アトリエ白美「渡辺肖像画工房」 渡辺晃吉
- 平成15年9月30日(火曜日)
【晴】
今日は大変な事が起きてしまった。
チッピがいつの間にか遊び場から脱走し、行方不明になってしまったのだ。
おそらく前の畑を突っ切って山の方へ逃げて行ったのだろう。
いないのに気が付き、慌てて外に出て捜し歩いたが、とてもの事見付かるものではない。
何か動くものがあるので、、もしやと行ってみたら、大家さんがのんびりと画室に来る途中で、こっちの姿をみとめると、
「お前何でこんな所にいるんだよ」とでも言いたげな様子でこっちを見ていた。
今は良いが、冬になれば食べ物もなくなり、あんなか弱い動物が生き続けられる訳がない。
遊び飽きて帰って来るかもしれないので、一応庭で今夜をしのげる用意はしておいたが、果して帰って来るだろうか。
どこかの家に迷い込んで、その家の人達に飼ってもらえればそれも良いと思うのだが、そんなにうまく事は運ぶまい。
とにかく、明日は少し早目に画室に行って、近くをもう一度捜してみよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月29日(月曜日)
【晴】
久し振りに落日の中を帰路についた。
帰路のほとんどは西に向うために、陽は常に真正面にある。
稲穂の上に群れる赤トンボが、折からの逆光に反射して、視界は光り輝いていた。
画室近くの、打ち捨てられたぶどう畑の脇を通る時、熟して落ちた実が発酵しているのか、芳醇な香が大気に満ちて、体の中にまでしみ込んでくるようだ。
しばらく走る内に陽はみるみる沈み、辺りには夕闇がたち込めて、風景はいつの間にか紫色に染まる。
早々と点灯した車のライトが、意外な程優しく見えるのは、やはり季節の賜物なのか。
途中で思い立ち、暮れなずむ「ばんな寺」の境内を通り抜けようと思い、道を少し外れて行く事にする。
境内に入ると、思っていた以上に人の気配が多く、ゆっくりと散策する姿に、何となく気持ちが安らいでくる。
北門を抜けて「ぢけんじ通り」を北に進み、いつもの道に戻って帰路を急いだ。
夏はまだ微かにその名残を残してはいるが、辺りはもう秋気配が満ち満ちている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月28日(日曜日)
【晴】
午前6時少し過ぎに家を出て画室に向う。
肌寒い風が快く吹き、半袖でも程好い涼しさだ。
運動公園の正面から南に伸びる、通称「グランド通り」の栃の並木が、その大きな葉を少し染め始めてきたようだ。
道のあちこちにコスモスが咲き、所々ひまわりと重なっているのが今の季節を象徴しているようで面白い。
朝まだ早いというのに、谷を囲む山々には霞がなくなり、すっきりと色鮮やかに連なっているのも、やはり秋の大気のなせる技なのだろう。
夏の間は途絶えていたハイカーも、間もなく画室前の街道を行き交うようになり、日は段々と短くなっていく。
稲刈りが終ると、また大望山の山腹から神楽の音が谷に響き渡る季節となり、染まる秋と共に山の端にのぼる月が冴えて、闇を銀色に染める夜が多くなる。
夕方に道を行くウォーカーや犬の散歩の人達が、もしもライトではなく提灯を持って歩いたら、この谷は本当に美しいと思うのだが、今度自治会にでも提案してみようか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月27日(土曜日)
【晴】
日差しは強いが、カラッとした風が爽やかに吹き渡る、秋特有の清々しい日となった。
画室近くの小学校の側を通る時、いつもとは違い、やけに駐車している車が多いので、いったい何事かと思ったら、今日は運動会のようだ。
ゆっくりと自転車のペダルを踏んでも、やはり汗ばんでくる程なので、画室に着く頃には下着はかなり濡れていた。
チビ達の世話を終え、久し振りに画室中に掃除機をかけて、日頃手を抜いていた所もきれいにすると、もう午前11時近かった。
一息入れる間もなく、描きかけの作品に手を入れていると、大家さんがノソッと上り込んできて、縁側のテーブルの下に入っていった。
来て直ぐにエサをやったのだが、食事が済むと、どこかに出掛けて行った。
きっといつもの巡回を済ませて戻って来たのだろう。
最近ではチビ達も大家さんの姿を見ても全く動揺しない。
