アトリエ白美「渡辺肖像画工房」 渡辺晃吉
- 平成15年10月31日(金曜日)
【晴】
そこがどこであったのか、今でもよく分らないのだが、小学校5年の秋に、隣のオブチンを誘って、前からやってみたかった冒険の旅に出た。
その旅とは、いつもの遊び場の公園からよく見えている、太田の金山に徒歩で行く事だった。
日曜日の早朝に家を出て、緑橋を対岸に渡り、遠くに霞む金山に向って、当てずっぽうに道を選んで歩いて行くという、何とも間の抜けた冒険の旅なのだが、行く先々が未知の土地なのだから、驚きの連続であった。
どの位来ただろうか、秋の遅い朝日を背に受けながら、名も知らない部落に入って行った時、家の近くでは決してない臭いに気が付いた。
何の臭いなのか最初は分らなかったが、歩いている内に、その臭いが牛小屋や馬小屋から出ている事に気付き、妙に懐かしく暖かい気分になったものであった。
あの頃は、まだ都市部と農村部の風景には、大きな特徴差があったのだと思う。
とにかく子供の目にも、その部落には言葉に尽せない美しさがあった。
今と違い、ひとつの部落を出ると、次の部落までの間には人家がほとんどなく、時たま寺や神社が、田の中に森を作っている。
島から島を渡るように田の海を進み、やがて金山山系のすそのに近付いた頃には、時刻は午後1時を少し過ぎていた。
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- 平成15年10月30日(木曜日)
【晴】
上州のとある山奥に、天然の椎茸を採りに行った事がある。
もう35年余の昔になるだろうか。
地元の知人の案内で山深く分け入り、約100m程の急斜面をロープで降りた後、渓谷の中州に渡った。
中州といっても、小さな山程のスケールで、急流を渡河して岸に着くと、辺り一面にほうきたけが生えているのに、知人はまるで雑草を踏みつけるようにして奥に進んで行く。
採らないのかと聞くと、こんなものを食べる奴は、この辺ではいないという事だった。
岸から少し中へ入って行くと、何という事だ、目の届く限り、全山が椎茸におおわれているのだ。
椎茸ばかりではなかった。
生えているのを見ると、これが食べられるのかと思えるきくらげや、なめこ、かきしめじ、そしてまいたけと、まるでおとぎの国に入り込んでしまったような有様だった。
背中のザマがいっぱいになると岸まで戻って、用意していた木箱に移し、僅か三時間足らずで、運び切れない程の収穫だった。
やっとの思いで谷を上がり、車のトランクに積めるだけ積み込んで、後は、後部座席に置いて、知人の家へと引き上げた。
部落に入って気が付いたのは、どの家の屋根や軒にも、おびただしい量の椎茸が干してある事だった。
聞くと全て野生なのだが、実際は木を倒したりして、少し手助けをしているようであった。
知人の家の裏を流れる沢で岩魚を獲り、まいたけ汁に岩魚の塩焼き、そして椎茸のステーキという山の幸を満喫して後、山を後に家路についた。
今ではおよそ考えられない、まるで大ボラのような本当の話である。
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- 平成15年10月29日(水曜日)
【晴】
足利公園は、いたる所に古墳がある。
その大半は子供の遊び場か、今はホームレス、その頃は浮浪者と呼ばれていた人の住処になっているという、極めてのびのびとしていた時代であった。
公園の東側の八雲神社(森高千里の渡良瀬橋に出てくる神社)の北斜面にある椎の森には、秋も深まり、木枯らしが吹く頃になると、大規模な隠れ家が出現する。
それを作る子供達は、公園下の緑町や栄町の小学生が中心であったが、不思議な事に両毛線の線路の南の緑町二丁目の奴らは全く加わらないのだ。
奴らはむしろ、線路で公園から切り離された愛宕山か、渡良瀬川の河原が遊び場だったのだろう。
椎の森の隠れ家を作るために動員される人数は、時によって百人を越える程の、極めて本格的なプロジェクトなのだ。
樹から樹へは吊橋や縄梯子が張り渡され、約50本程の椎の木の大半に渡れるし、小屋の数も5棟程になる。
この隠れ家こそ、公園の分水嶺を分けて敵になる今福、五十部軍団との戦いのための、重要な基地になるのだ。
こっちにも基地があるように、敵にも我々に勝るとも劣らない基地が、水道山の北斜面に作られていて、難攻不落という点では味方に勝る程の出来である。
敵味方の中間にある福厳寺の墓地は、その地形的特色から、しばしば戦場になったが、大抵は地面のいたる所に落ちているドングリを弾としたパチンコによる狙撃戦であった。
意識して頭部を狙うようなロクデナシはいないが、はずみでやられる事が多いので、誰が初めに作ったのかは分らないのだが、戦いに参加する子供達は、誰もが金網で作ったゴーグルを腰に下げていて、パチンコ戦の時には必ず装着して、眼を負傷から守った。
墓石の間をほふく前進し、わざと立ち上がって身をさらし、直ぐに地に伏せた途端、背後の墓石に無数の弾痕が出来る程、敵の射撃力は凄かった。
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- 平成15年10月28日(火曜日)
【雨】
母屋に行くと、兄が慌しく声を掛けてきた。
急いで回覧板を廻して欲しいのだという。
訳を聞くと、昨夜本家の隣の家に熊が来て、庭の柿の実を食い荒していったので、厳重に警戒せよとの緊急伝達なのだそうだ。
大急ぎで雨の中を隣家まで走り、その家の奥さんに用件を伝えた。
この辺は猪はよく出るが、熊が出たのは初めての事で、いよいよそこまで来たかといった感じである。
結局山にエサとなる食物がないのだろうが、これも異常気象の結果なのだろうか。
前の畑には猪が来て、先日は子供が8匹も罠に掛ったという。
画室のチビ達は大丈夫だろうか。
熊は鶏を襲って食べるのだから、ミニうさぎだって襲うのではないだろうか。
夜は画室に置いたままなので、少し心配である。
帰宅直後、友人から電話があり、娘さんの家が、チビ達を2匹貰いたいのだそうだ。
