな腕組みして考え込んでしまった。
確かに江泉の言う通りで、私達は何でもないと思っていたが、あらたまって問題にしてみると、結局何も分かっていなかったのだ。
「何も食わねえでいると腹がへるだんべ。腹へっている時に何か食うと、すごく美味かんべ。でもよ、どんどん食って行くと、段々美味くなくなって来て、しまいには苦しくなって食えなくなるだんべ。何でかな?」
みんな必死になって考えてみたが、結局誰もその答を見付ける事が出来ず、学校が始まったら、早速先生に聞いてみようというところで話は落ちついた。
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- 平成17年4月5日(火曜日)
【晴】
「あのさあ、もしも好きなもんを好きなだけ食っていいって言われたらよ、何が一番食いてえ?」
今日も何となく集まって来た仲間が、ポケーッと所在なげにしている内に、長谷川が急にそんな事を言い出した。
「オメエは意地汚ねえから、そんな夢みてえな事を考えるんだよ」
宮内がいつものように口をとんがらせながら長谷川をののしった。
しかし、長谷川の言った事は、人間なら誰もが絶対に一度ならず考える気がした私は、「そうでもねえかもしんねえぞ。俺だって時々同じ事を考えるもんな」と反論すると、その場の皆は、強烈に同意の表情で私を見た。
「俺はやっぱりバナナかな。だって俺バナナって乾燥したやつしか食った事がねえもん」
私は日頃から思っていた事を正直に話した。
「俺もバナナかもしんねえ。だけどゆで玉子も腹一杯食ってみてえな」
山本の家は食堂だったから、ゆで玉子なんて食い放題だと思ったけれど、そうでもないのを知って、皆少し驚いた。
「俺は落花生。いつも2つしか貰えねえから、一度ゲーッというまで食ってみてえよ」
江泉が何となくしんみりとした感じで言った。
「俺は肉が食いてえな。将来自分で給料貰えるようになったら、まず最初に肉を買えるだけ買って、一人で全部食うんだ」
長谷川が息を弾ませながら言うのを受けて、「俺もハムが思い切り食ってみてえな」と、宮内が叫ぶように言った。
「俺はパイナップルと桃の缶詰」
「大福と金ツバ」
「アイスクリーム」
今すぐには叶わぬ夢と知っていたが、好きなものを腹一杯食べている場面を想像するだけで、皆結構楽しかった。
「俺は一度でいいから、魚英のマグロの刺身を、一皿全部一人きりで食いてえ。飯は白米で麦の入ってねえやつ」
田中のカアちゃんは鳥常に仕事に行っていたから、いつも蒲焼を食べていると思っていたので、「オメエなんかいいよな。年中ウナギ食えるから、刺身なんていらねえだろうに」と、益子が忌々しそうに言った。
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- 平成17年4月4日(月曜日)
【雨のち曇】
通2丁目の高島屋百貨店の一階に開店したパン屋で、パンを買った客にガス風船をオマケに付けていると聞くと、町内の子供達は一個10円のアンパンをネタに、ガス風船を手に入れようと、死にもの狂いで金工面をした。
一日の小遣いを10円貰えた奴はいいが、ほとんどは5円か全く貰えなかったから、そんな奴が10円の金を作るには、金物を拾い集めて仕切屋に持って行くか、秘蔵のペタンやベーゴマ、大切に飼っていた小鳥を手放すか、子守りや使い走りなどをして稼ぐより方法がなかった。
そんな事情を知った父は、近所の何人かに、子供でも出来る雑用を頼んで、幾らかの駄賃を払ってやっていたようだが、それは、相手の名誉を傷付けないための方法だったようだ。
そんなこんなで、風船が欲しい奴の全員が、何とかアンパン一個の代金を手にする事が出来た直後の土曜日、下校後に集合場所に集まった私達は、意気揚々と高島屋に向かった。
着いてみると、店の前は黒山の人だかりで、出来たてのパン独特の甘い香りが外に漂って、そこだけ夢の世界のようだった。
長い列が少しづつ前に進み、ようやく私達の番が来ても、こんなに沢山の人達が風船を貰って行ってしまうのでは、もしかしたら私達の分まで廻って来ないのではないかと、そればかりが不安で仕方がなかった。
「何にしましょう」という店員の声に、「アンパン」と答えて金を渡しながら、差し出された袋よりも、店員のうしろでフワフワ浮いているガス風船に横目を引っかけ、そのヒモを手に握らせてもらえるまで、胸がドキドキして止まらなかった。
全員が無事に風船を手にして、4月の陽が明るくさしている表通りの人並みの中に入ると、(ああ、これは夢じゃなかったんだな)と、心の底から安堵の溜息をついた。
あの頃の多くの子供にとって、一個の風船を手に入れるという事は、文字通り夢そのものを手に入れるのと同じだった。
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- 平成17年4月3日(日曜日)
【晴のち雨】
「オイ、縁談婆あが来たぞ、縁談婆あだぞ」
町内の悪ガキ共が嬉しそうに喚きながら、バラバラと公園通りの方へ走って行く。
縁談婆あと呼ばれている老婆は、モンペ姿に下駄をひっかけ、大きな風呂敷包みを斜めに背負って、人が居ようが居るまいが、やたらに謝りまくりながら町を通り過ぎて行く。