体調もだいぶ良くなって、この調子なら平常に戻っても良いのだが、また具合が悪くなっても困るので、今週中は早目に仕事を切り上げる事にする。
午後1時、後始末をして帰路につく。
今日は朝からまだ食事をしていないので少しふらつくが、あまり外食をしないので、帰宅途中でどこかに寄るのもためらわれる。
思い立ってばんな寺の境内の茶店の前を通り、もしも店を開いているようなら、昔からの素朴な味のラーメンでも、久し振りに食べてみようと思い、少し遠回りをして立ち寄ってみた。
今日は休日だったためか、店は開いていたが、結構客がたてこんでいる様子なので、寄らずに通り過ぎた。
久し振りの晴れ間と、絵に描いたような秋日和で、境内にはかなりの人達がそぞろ歩いていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月26日(金曜日)
【曇】
画室に着くと、台所に何か大きな物が置いてあるのが、仕切りの暖簾越しに認められた。
見るとそれは黒いテーブルで、多分母屋がどこかで貰ってきたのだろう。
画室に置いてあるという事は、多分こっちで使ってよいという事なのだろうが、実はこんなテーブルが欲しかったのだ。
チビ達の世話を終えてコーヒーを入れた後、早速テーブルを上に持ってきて、南の縁側の端に据えた。
ホッと一息入れていると大家さんが上がってきて、迷わずテーブルの下にもぐり込んだ。
母がよく言っていたが、猫は本当に好奇心の強い生き物だなと思った。
ここ数日の雨で、チビ達を外で遊ばせてやれないので、特にチビにいちゃんと歯ムキにいちゃんが、かなりいらついているようだ。
やはり育ち盛りの最中に、狭いケージの中に閉じ込められっぱなしでは、いらつくのも無理はないだろう。
もうひとつの心配は、庭の草がだいぶ伸びてしまい、一日も早く刈り取りたいのに、体調の関係で作業が出来ない事。
まあ、草で死ぬ事はないから、焦らずにボチボチやろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月25日(木曜日)
【雨】
チビねえちゃんのかんしゃくは、日に日に強くなって、最近ではケージの掃除やトイレの砂を交換する時など、ウーウーと唸りながら突っ掛ってくるのには本当に閉口する。
別に噛み付いたりはしないのだが、前足でパンチされると少しはビビッテしまうし、爪が鋭いので結構痛いのだ。
それでも何度か頭や背中を撫でてやると、段々と落ち着いてきて、そっと抱き上げても大人しくしている。
不思議なのは、網におでこや頬を押し付けていても、鼻面をしきりに擦り付けてくるだけで、決して歯や爪を立てたりはしないのだ。
そのくせ指を入れると歯を剥いてかかってくるので、つい面白くなってからかってしまうのだが、油断するとガブッときて血が出る程のダメージを受ける事になる。
しかし、やはり女の子で、チビにいちゃんや歯ムキにいちゃん程狂暴?ではないのが面白い。
チビねえちゃんといいクロたんといい、鳴くのはメスの方らしい。
今までオスで鳴いた奴はいないが、その代り咽の奥からウンウンと、まるで返事をするような声を出すのだが、メスにはどうやら、そのような声を出す奴はいないようだ。
歯ムキにいちゃんは相変らずオシッコ引っ掛けをするので、ケージ掃除する時には遠くへ離しておかなければ大変な目に会う。
とにかく、見事に顔をめがけて発射してくるので、たまったものではない。
うさぎのオシッコは黄色くて濃厚で、その上一回の量が結構多い。
臭いはどちらかといえばキツイ方で、糞の方がはるかに始末しやすい。
一日の量はモモにいちゃんが一番多くて、スカンクにいちゃんが一番少ない。
大きさはチッピが一番小さく、何とチビねえちゃんがその倍はある。
どうやら、糞のサイズは体のサイズとは関係ないようだ。
指を舐めるのはクロたんとチビクロにいちゃんで、他の奴は顎を擦り付ける事はあっても指舐めはしない。
ただクロ母さんだけはケージ越しにおでこやほっぺたをペロペロ舐める。
とにかく、うさぎは驚く程性質の違う存在なのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月24日(水曜日)
【曇】
国道50号線を、御厨(みくりや)小学校辺りから南へ横断し、高松町に入ると間もなく、県境の矢場川に突き当る。