近い内に電話をして来訪するとの事。
ありがたい話だが、かなり淋しくもある。
来て見て気持ちが変わってくれないかな、なんて思ったりしてしまう。
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- 平成15年10月27日(月曜日)
【晴】
山はそろそろ椎の実が実る頃だろうか。
ドングリの中で、そのまま食用になる数少ない種類のひとつである椎の実は、貴重なおやつだった。
この実を採るためには、かなり木登りに自信がないと難しい。
中には長い竹竿の先を割り、そこに棒をはさんで、適当な枝を見付けたら、棒を当ててぐっと押して枝をくわえ、竿をねじって折り採るといったやり方で、細々と採る奴もいたが、やはり、直接木に登って枝の先まで行き、たわわに実った所を折って下に落とす方が、ずっと効率がいいに決っている。
椎の木は枝に粘りがあり、なかなか折れにくいのと、比較的横に枝を張るので、登るには誠にお誂えの木である。
その上巨木が多く、樹上に隠れ家を作る時などによく利用したものだった。
それも縄梯子や吊橋まで備え、子供なら優に10人は楽々入れる程の本格的な隠れ家も作った事もあった。
太いロープを回して、作った輪の中に腰を掛けて、腕力だけで自分の体を木の上に運び上げるエレベーターや、滑車を使ったロープウェイなど常識みたいなもので、目標はターザンの住いだったので、一本ロープのブランコは必需品だったが、毎回誰かが落っこちて泣き喚いていた。
幸い我が家には板や箱などの材料を始め、様々の用具備品があったが、それだけではどうしても足らず、結局皆が家から色々持ち寄るのだが、大抵は親には内緒の事なので、いつも誰かが親にぶっ飛ばされていた。
オチ防(※平成14年12月16日参照)は赤ん坊のハンモックを持ち出したのを見付かり、両手を縛られたまま、押し入れに入れられ、死ぬような声で許しを請うていたが、一時間以上そのまま仕置きされた。
アカタンは何に使うつもりだったのか、便所の蓋を持ち出してお袋にお灸をすえられ、あまりの熱さに糞をもらした。
マーコー(マー公)はお袋の張り板を盗んだために、お袋の内職が出来なくなったので、おやじに交番に連れて行かれたが、両手を前で縛られ、縄の先を自転車の荷掛けに縛って、その自転車をおやじが転がしていくのを、全員が悲壮な思いで見送った。
マーコーの泣き声と、おやじの怒鳴り声は、夕暮の町の中に、いつまでも響いていた。
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- 平成15年10月26日(日曜日)
【晴】
国道を逸れて道を北にとると間もなく、風に乗って演歌が流れてきた。
谷を囲む山々の斜面のあちこちにぶつかりながら、ふわぁんとエコーがかかって耳に快い。
大望山にある大山神社の秋の大祭なのだ。
この後間もなく神楽が始まり、笛や太鼓の音が谷中に流れて来るのだろう。
大山神社の神楽は、非常にゆったりとしたテンポで始まり、同じフレーズが何時間も続く。
このはなさくや姫を中心とした神々が登場して、五穀豊饒を祝い舞うというストーリーであるらしい。
以前に一度見学に登った事があったが、思ったよりずっと狭い神楽殿が境内の急な斜面に建っていて、その左手の急な石段を登ると本殿がある。
結構たくさんの見物人があちこちに座って、静々と舞う姿に魅入っていた。
祭といえば、子供達の姿が欠かせないのだが、最近ではこの季節になると、幼稚園から小中学校、そして高校や町内の運動会をはじめ、様々のスポーツイベントが目白押しで、とても祭に出掛ける暇などない。
今朝も運動公園の前を通りかかると、中学校駅伝大会の日であったらしく、慌しい雰囲気が漂っていた。
こんな時位は車に乗らずに会場へ来れば良いと思うのだが、附近は駐車した車の列が目の届く限り続いている。
それでも到着する車が後を絶たず、イライラした様子が手に取るようであった。
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- 平成15年10月25日(土曜日)
【晴】
チビ達の遊び場の中に入り、小さなイスに座っていると、どこで遊んでいても必ず走り寄って来て足にまとわりついてくる。
その習性はどのチビにもあるが、特に甘えん坊なのは、スカンクにいちゃんとチビクロにいちゃんで、スカンクにいちゃんなどは頭を撫でてやると、いつまでもじっとしている。
歯ムキにいちゃんと鼻白にいちゃんは、とにかく威勢が良くて、走り寄って来るスピードも全然違うばかりではなく、チョコチョコと激しく動き回るので危なくて仕方がない。
時々チビ達の掘った穴を埋めるのだが、そんな時はどのチビも足元に来て鼻面を穴に突っ込んで来る。
とにかく好奇心の塊で、暇さえあればイタズラをしているのだから、外に出していても、時々様子をみないと、何をしでかしているのか分らないのだ。
この間は、鼻白にいちゃんの姿がどこにも見えないので、これはチッピと同じように脱走したかと思ったら、何と網とスチールの板の間に入り込んで身動きがとれなくなっているのだ。
どうしてそんな所に入り込めたのか、よく分らないが、とにかく助け出してやると、さすがにビックリしたのか、おとなしくダッコされたままで、しばらくじっとしていた。
頭の良いチッピを遊ばせる時には、なるべく大家さんが外にいる時をねらって網の中に入れるのだが、これは効果的であるようだ。
画室を出る時、ケージを並べてキルティングシートをかけてやるのだが、これからは夜中の冷え込みがきつくなるので、少し心配だ。
大家さんの寝る場所も、どこかに作ってやりたい。
今の所は、画室の東にある庇付きのスペースに毛布を積んで、その中に猫ハウスを包み込んでやれば、何とかなるだろうと思っている。
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- 平成15年10月24日(金曜日)
【晴】