謝るといっても、しおらしく謝罪するという訳ではなくて、「ウルサイね、謝ればいいんだろ謝れば」と怒鳴りながら土下座すると、アスファルトの上に額を打ちつけるのだ。
だから、縁談婆あの額は、いつも血がにじんでいた。
縁談婆あが通り過ぎる姿を、その町内のガキ共が見付けると、好機到来とばかりに集まって来て、「ヤイ、縁談婆あ、謝れ」と呼びかけると、縁談婆あは「謝ればいいんだろ謝れば。私が悪うございました、ごめんなさい」と開き直りながら、地に額を打ちつけるのだった。
ガキ共はそんな姿を見て、ドッと笑い転げるのだったが、当の縁談婆あは、額から血を流しながらも満更ではないらしくて、むしろ構わないと本当に不機嫌になった。
縁談婆あというのが、どういう意味なのか誰も知らなかったが、古くからの言い伝えのように、何の疑いもなく呼んでいたけれど、本当は、あまり良い意味ではないらしいと、仲間の物知りが、したり顔で話していた。
「あんまり構うんじゃないよ。あの人は気の毒な人なんだから」
私達が縁談婆あを追い駆け廻した事が知れると、母は気の無さそうに、お座り小言を言うところを見れば、大人達は多分その呼び名の意味を知っているのだろう。
足利公園が桜の花に包まれる頃になると、縁談婆あは一日おき位に姿を見せて、満開の花の下を会う人毎に謝りながら、文字通り花に花を添える。
桜には、狂女の戯れる姿が妙に似合っていた。
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- 平成17年4月2日(土曜日)
【晴】
弓引場の上の椎の森の斜面をのぼりつめ、言い伝えでは古墳の頂上ではないかとされている、小さな山の東側の斜面は、季節になると片栗の花に被われるのだが、北に下ると福厳寺の墓地、東には不浄の森をひかえているので、大人は誰も、この群生地を気味悪がって近付こうとしなかった。
確かに片栗の花の群生には、何となく妖しい気配が付きまとっている。
地にはりつくような斑模様の葉や、花芯から突き出たしべの形が、どうしても好きになれないと、大人達がよく話していたが、私には一面に咲き誇る花の群生は、美しいという以外の表現を知らなかった。
片栗の群生地は、ここだけでなく数ヶ所はあったが、考えてみると、その全ての場所が、人目に触れない隠れた所なのが不思議だった。
中でも白石山房と両毛線との間で、踏み込む道もない忘れられたような土地の群生地は、いくつかの条件によって、ほぼ完全に人の目から遮断されているので、ここを知る人は、ほとんどいなかっただろう。
水道山の南斜面にも、群生地がいくつか点在していたが、ここは地元の人の手で掘り返されている事が多かった。
おそらく片栗粉を採るために掘って行くのだろう。
逆さ川に沿った崖の途中にも、ほんの一塊づつの群生が所々にあった。
私達にとって片栗の花に限らず、春ランやえびねラン、夏になると道端に咲くいかり草などは、ただの雑草に過ぎなかったが、年寄の中には、その薬効に詳しい人もいて、季節毎に採集しては、自家製の薬や酒を作っていた。
そんな民間薬の中には、大きなムカデを油に漬けた傷薬や、松葉とゲンノショウコの中気薬、うらじろの葉で作った腎臓薬、その他怪しげなものが沢山あった。
若葉若草が萌える頃になると、それは正に地の恵みとして、人々に供されたのだ。
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- 平成17年4月1日(金曜日)
【晴】
「今日は4月馬鹿といって、どんなウソをついてもいい日だって知ってたか」と、父が珍しい事を教えてくれた。
今思えば、日本語の意味でのウソというのとは、少し違うニュアンスだったのだろうが、私達が使うと、どうしても誰々が死んでしまったとか、◯◯がドロボーして警察に捕まったとか、およそユーモアとは程遠い、唯のウソッパチになってしまった。
それでも、どうせ今日は皆ウソばっかりつく日なのだと、頭から決めてかかっていたから、どんなに大袈裟なウソにも、騙されて騒ぐ奴は一人もいなかった。
飛行機が水道山にぶつかった話や織姫の鉄橋(渡良瀬橋)が崩れ落ちた話なんか、いくら真剣な顔をして喋っても、最初から誰も信じなかっただけでなく、どいつが面白いウソをつくかと、それが楽しみだったのだ。
「この間お月様見たらよ、でっけえヒビが入ってたからよ、この次の満月には、多分お月様バラバラに割れて落っこちて来るってよ」
「◯◯の姉ちゃんは背中に羽根が生えてて、ケツに尻尾が生えてるんだぞ。真っ黒な夜には近所を飛び廻って、猫とっつかまえて食うんだってよ」
「そんなん大した事ねえよ。菊地の父ちゃんなんか時々人の肉を食うんだぞ。本人が言ってたから間違いねえよ」
誰が聞いてもウソだと直ぐに分かってしまうのだが、その内に話をする方もそれを聞く方も、何だか馬鹿らしくなって来て、場が白けるのをキッカケに、誰からともなく場を離れて行く。
エイプリル・フールというのは、日本人にはピッタリこないようだった。
■アトリエ雑記は平成12年12月15日からスタートしました。
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