その手前を左に折れて川を渡ると、そこはもう群馬県館林市の西部、「日向」地区である。
日向の部落を更に南下して多々良川を渡り、木戸の部落を東に行くと大きな水門が見えてくる。
「木戸の水門」である。
手前を左折せずに道を辿り、矢場川を渡って直ぐに多々良駅があるのだが、そこから街道を逸れて右折し、細い旧道を西に進むと、やがて人家が疎らになり、田の中に島のような森が見えてくる。
どこをどう辿ったか正確には憶えていないが、両脇に生垣が続く静かな屋敷の並ぶ道を更に行くと、前方に銀杏の大木があり、その根方に六地蔵が安置された辻に出た。
そこまで来ると、道は軽四輪さえすれ違うのがやっとという狭さになり、六地蔵から先は、左の屋敷林と、右の寺の樹が道を覆って、深い緑陰を作っている。
ほど良い所で緑陰の中に佇み、後ろを振り返ってみると、六地蔵の辺りには強い日差しが差し込んで、目が眩む程の眩しさであった。
耳に入る音といえば、姦しい蝉時雨と、銀杏の枝や竹林を吹き抜けていく風の音だけであった。
夏の盛りの気だるい午後に出会ったスケッチポイントである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月23日(火曜日)
【晴】
秋の彼岸に作るのは「おはぎ」で、夏の彼岸は「ぼたもち」と呼ぶのだと、母が子供の頃教えてくれた。
ぼたもちは牡丹の花に因み、おはぎは萩の花に因んで、そう名付けられたと聞く。
おはぎは、すりゴマときなこを餅米にまぶした、餡とは趣の違う味が楽しめる秋らしい一品で、餅米の熱で少し溶けた砂糖とすりゴマの良い香りと舌触りに、我を忘れて食らい付いた昔を思い出す。
今ではほとんどの家庭が、おはぎやぼたもちを手作りする事はなく、和菓子屋かスーパーで買って済ませるのだろうが、餅米を蒸す時の、あの甘い香りや、何となく華やいだ台所の雰囲気や物音に、どれほど心豊かな時間を過した事だろうか。
日本画では、実際の描画作業の前に、ニカワを炊く仕事や、胡粉を溶く仕事、加えて絵具の一色一色を作っていくという、いわば「間」のようなものが存在し、その「間」が制作上、極めて重要な意味を持っているような気がする。
おはぎやぼたもちも、店で買えばそれで結果は得られるのだろうが、果してその一個には、どれだけの思いが包み込まれているのだろうか。
人は便利さを得る代償に大切なものを支払ったといわれるようになって久しいし、その言葉自体にも、あまり説得力があるとは思えないが、人間が本来人間らしく生きるためのフィールドが変質すれば、その結果は必ずしも望ましいものにはならないのは、論を待たないだろう。
一見ムダと思うようなものや、所謂、事と事との間にある「間」というものこそ、実は精神活動にとって、重要な癒し効果を持っているのかもしれない。
今日は彼岸の中日。
手に付いたきなこを舐めながらほ〃ばった「おはぎ」に思いをはせていると、ふとこんな事を考えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月22日(月曜日)
【雨のち晴】
(昨日の続き)キャサリン台風の被害がどれほど甚大であったのかは、翌日の朝、父に手を引かれて目にした現場の惨状が何よりも雄弁に物語っていた。
上流から流されてきた家や流木、タンスや戸板といった物の他に、牛や馬、そして人間の亡骸が、流れの淀みや障害物に引っ掛かって揺れていたり、水の引いた地面に転がっていた。
動物の亡骸はともかく、人間のそれには出来る限りこもが被されていたが、頭髪の一部や足が覗いていて、それがかえって悲惨であった。
不思議な事に、亡骸のほとんどは裸であったので、その事を父に問うと、濁流に揉まれた亡骸は皆こうなるのだと教えてくれた。
土手の上が通れる所はその上を、それが無理な場所はいったん土手を下り、大きく迂回してまた土手に取り付きながら、かなりの道程を下流に向って歩いて行った。
水害の爪痕は、どこまで行っても途絶えずに続き、とうに歩けなくなった私を背負った父の足にも、どうやら限界がきたのだろうか。
今思えば、ほとんど佐野か館林の近くまで行ったと思うのだが、とうとう元来た道を引き返して、かなりの時間を掛けて家に辿り着いた。
足の疲れと空腹と、目にした現実の重みに潰されたのか、私はその日の夕方に発熱して、何日か床に就いたのだった。
昨日来からの台風も、どうやら関東地方に上陸せず通過したようだ。