稲刈りの後の田はイエローオーカ色に染まり、それを縁取る畔には、まだ衰えを見せない草の緑、そしてセイタカアワダチソウの黄色と所々に自生するコスモスの薄紅色が映えて、今秋の野は色鮮やかである。
画室の庭のミニトマトは、枝も葉も勢いが良く、花もたくさん付けている。
実は何と数百個はあるだろうか。
およそ畳二枚程にまで広がったその姿には、頼もしい雰囲気さえ感じられる。
消毒や肥料の類は一切使わず、支柱も中心に二本あるだけで、あとは自然のままである。
だから、ほとんどの茎は地を這っているのに、これという傷もなく、力強く生き続けているのには、本当に驚くばかりだ。
更に雑草を取り除くと、その下から大根が一本生えているのを発見した。
しかも、結構太い本体が青々とした葉の下から覗いている。
種を取った残りを捨てた時に、偶然着床したのだろう。
もう少ししたら、大根おろしにして御馳走になろう。
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- 平成15年10月23日(木曜日)
【晴】
今日は母屋の兄夫婦と一緒に、会津の大内宿に出掛ける予定で、いつもより早目に家を出て、朝もやのけぶる中を画室に向ったが、途中で携帯のベルが鳴った。
受信のほとんどはメールで、電話を、しかもこの時間に受信するのは、きっと何か不測の事態が起きたのだろうと、自転車を止めて応答すると、案の定兄が早朝に眼球出血をしたのだと言うのだ。
とにかく道を急ぎ、母屋に着いて兄の目を見ると、何とざくろを潰したような症状で、周囲にも内出血があった。
本人はどこかにぶつけた覚えもなく、朝起き抜けに鏡を見て驚いたのだそうだ。
慌しく病院に向い、二時間程で帰宅、外観の凄さ程の重症ではなく、入院や手術をしなくても、約一ヶ月の静養で治癒するとの診断で、薬も、今使っているもの以外は必要ないそうであった。
一安心したところで、義姉を手伝って庭のミニトマトを収穫したのだが、これが驚く程大粒で数も何百個と大したものになっていた。
毎日室内から眺めていた時には、日に日に成長していく様子が薄気味悪い程であった。
しかし、これほど実が付いているとは思わず、自然の大きさに義姉共々畏敬の念に打たれる事しきりであった。
午後Aギフトの社長が来室する。
夕方チビ達の様子をみて、少し寒さ対策が必要と思い、キルティングのシートを引っ張り出して、ケージの半分を包んだ。
昼間は気にならないが、夕方になると、閉めきった南のガラス戸の隙間から入る風が意外に冷たいのだ。
そろそろ皆を家に戻す時期かもしれないのだが、今朝も「ピョンピョン」と大きな声をあげながら画室に来た、近所の小さな女の子が、きっと寂しがると思うと、ついもう少しもう少しと連れ帰る時が遅くなってしまう。
まあ仕方ない、来月早々には家に連れ帰ろう。
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- 平成15年10月22日(水曜日)
【雨】
今朝はどしゃぶりの雨。
あいにくな事に合羽を画室に置いてきてしまったので、ありあわせのもので身を包み、とにかく出発した。
ところが半分程の道程で全身汗まみれ。
やはりダイエットスーツでは合羽の代りは無理だった。
画室に着いて南のガラス戸を開けると、大家さんの姿がない。
雨の降る中で、しばらく待っていたのだろうが、なかなか戸が開かないので、しびれを切らせてどこかへ行ってしまったのだろう。
少し気の毒な事をしてしまった。
チビ達の世話を終えると、塾生が来室、午前中のレッスンを始める。
塾生が帰った後仕事に戻り、昨日は立て続けの来客で少しペースが狂った分を取り戻した。
雨の日は何とも仕事のはかが行く。
いつの間にか大家さんが入って来て、じっとこっちを見ている。
早くメシくれという事なのだろう。
塾生の一人が、いつも届けてくれる猫用レトルト食品の封を切り、外の容器に入れてやると、むさぼるように食べていた。
舌なめずりをしながら室内に戻った大家さんのために、少し暑いがファンヒーターを点けてやった。
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- 平成15年10月21日(火曜日)
【晴】
午前中堀越氏来室、銀行口座開設についての質問を持って来る。
午後、スマッシュの阿部氏が久々に来室する。
夕方、朝日市民ニュースの阿部女史より電話、取材のためこれから伺いたいとの事。
取材内容は、11月9日刊行の誌の「座右の銘」に出て欲しいとの事であった。
「座右の銘」は、結構広いスペースに大きな写真入りで載るため、少し照れくさいのだが、いつもお世話になっている以上、できるだけ協力しなければと思い、快く引き受ける。
1時間後に阿部女史来室、久し振りの訪問なので本題に入る前の話に花が咲き、外はいつの間にか夕闇に染まり、足元が冷え冷えとしてきた。
女史を送り出し、書店に立ち寄った後に郵便局に廻り、スマッシュの前を通ると阿部氏の姿が店内にあった。
めったにない事だが、自転車を停めて店に入り、少しの間雑談して帰路につく。
道すがら、先月交通事故で急逝した阿部女史の親友の事を思い、黙祷を続けた。
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- 平成15年10月20日(月曜日)
【晴】
表の街道から幼い子の歓声が聞えてくる。
あ〃またあの子が来たなと思っていると、「こんにちは。うさぎ見せて下さい」と、お母さんが入って来た。
まだ1歳になるかならないかの小さな女の子は、うさぎが大好きでよく遊びに来るのだ。
「ハーイどうぞ、今出しますからね」
土間のガラス戸を開けて、チビクロにいちゃんとスカンクにいちゃんを出してやると、キャーキャー言いながらしばらく遊んでいた。
この2匹は頭を撫でられるのがとても好きなので、小さな子供が触っても安心なのだ。
土間のテーブルにあった飴を見つけ、お母さんに口に入れてもらうと、余程嬉しかったのか、ケタケタと笑って喜ぶのだった。
午後、チビ達の外遊びが一巡すると、それを待っていたかのように陽がかけってきた。
少し寒いので縁側のガラス戸を大家さんが出入り出来るだけ開けて、後は閉めておいたが、それでも結構隙間風が身に染みてくる。
そういえば先週の土曜日、この秋始めての灯油売りの車がこの辺りを流しに来た。
先日、しまっておいたファンヒーターを出して試運転を済ませてあるので、暖房は万全だ。
間もなく木枯しが吹きはじめて、この辺りの風景も一変する。
そろそろ画室の隙間の目張りもしなければならないだろう。
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- 平成15年10月19日(日曜日)
【晴】
昨日のソバの残りを、温めた汁の中に入れ、軽く煮立ててドンブリに空け、遅い朝食を摂る。
例によって大家さんがすぐそばまで来て、じっとこっちを睨んでいるのは、私にもちょうだいという意思表示なのだ。
ひと箸つまみ外の器に置くと、足元を走り抜けてソバにかぶりついた。
とにかく何でも食べるからたいしたものだ。
ソバを食べていると、子供の頃によく来た按摩さんの事を思い出した。
その人は小林のオバさんと呼ばれていたが、夕方になると黒くて丸い眼鏡をかけ、白衣と白い杖という、あの頃では典型的なスタイルで、やって来るのだった。
母の揉み療治を終えると、必ず夕食を摂ってから帰っていくのだが、その間の話し相手になるのが私の日課であった。
その中で楽しみだったのは一人膳に乗せて運ばれた夕食を(大抵は煮込みうどんか掛けそば、すいとんなどの汁物だった)本当に美味しそうに食べる様子を眺める事だった。
まるで食べ物が意思を持っているかのように口に運ばれていくのと、結構熱いはずなのに実に滑らかに食べるのが、とても素晴らしかったのだ。
後で聞いた話では、目の不自由なオバさんが、あまり不自由なく食事が出来るようにと、うどんや野菜、鶏肉や油揚げなどを一腕にして出していたのだそうだ。
勿論、少し早目に用意して、程好く冷ましてから膳に乗せていたという事であった。
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- 平成15年10月18日(土曜日)
【晴】
佐野はラーメンも有名だが、その名声に隠れて影が薄くなっているもうひとつの名物に、「イモフライ」があるのを知る人は意外に少ない。
ひねじゃがを茹でて、適当な大きさに切ったものを串に刺し、衣を付けて油で揚げ、ウスターソースをかけて食べるという、実に素朴な食べ物だが、これが結構美味しくて、祭やバザーなどのイベントには欠かせないものなのだ。
それはちょうど上州の焼きまんじゅうと、役割が似ているような気がするのだが、焼きまんじゅうも祭やイベントを飾るには欠かせない食べ物だろう。
足利はどちらかというと、やはりヤキソバだろうか。
ヤキソバといっても、中華料理店で出すあのヤキソバではなくて、ソースヤキソバの事である。
昔はヤキソバといえば、屋台か子供相手の駄菓子屋のおばさんが焼いてくれたもので、それは美味いものだった。
今でもヤキソバの店のほとんどは、小屋掛けのような雰囲気か、自宅の一隅を改装したような気軽な店が多く、値段も300円から400円と手頃である。
画室の近所にもヤキソバの店が3軒ほどあり、それぞれに味に工夫を凝らして頑張っている。
しかし、何といっても忘れられない味のヤキソバは、家の近所の稲荷神社の辻にあった、平野のオバさんのものに尽きるだろう。
まずラードは豚の脂身から作った自家製のものしか使わず、スープは鶏と豚のガラを半分づつの中に臭み取りの野菜を入れて、毎日手作りしたものを使っていた。
厚さ1cmほどの鋳鉄製の板にまずラードを乗せ、それが直ぐに熱くなると、キャベツやネギ、時にはモヤシ、そして極めつけはイカの細切り(乾物)、そして注文に応じてポテトなどを置いて強火で一気に炒めていく。
そこにソバを置いて、両手のヘラで野菜と絡めながら軽く焼くと、今度はスープをかけまわして、勢いよく立つ香り高い湯気で蒸すように、ヘラでさばくのだが、その手際が実に見事なのだ。
その後ソースをかけて、また軽く焼いたら、青のり、エビをかけて皿に取り分けて出してくれる。
こう書くとかなりの時間がかかっているように思うが、実はほんの数分の事なのだ。
空きっ腹を抱えての下校途中、何度このヤキソバのお世話になった事だろうか。
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- 平成15年10月17日(金曜日)
【晴】
朝の斜めの陽を受けて、吐き捨てられたタンやツバが路上のいたる所で光っている。
踏まないように気を配っての自転車運転は、結構気疲れするのだが、それ以上に何でこんな汚らしい事をするのか、つくづく情けなくなってくる。
子供の頃に母がよく言っていたが、口から何かを地に吐き捨てるのは犬畜生と同じで、人の所業ではないのだそうだ。
タンやツバに限らず、よく路上に飲料のパックや空き缶が何のためらいもなく打ち捨てられているのを見かけるが、そんな事を平気でする人間の心は、やはり病んでいるのだろうか。
時間帯から考えると、通勤通学途中での行為なのだろうが、歩道上や通路の外側のものは、多分自転車か歩行者の仕業だろうが、道の中央近くのものは、車の運転中に吐き出したものかもしれない。
日本人の多くが、誇りと恥を知る心を失った今、この程度の事で驚いてはいられない程、人間の資質が低下してきているとしたら、もうそろそろ置き忘れてきたものに目を向け、取り戻すべきものは取り戻すべきなのかもしれない。
何を取り戻すかは、何を失ったかを考える事で、自ずから見えてくるのかもしれない。
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- 平成15年10月16日(木曜日)
【晴】
今日の弁当は煮込みうどんの予定で、材料一式をビニール袋に入れ、忘れないように携帯を乗せていたのだが、その携帯ごと置き忘れてしまい、一日中空きっ腹を抱えて過ごす事となった。