降る雨の音を休養の床の中で聞きながら、ふと幼い日の体験を思い出した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月21日(日曜日)
【雨】
満5歳の夏だったと思う。
内陸部の北関東には滅多にない事だったが、その年には大きな台風が関東地方を直撃し、足利も渡良瀬川の氾濫で、多くの犠牲者を出した。
その台風が、あの「キャサリン台風」である。
堤防のギリギリまで水かさの増えた渡良瀬川が、間もなく氾濫するという少し前に、私は長兄に手を引かれて、現在のJR両毛線の直ぐ南側の道沿いにあった製材所の辺りから、「緑橋」が流されていく様子を眺めていた。
この橋は北岸の緑町地区と、南岸の山辺地区を結ぶ木製の永久橋で、橋の上に土を置いた、所謂「土橋」であった。
その橋が、逆巻く濁流の中を、ゆっくりと回転しながら押し流されていくのを見ていると、子供ながら身も震える恐怖で足がすくむのを感じた。
急いで家に帰りついた直後に、堤防の何ヶ所かが、ほとんど同時に決壊して、濁流が緑町を含む本町一帯を襲い、ほとんどの家は浸水の被害にみまわれたのだが、我が家も工場の方が完全に浸水して、そのあとはその後建物が建つ限り消える事がなかった。
住いは幸いな事に床下浸水に留まり、二階に避難していた家族は、九死に一生を得た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月19日(金曜日)
【晴】
今年になってから寒いにつけ暑いにつけ、ほとんど休みをとらずに仕事をしてきたが、この夏が例年になく変則的だったのも堪えたのだろうか。
このところだいぶ疲れが出てきたようで、少し無理をするとかなりダメージがあるようである。
やはり生身だという事なのだろう。
今日も昼少し前に近くのスーパーに出掛けたのは良いが、行く途中で久し振りに乗った電動スクーターがパンクしてしまった。
仕方なく炎天下の行き帰りをスクーターを押して歩いたが、それがいけなかったようだ。
画室に着くと、もうほとんど失神状態になってしまい、慌てて水を飲み体を横たえて、しばらく安静にしていたら、だいぶ楽にはなったものの、どうにも体に力が入らない。
ここは無理をせずに、少し休養をとった方が得策と、いつもよりだいぶ早い時間ではあったが、画室を閉めてゆっくりと帰路を辿り、午後3時30分に帰宅する。
やはり中途半端な休養では、体の疲れをすっかり取り去るのは無理かもしれない。
そろそろ秋の彼岸でもあるし、この辺で2〜3日休んでみるのも良いかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月18日(木曜日)
【晴】
チビねえちゃんとチビにいちゃん、そして歯ムキにいちゃんの3匹には、他の4匹とは違う共通の特徴がある。
それはケージの網ごしに決して頭を撫でさせないところ。
歯ムキにいちゃんなどは、「ギイギイ」という訳の分らない声を出しながら、私の指に噛み付いてくるのだ。
チビねえちゃんは「ブーブーブーブー」とブタの子供のような唸り声でものすごく怒って刃向ってくるし、チビにいちゃんは、網の桝目からくちばしを思い切り突き出して噛付こうとするのだ。
それなのに、網を開けてケージから出す時には決して歯を立てたりせず、おとなしく手の中に納まっているのだから、こいつらの考えている事など、全く理解出来ない。
おまけにチビにいちゃんに近付く時には、よほど注意していないと、トウモロコシのような臭いのオシッコを引っ掛けられる事になる。
その点、チビクロにいちゃんや、チッピ、クロタン、スカンクにいちゃんのチビ達のにいちゃんねえちゃん達は、もう大人になっているせいなのか、網ごしに頭や鼻の頭を撫でても、おとなしくしているのだ。
クロタンやチビクロにいちゃんなどは、指を入れると待ってましたとばかりに、ペロペロと舐めて親しみを表すというのに、うさぎとはいえ個性豊かなのには驚かされる。
大家さんは、どちらかといえば、チッピとチビクロにいちゃんが好きなようで、その2匹が庭の囲いの中で遊んでいると、きちんと座って静かに見守っている。
その姿は、まるで子供の遊びを見守る母親のような雰囲気である。