画室に着いたのがいつもより少し遅れたので、自転車を置いたとたんに、朝飯にありつくのを諦めかけていた大家さんが「ニャー」と声を掛けてきた。
急いでカーテンとガラス戸を開けると、「ニャ……」と長く引っ張った鳴き声で遅刻を怒っている。
最近は時々だが鳴くようになったけれど、相変らずそばには寄せてくれない。
そのくせ、ほとんど一日中画室の縁側で昼寝しているのだから、いったいこいつは慣れているのかそうでないのか、さっぱり分らないのだ。
チビ達はもう大家さんの姿を見ても何とも思わないらしく、すぐそばで寝そべっていても、のん気にエサを食べたり、水を飲んだりしている。
大家さんはうさぎのエサも食べるのだが、あんなものを食べて本当に美味いのだろうか。
集会場の親子も、夕方元気にエサを食べていたが、チビのくせに結構欲が深くて、自分の近くのエサを、他のチビが食べようとすると、前足でおさえて邪魔をしている。
お母さんは小柄で、どちらかといえばきゃしゃな体格だが、結構美人なのが嬉しい。
あとでエサを持っていってやるつもりである。
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- 平成15年10月15日(水曜日)
【晴】
どうにも気になって仕方がないので、野外レッスンの帰路、ばん阿寺の茶店を覗くと、平日なのに店が開いていた。
足利学校の駐車場に、観光バスが数台あったのを見ると、今日は多分観光客が多勢来るのだろう。
そんな時は、この茶店も開けるのに違いない。
店の前を通りながら中を覗き、ラーメンの値段をチェックすると、何と180円が350円に値上がりしていた。
その他、ミソオデンにところてん、草だんごにモチなど、どこにでもあるメニューが並んでいた。
昨日はストーブが欲しい程の寒さだったのに、今日はTシャツの上に軽い上衣を着込んでいるだけで汗ばむ程の陽気。
これでは体がついて行けない。
午後、近くまでスケッチに出掛けたが、仕上げ一歩手前の作品を、鳥の糞が落ちてきてダメにしてしまった。
午後4時帰室し、描き直しの下準備をして帰路につく。
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- 平成15年10月14日(火曜日)
【雨】
ばん阿寺の南大門をくぐって左に行くと直ぐに、昔のような風情の造りではないが、土日と祭日にだけ商いをする茶店がある。
売っている物は、この手の店にありがちの物で、何も特別な名物という程の目玉がある訳でもないが、ひとつだけ気を引く物がある。
ここ数年は寄ってはいないので、果して昔と変らない値段と味かどうかは保証できないけれど、その店で出すラーメンが、何とも懐かしい味なのだ。
値段は確か180円であったが、今ではさすがにもっと高いだろう。
勿論行列が出来る程の絶品であるはずもなく、とりたてて変った物が入っている訳でもない。
要するに昔食べた味なのだ。
かつてのラーメンドンブリは妙に中途半端な大きさで、小さくもなく、さりとて大きくもなくという感じであったような気がする。
もしかしたら、あの大きさがあの値段の重要な要素になっているのかもしれない。
それと同じ大きさで、味もよく似ているラーメンの店が、足利日赤の6階にある。
値段は確か280円で、大盛りは100円増しだった。
面白いのは、大盛りを頼んでも同じドンブリを使うので、麺が溢れるように入っているところ。
ひと口に昔の味といっても、本当の昔の味なんて、今ではそう簡単に出せるものではないだろう。
何せ素材のひとつひとつが、文字通りの天然食材で、ラードは豚の脂を煮て作ったし、支那竹もチャーシューもその店で一品一品手作りしていた。
スープにいたっては、具のひとつひとつ、例えばトリガラ、ブタガラの鶏も豚も、残飯や雑草で育っていたし、野菜にいたっては、農薬などはおよそ無縁で収穫したものだから、美味くないはずがない。
醤油は少し置くとカビが生えてきたし、塩はほとんど天然塩。
そして何よりも料理する人の心意気が凄かった。
あの頃の人達の自分の仕事への責任感は凄く、まさに生命がけで職責を果したといっても過言ではなかったろう。
上は人の上に立つ人、下は市井の名も無き人に至るまで。
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- 平成15年10月13日(月曜日)
【晴のち雨のち晴】
朝から蒸し暑い程の天気が、昼近くになると雨になり、かなり激しい降りが一時間以上続くと、また陽が差して来て、アッという間に夏のような陽気となった。
庭が水に濡れて、いつものようにチビ達を遊ばせてやれないので、皆少しイラついているようである。
せっかく晴れたので少し早目に画室を閉めて、近くの二ヶ所にスケッチに出掛ける。
一ヶ所はJR両毛線の小さなガードで、今日で三度目、もう一ヶ所は、そのガードをくぐり少し行った所にある切通しへ抜ける部落の小道である。
車一台がやっと通れる程の狭い坂道の両脇には、農家の物置や、屋敷の境界の樹、生垣などがあり、車や人が通る度に写生を中断して、脇に避けなければならないが、結構落ち着いて描ける雰囲気の場所なのだ。
一区切りしたところで道具をたたみ、ご近所にお礼の挨拶をして帰路につく。
かなり傾いた陽に、黄金色の稲穂の上に舞う無数の羽虫がきらきらと羽根を光らせている。
雨後の空は、戦いを終えて退陣して行く雲の群れで満ち満ちて荒々しく、雲間の青を背に、黒々とそびえ立つ赤城山の勇姿が清々しい。
いたる所に群生するコスモスも、先程の雨に洗われてより鮮やかに咲き誇っている。
陽が山の端に沈むと間もなく、辺りは薄闇に包まれ、ついさっきまでの陽のきらめきが嘘のようである。
風は急に涼しさを満たし、Tシャツにメッシュベストを着ただけでは少し寒い。
帰宅途中に、眼鏡屋の友人の所に顔を出した。
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- 平成15年10月12日(日曜日)
【雨のち曇】
そういえば最近、インスタントは別にして、ラーメンと呼ばれる美味なるものを食していない。
隣の佐野市は、ラーメンの街として全国的に有名だが、足利には、佐野市に負けるとも劣らないラーメンを食べさせる店が、結構あるのを意外に知らないようだ。
しかし、どんな評判の店で食べても、子供の頃に味わった屋台のラーメンより美味しいものに、今だ出会った事がない。
あの頃の屋台は今のそれとは違って、人が引いて売り歩いたものだし、チャルメラも当然生演奏であった。
屋台の醍醐味は、何といってもあの素晴らしい香りと、夜の闇の中に浮び上がる、もうもうとした湯気の白さだ。
しかも、冬の夜寒の中を、背を丸め足踏みしながら、ドンブリが前に出されてから、タレが注がれ、そこにスープが入って、菜箸で軽くかきまぜられ、アッという間に茹で上がった麺が手早く放り込まれると、次には目にも止らぬ早さで、チャーシュー、のり、きざみネギ、季節によっては青菜のおひたしが乗せられ「ハイッおまち」と、まるで手品を見ているような興奮の一時が終る。
そして、直後に訪れる、あの至福の瞬間。
冷え切った身体に、ときめく味と共に暖気が入って来る。
もう誰も喋る事などありはしない。
ただ黙々と箸を使ってラーメンをすすり込み、スープを飲み、チャーシューをかじる。
多分、この時に戦争を考えている人間はいないと思う。
あの頃、ラーメン一杯の値段は30円だった。
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- 平成15年10月11日(土曜日)
【晴】
午前4時に起床し、母が用意してくれた弁当を抱えて、まだ暗い外に飛び出して集合場所に駆け付けると、もう半分以上の仲間が既に集まっていた。
今日は楽しみにしていた山栗採りに山に入るのだ。
行く先は両崖山から天狗山に至る尾根の下の斜面で、栗やくぬぎ、もみじやかしといった雑木が密生する、道のない場所であるため、夏の百合の根、秋のキノコ、春の山菜と、栗の実以外にも豊かな山の華を齎してくれる恵みの地であった。
西ノ宮の谷をどんずまりの弁天池までつめて、天狗山から真南に落ちる沢沿いを登り始める頃には、あたりは少し明るくなってきて、懐中電燈を消しても、足元が微かに見えるようになっていた。
斜面の中間地点まで登ったところで、進行方向を右にとってヤブの中に入り、ほぼ真横を30分程行くと、下生えのほとんどない、広さが100m四方位の栗の群生地に着くのだが、勿論屋敷栗とは違い、山栗の実はひとつひとつが半分程の小粒である。
その代り、屋敷栗よりも甘味が強く、その頃の子供達にとっては、またとない御馳走であるばかりではなく、親にとっても食卓に色を添える、格好の素材なのだ。
足元は見渡す限り栗のイガが落ちていて、皆は用意してきた道具と足を器用に使って、黙々と栗を採っては、背中のザマに投げ入れていく。
3時間も採ると、ザマの中は山栗でほぼ満杯になる。
これ以上欲張ると、今度は午後からのキノコ採りがきつくなってしまうので、そこそこに切り上げ尾根を上がる。
少し早い昼の弁当をかき込み、水筒の水で渇きを満たすと、今度は自分達だけの秘密の城(キノコの群生地)を目指してまた斜面を下って行く。
午後3時頃には、全員のザマは山盛りのキノコで、その高さはそれぞれの頭を越える程であった。
およそ今では想像もつかない、子供の頃の豊かな自然の姿である。
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- 平成15年10月10日(金曜日)
【晴】
早朝の大気は正に秋冷そのもので、少し厚手のブルゾンを抜けて、ひんやりとした感触が身を包む。
それでも道を半分も過ぎる頃には、軽く汗ばむ程体が暖まってきて、上衣を脱ぐ事になる。
道の端に自生するセイタカアワダチ草の花が、日増しに黄色味を増しつつ成長しつづけているのも、やはり季節なのだろう。
コスモスの豊かな色彩に様々の野の花の色が重なって、ドキッとする程美しい風景を打ち壊すものは、心無い人の放置した犬の糞だが、その人達の心の中は、いったいどんな風になっているのか時々不思議に思えてならない。
おそらく犬の糞のように汚らしいのは容易に想像がつくが、自分の存在が世の中の害悪になっている事に生涯気付かずに生きていくのだとしたら、実に哀れなものである。
世の中が腐るのは、際立って見える凶悪な存在もさる事ながら、実は平凡な一般人が日常垂れ流している、ささやかな悪行の集積なのだと聞く。
その意味では、現代の日本は、余程の覚悟をして軌道修正と事態の改善を計らなければならない程に、その堕落は限界に来ているだろう。
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- 平成15年10月9日(木曜日)
【晴】
自分の直ぐ目の前で長々と寝そべって、気持ち良さそうに昼寝している大家さんの態度が、当人には余程気にさわったのだろうか、後足を床に叩き付けてはケージの中を行ったり来たり、しかも目線は大家さんに向けたまま。
その上「ウー」とも「ブー」ともつかない、アヒルのような鳴き声をあげては、ケージの網をかじっている様子は、まるでガンを飛ばすお兄ちゃんといった感じで、思わず笑ってしまう。
その様子を、チッピのケージの上に乗っているチビクロにいちゃんが、キョトンと不思議そうに眺めている。
チビクロにいちゃんは、チビどころか一番でかくてコロコロしているのだが、性格はいたって大人しく、おまけに大変なのんびり屋だ。
それだけに皆の中で一番淋しがり屋で、毎朝画室に着くと直ぐにチビクロにいちゃんの頭を撫でてやらないと、いつまでもケージの網をかじっている。
いい加減チビにいちゃんをいらつかせた大家さんが、フラッと表に出て行って間もなく、例の追いはぎのような悪猫とその子分が、大家さんを追い駆け回して庭中を駆け回り、それにはチビ達全員が、物凄く興奮して大騒ぎとなった。