今日、大家さんは1mまで接近を許してくれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月17日(水曜日)
【晴】
自宅近くをうろついているノラ公の中に、後姿が大家さんそっくりの奴がいる。
先日そいつの顔を真正面から見る事が出来たのだが、毛並みは生き写しなのに、顔付きは、もし大家さんが「吉永小百合」ならノラ公は「組長」といったところだろうか。
生垣のくぐり戸を入ると、そいつは慌てて逃げて行き、2〜3m離れた所でこっちを振り向いた。
その直前までは、大家さんに似た顔付きを予想していただけに、あまりにワイルドなその風貌に、思わず笑ってしまった。
そいつはいかにも気に入らねえと言いたそうな表情でこっちをじろりと睨み付けると、急ぎ足で茂みの中に消えて行った。
今朝も縁側のカーテンを開けると、大家さんが待ち遠しそうな表情でこっちを見上げていたが、同じノラ猫とはいえ、これほどキャラクターが違うものとは思わなかった。
いつものように表の皿に入れた朝食を平らげると、大家さんはどこか知らぬ所に巡回して行った。
多分午後にならなければ戻って来ないだろうから、背戸を除いて全ての戸を閉め、チビ達のためにクーラーのスイッチを入れ、野外レッスンに出掛けた。
正午少し過ぎに帰室し、全ての戸を開けると、清々しい初秋の風がサッと吹き抜けて、たちまち室内の淀んだ空気がどこかに消し飛んでいった。
迫り来る秋が、居座っている夏を、ようやく押し退け始めたようである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月16日(火曜日)
【晴】
今日は朝から体調がおもわしくないのが気になるが、銀行への立ち寄りとチビ達の世話があるので、銀行が開く午前8時に合せて家を出る。
そのためか強い日差しの中を行く事になり、画室に着くと少し吐気がして頭痛もあるようであった。
午前10時のレッスンを何とか済ませると、後片付けもそこそこに家路についた。
なるべく無理をしないように、ゆっくりと自転車のペダルを踏むのだが、途中でどうしても何ヶ所かで休まねばならず、結局家に着くのに2時間近くかかってしまった。
やはり日曜日の炎天下の写生がきつかったようだ。
この季節は体調を崩さないためにも、充分な休養が必要な時期なのだろうが、それがなかなか難しいのが現状である。
時間の節約もあり、そろそろ毎日を自転車に乗らずに、時々はバイクで通った方が良いかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月15日(月曜日)
【晴】
大沼田の谷のあちこちには、ぶどう直売ののぼり旗が折からの風にはためいている。
ぶどう園の売り物は、大抵巨峰とピオーネで、少しデラウエアなどの品種もあるようだ。
市の東部から隣の佐野市の西部にかけては、梨や桃などの果物の一大産地となっており、南部のイチゴを含めて、この辺りでは重要な農産物となっている。
特にイチゴは「栃乙女」という大粒のものがあり、香りも甘さも非常に秀でた種類で、最初に出会うと皆かなり驚く。
とにかく大きさが子供の握り拳位あるのだから。
しかし、秋の味覚の代表は、何といっても梨ではないだろうか。
瑞々しく香りも芳醇で、クセのない甘さはいかにも上品この上なく、洋梨の個性とは対照的だ。
何よりも価格が庶民的なのも良い。
ぶどうはどうしても高価になるのは、色々な事情で仕方がないのだと聞く。
いずれにしても、たわわに実る果物を見ていると、心がとても豊かになり、少し贅沢な気持ちになるのは私だけだろうか。
今年の柿は不作との事で、なるほどそんな目で見ていると、実が青いのにだいぶ落ちてしまっているようだ。
そういえば本家のザクロや無花果の実は、おそらく収穫される事もなく、落ちて腐っていくのだろう。
今年はひとつ穫りに行ってみようか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月14日(日曜日)
【晴】
昨日に続き朝から猛暑の日曜日となった。
母屋の兄を手助けした後に、思い切って画室から10km程西にある造り酒屋を写生するために、上り下りの多い街道をゆっくりと進んだ。
現場に着いてみると、幸いな事にスケッチポイントは日影であった。
時折車が通り過ぎるだけで、人っ子ひとり通らない辻に立ち、自転車をイーゼル代りに2時間程描き込んで筆を置いた。