中でもチッピのおびえ方はかなりのもので、この様子だと、逃亡中に追い回された経験があるのだろうか。
仕方がないのでケージから出して、しばらくダッコしてやると、少しずつ落ち着いてきたので一安心。
その中でチビにいちゃんと鼻白にいちゃんの態度は、明らかにおびえではなく、極めて攻撃的だったようだ。
こいつらは間違いなく札付きのヤンキーである。
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- 平成15年10月8日(水曜日)
【晴】
画室近くの放置されたぶどう園に、最近よくスズメが群れを成してやって来るようになった。
お目当ては勿論ぶどうの実なのだが、少し前まで熟した房がたわわに垂れている頃には近寄りもしなかった。
それが今、房ごとしなびて、まるでレーズンのようになってしまったのが美味しいのか、朝から夕方まで、入れ代り立ち代りに、幸運にも用意された食卓に来て、夢の饗宴に酔っているという訳である。
ぶどうはともかく、いつも通る道のあちこちにある、柿やイチジク、そしてザクロなどの実は、ほとんど収穫される事もなく地に落ちて腐ってしまうようであるのが残念だ。
小学校裏の神社の前を通り過ぎる時に、ふと上を見上げると、手を伸ばせば届きそうな高さの椎の木の枝いっぱいに、まだ青い実が付いているのがみとめられた。
もう少し秋が深まると、椎の実を包んでいた表皮が弾けて、茶色く熟した種子が覗く。
子供の頃は、その硬い殻を歯で割った後、中にいっぱい詰った白い果肉を食べると、微かに甘くミルキーな味が口いっぱいに広がって、富で至福の時を味わったものだった。
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- 平成15年10月7日(火曜日)
【晴】
今朝は鼻白チビにいちゃんのご機嫌がとても悪くて、人の顔を見れば盛んにケンカを売って来る。
「ウーウー」と唸りながらケージの中を右に左にと駆け回り、時々金網に噛り付いては、また駆け回るというアクションを繰り返すのだ。
そんな時は急いでケージの前にタオルを垂らさないと、次には大抵オシッコ攻撃が来て、顔面にあの黄色いオシッコをぶっ掛けられる事になる。
あんな可愛い顔をしていても、やる事は人間の悪ガキに決して負けないどころか、そのヤンキーぶりは上をいくだろう。
とにかく噛み付くは蹴り付けるはオシッコを引っ掛けるはで、その上に目と目が合おうものなら、とたんに突っ掛って来るのだから本当に始末が悪い。
そのくせ好奇心は人一倍強くて、遊び場に出来た穴ポコを埋めていると、必ず走り寄って鼻先を突っ込んで来るのだ。
こんな様子では、この子を貰ってくれる人はまずいないだろう。
困った、困った。
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- 平成15年10月6日(月曜日)
【晴】
目を覆うような凶悪な犯罪が、このところ増加しているようだ。
しかも犯罪者の年齢が急激に低年齢化しているのも、日本の将来にとって極めて憂慮するべき事なのは、今更論を待たない。
高い徳性を備えた人間を育成するには、いったいどうすれば良いのだろうか。
あらゆる価値観が大手を振ってまかり通る事が許される現代民主社会の中で、他者尊重や博愛精神に裏付けされた強い自己抑制を持ち、許しと寛容の香り高い人間性が醸されるのは極めて難しい。
かつて私達日本人は、恥を知り、何よりも潔く生きる事を己の生命にかけて貫いた、世界でも稀有の民族であったのではなかったか。
この世の最も弱き者の前にひれ伏す誇りさえあれば、人は自己を限りなき高みへと導く道を見失う事はないのを、名もなき人達さえ自明の理としていた事を、もう一度思い起こし取り戻したいものと切実に願わずにはいられない。
人が人としての名に値する資格を得るためには、堅牢で長期にわたる教育を要するという真理が放棄された時、人間の辿る道は、もはや獣のそれでしかない。
この世に生を受け、世の害悪としか生存の意味を持てなかった人生を歩む者達こそ、最も悲しむべき存在なのかもしれない。
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- 平成15年10月5日(日曜日)
【晴】
大沼田集会場の床下で暮す野良母さんとその子供達は、多分誰かがエサをくれて面倒をみてくれているのか、あまりやつれてもいずに元気で飛び回っている。
母さんは時々集会場からかなり離れた所で見掛けるが、誰からも可愛がられているようで、そんな扱いからか、とても穏やかな表情をしている。
声を掛けると目を細めて逃げようともしないのに比べ、子供達は生まれついての野良根性を発揮して、すぐに隠れてしまう。
母さんの毛並みと顔付きは、一年前に画室の納戸にもぐり込んでいた子猫達の一匹に違いない。
この辺には野犬がいないのが幸いして、親子も無事に生活していけるのだろう。
集会場の向いの亀山商店のおじさんが面倒をみていた野良猫達の姿が、最近は全く見られなくなったので、それとなく様子を聞いてみたら、皆それぞれに貰われていったのだそうだ。
このチビニャンコ達にも、うまく里親がみつかってくれれば良いが、なかなか大変だろう。
今日の午後、いつも大家さんをいじめているギャング猫が画室の庭をふてぶてしく横切っていった。
全身から漂ってくる狂暴さに似つかわしい面構えで、ジロッと睨まれたチビクロにいちゃんは、アッという間に遊び場の中にある物影に隠れてしまい、しばらくは外に出て来なかったが、あんな奴に家出中のチッピが出会わなかったのは、本当に幸運であった。
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- 平成15年10月4日(土曜日)
【晴、夕方時雨】
さすが野良歴の長い大家さん、その猟の手際は見事なものである。
獲物のほとんどはバッタやイナゴなどの昆虫だが、今日は大家さんが庭に居たネズミを獲る瞬間を目撃した。
余分の力みがない流れるようなフットワークで、アッという間に獲物を捕える姿は、あの優しい面影からは想像できない。
どこで獲物を平らげたのか、しばらくして画室に戻って来た大家さんは、縁側から庭で遊ぶチビ達を静かに見守っていた。
鼻白にいちゃんの番の時に、大家さんは何を思ったのか縁側から庭に降り、遊び場の網のすぐそばまで行ってそばに駆け寄って来るチビをじっと見下ろしている。
もしかしたら、大家さんは鼻白にいちゃんを自分の子供だと思っているのかもしれない。
その気持ちは鼻白にいちゃんに限らず、チビ達全部に抱いているような気がしてならない。
チビ達も最近は大家さんがケージのすぐ近くに来ても、あまり警戒していないようである。
そういえば、大家さんはうさぎのエサを良く食べている。
庭で遊んでいるチビの空いたケージにもぐり込んで、エサ入れに鼻面を突っ込み、カリカリと音を発てて食べている様子は何だか滑稽である。
今日、受講生が大家さんにと、とびきりの御馳走を一抱え持って来てくれた。
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- 平成15年10月3日(金曜日)
【晴】
昨日は用心のためにチッピを庭の遊び場に出さなかったが、今日は他のチビ達が飛び跳ねて遊んでいるのを、さも羨ましそうに眺めているのが可哀想なので、最後に出してやった。
その代りに、どこから逃げ出そうとするのか見張っていたら、やはりこっちの様子をちゃんと観察していて、自分が見られている時には普通に遊んでいるのに、少し目を離していると、死角に廻り込んで網を噛み切ろうとするのだ。
前回の脱出ルートは、きちんと補修して使えなくしてあるのを何度も確認すると、今度は別の場所に穴を作ろうとするところなど、なかなかの知恵者である。
何度かの挑戦をその都度邪魔されて、とうとう諦めたのか、もうケージに戻りたいような素振を見せているので、網に近付いていくと、チッピも自分の方から近付いて来た。
そっと抱き上げると大人しくしているのは、きっとくたびれてしまったのだろう。
ケージに戻すとコテンと寝そべって肩で息をしている。
やはりだいぶ疲れたようだ。
大家さんは、今日も相変らず何回となく出入りしていて、チビ達のケージにかなり近付いては不思議そうに眺めている。
出来れば朝まで中に居てもらいたいのだがそうもいかず、夕方になるとお引取り願わなければならない。
画室近くの集会場の縁の下には、ノラかあちゃんとその子供達が5〜6匹住んでいるが、大家さんも夜はその辺りで過すのだろうか。
今はまだ良いが、間もなく厳しい寒さがやって来る。
もう少ししたら、何か考えてやらなければならないだろう。
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- 平成15年10月2日(木曜日)
【晴、午後より西の風】
画室に着いて縁側のカーテンを開け庭を見ると、何といつも待っている大家さんから少し離れたところに、チッピがチョコンと座ってこっちを見上げているではないか。
大家さんはチッピの事より、早く朝飯にありつきたいという思いが、ありありと顔に出ているが、それでも時折チッピの方を見る眼には、弱者に対する強者のいたわりがにじみ出ているのが良く分る。
あまりに意外な出来事に少し慌ててしまい、そのためチッピが驚いたのか、ちょっと目を離したすきに姿が見えなくなってしまった。
それでも近くに居る事は間違いないと確認し、チビにいちゃん達を囮に、チッピのケージを庭に出して待っていると、案の定どこからともなくチッピが姿をあらわし、辺りを警戒しながらケージに近付いて来た。
何度かケージの回りをまわった後、今まさに中へ入ろうとしたところに、近所で飼っているポインターが、まっしぐらにこっちに駆けて来るではないか。
これまでと思い庭に駆け降りようとした時、犬は主人の呼ぶ声に慌てて戻って行った。その直後、余程恐かったのかケージの中に飛び込んで行った。
急いでケージを画室の中に入れ、チビにいちゃん達も上に上げると、安堵のあまりしばらくその場に座り込んでしまった。
チッピがいなくなってから、大家さんと顔を合せる度に、この辺りが縄張りなのだから、何とかチッピを見付けて、連れ戻して欲しいと頼んでいたのが通じたとしか思えない。
カーテンを開けた時に、2匹が並んで座ってこっちを見上げている姿を見れば、どう考えても大家さんが連れ帰ってくれたとしか考えられないのだ。
ケージに戻ったチッピは、心からホッとしたという感じで、長々と寝そべって疲れを休めている様子が伝わってくる。
その様子を静かに見守っている大家さんに、今日は心からの感謝を込めて、尾頭付きの御馳走を振る舞った。
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- 平成15年10月1日(水曜日)
【晴のち曇】
もしかしたらチッピが帰って来ているかもしれないと、僅かな可能性に期待したが、外で待っていたのは大家さんだった。
いったい、どこに行ってしまったのだろうか。
捜すには、ここはあまりに広過ぎるし、いつも大家さんがウロウロしていては、もしもチッピが近くまで帰って来ても、家に近付けないかもしれない。
今朝も画室近くまで来たところで自転車を降りて、田の畔や草むらなどに注意して歩いたが、全く気配がない。
午前10時、受講生の来室を待って、その足で野外レッスンに出掛け、正午少し過ぎに戻り、直ぐに表を見てみたが、やはりチッピの姿はなかった。
こっちの心配をよそに、実は晴れて自由の身を心行くまで楽しんでいるのかもしれないので、もしかしたら数日後に帰って来る事だってないとはいえない。
とにかくチッピのケージはしばらくの間そのままにしておこう。
午後、F6号の水張りとドーサ引きを行い、その後新しい作品に取り掛る。
■アトリエ雑記は平成12年12月15日からスタートしました。
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