帰路は車の多い本街道を避けて、少し遠回りになるが、山沿いの集落の中を通って来たが、丈高く実った稲の上に赤トンボが無数に飛び交っているのを見ていると、やはり秋気配がそちこちに漂っているのを肌で感じるのだった。
画室に着いてみると、留守中に来客はなかったようなのでホッと一安心する。
こんな時に限って、遠来の客の訪問があったりする。
チビ達を外で遊ばせようとしたが、この暑さではかえって涼しい室内の方がしのぎやすいと思い、今日は休みにする。
最近は母屋の冷蔵庫に入り切らない物を入れるために、画室の台所にある大型冷蔵庫にもスイッチが入ったので、冷たい水や氷などが楽しめるようになった。
草刈りの時などはどれだけ助かるか分らない。
午後4時近くに落札者からのメールを受信、作品を荷造りして明日に備えた後、帰路につく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月13日(土曜日)
【晴】
10代の後半から20歳代にかけて、特に母親の強いすすめもあり、近所の古流柔術の道場と、裏千家の茶道教室に通わされた。
お茶は左利きという事情もあって中途挫折したが、柔術には並々ならぬ情熱を注いだものだった。
武術としての柔は、文字通り敵を倒す術であり、現代社会では、その本領を発揮する事はあり得ないものであった。
ただそれだけに、深い哲理を内在した宗教的でさえある実情に触れる程、その魅力に憑かれていった事を、懐かしく思い出す。
武術の例に漏れず、その術が実際に使われた場合には、必ず相手に少なからず痛手を与えるところから、所謂試合という形が成立しない。
従って、普段の稽古は、形を学ぶ事に終止するのだが、投げ技、当て技、突き技、どの技をとっても、実際に使われるとかなりの痛みを伴うので、稽古はとても辛かった。
投げ技はほとんど逆手技で、当て技は急所への直接攻撃、突き技に至っては眼球や男の急所、喉や経絡への攻めといった、見方を変えれば実に陰険技であった。
明治になって、古流柔術は柔道という新しい武道へと進化し、時を経て世界へと普及していき、スポーツとしての存在価値を得る事となった。
スポーツである以上、それはもはや日本が世界の第一人者ではあり得ないのは当然であり、これも時代なのだろう。
かつて、人間の生死に直接関るがゆえに、人を倒す技が高度な哲学をも内在する事となった武道という、日本の深い精神文化が永からん事を願ってやまない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月12日(金曜日)
【晴】
夏が戻って来たというより、夏がやって来たといった方が正しいのかもしれない程、連日蒸し暑い。
十五夜を過ぎると、昼間はともかく夕方にもなれば涼風がそよぎ、虫の音の集いてしのぎやすいはずなのに、揺れるススキの穂が何とも似合わない陽気なのが不思議だ。
帰路すれ違う学生達の多くが、首にタオルを下げて自転車をこいでいる姿が面白い。
国道293号線で、地元では昭和通りと呼ばれている道路の、通称「ざおう様」交差点の北東の角は、ざおう様の境内から枝を伸ばした古木が作る深い庇がそこだけ涼やかな空間を作っている。
自転車で通り過ぎると、ほとんど一瞬で終ってしまうささやかな空間ではあるが、そこにはおそらく一世紀前と変らぬ佇まいが残されているのだろう。
画室への行き帰りに好んで通る場所のひとつで、行きには、そこを過ぎてから道をまたぎ、細い露地へと自転車を進め、とある神社の裏手から再び広い道に出て、東へとペダルを踏むのが常である。
特別に用事のない限り帰路もほとんど来た道を辿るのだが、朝とは違い、夕方は国道293号線を横切るのはかなりの危険が伴う。
青信号を渡れば良いと思うかもしれなうが、残念ながらこの地は、歩行者や自転車が安心して道路を行ける程民度の高い地ではない。
事故は被害者に何の利益を齎さない事は既に経験済みなので、信号無視や一時停止違反の車は、人間ではなく猿がハンドルを握っているものと思ってやり過す毎日である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月11日(木曜日)
【晴】
十五夜の晩は子供達にとって心ときめく冒険の夜であり、堂々と背徳行為を犯しても、誰も罰しないという特別の夜であった。
昼間の内に綿密な打合せを済ませているので、夕飯もそこそこに集合場所にかけつけると、いつもの顔ぶれが目を輝かせて集っている。
全員が揃ったところでいよいよ行動を開始する。
今夜の子供達は人間ではなくお月様なのだ。
どこの子供達がどこの家に忍び込むかは、昔からのしきたりに従って、所謂隣組を縄張りとしているのだが、実際は早い者勝ちの部分もあって、ボーダーラインの前後をお互いのグループが侵犯する位は、暗黙の了解なのである。
闇に紛れて、忍者になった気分で目当ての家に忍び込み、縁先に飾られた十五夜の祭壇の下まで進むと、その家の住人は見て見ぬふりをしてくれる。
20〜30人の子供達が、いかに闇に紛れてとはいえ、全く気配を殺して他人の家に忍び込めるはずはないのだが、その家の人は決してとがめだてをしないのだ。
広い家の時など、忍び込んだ子供達が十五夜飾りの場所が分らずに戸惑っていると、
「お母さん、十五夜様は確か南の縁側だったよな」
などと、大声で教えてくれたりする。
アメリカには万聖節(ハロウィン)という子供の祭があるという。
十五夜は多分、かつての日本の子供達のハロウィンだったのだろう。
あり余る程の月見団子、りんごや梨、みかんなどの果物、そして子供達のために特別に用意したお菓子の袋を抱えて、意気揚々と引き上げる何組かのグループが、中秋の闇の中ですれ違い混ざり合って、その夜は誰もが幸せだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月10日(水曜日)
【晴】
(昨日の続き)桑畑の中のバス停で、駅に向うバスを待つ間にも、真冬の赤城颪は容赦なく吹き荒れ、身も心も凍える中で、幼いながらも私は眼前の荒涼とした風景に、どこか魅せられていた。
かなりの時間が過ぎた後にようやく来たバスに乗り、駅までの1時間近くを流れ去る景色を見て過した。
バスの中は外とは比べ物にならない程暖かくて、乗合バス独特の匂いも、かえって快かった事を憶えている。
伊勢崎駅の近くで電車を待つ間に、うどん屋で熱いうどんを食べたのだが、あの美味さを言い表す言葉を今も知らない。
足利の駅に着き、家までの道を歩いて帰る途中、父はまたしても食堂に入り、今度はラーメン(その当時は支那そばといった)を御馳走してくれた。
その時の芳醇なスープの香りに勝る香りを、私は今も知らない。
寒中を家に辿り着いた時、わずか一日留守にしただけなのに、まるで一年もの年月が経ったと思える程、全てが懐かしく、暖かく好ましく感じて、我知らず畳の上を転げ回って、母親を戸惑わせた。
その夜の寝床の温もりはめくるめく全身を包んで、私の魂は心底ホッとしながら、深い眠りの中に溶け込んでいった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月9日(火曜日)
【晴】
(昨日の続き)吹き止まぬ赤城颪のびょうびょうという音に目が冴えて、なかなか寝付かれないままに、時々外の廊下を通る人の気配や出所の分らない物音を聞いていると、まだ幼い私にとってこの場所は文字通り恐怖の館であった。
直ぐそばには父親が寝ているので、血も凍る恐さという程ではなかったが、一人で便所に行ける勇気までは起きなかったので、夜中に何度も父親を起こす事になってしまった。
幸いな事に病院の朝は早く、午前4時頃には、既に多勢が起き出した気配が周囲を満たし始めた時に味わった安堵感は、まるで悪夢から覚めた時のようであった。
午前6時頃になると、玄関近くのホールは食堂となり、入院患者と一緒に私達も朝食にあずかったのだが、出された食事は何とパンであった。
良きにつけ悪しきにつけ、何もかもが珍しい事だらけの一日が過ぎて、再び父に手を引かれて帰路につくと、あれ程恐ろしかった昨夜の事も、何か懐かしく、忘れ難いものになっていた。
ずっと後になって知ったのだが、あの折の患者は、父が足利駅で佇んでいた人を気遣って、家に連れ帰り住み込みで働いてもらった、かつて作戦参謀将校のなれの果てで、おまけにモルヒネ中毒だった人なのだそうであった。
大柄で凛々しい顔立ちの柔和な人であった。
あれから50余年の年月が過ぎ、今、同じ場所を訪ねたところで、昔日の面影は、その片りんさえ見付ける事も出来ないだろうが、桑の葉の茂る季節になると、冬空を背景にそそり立つ、赤い城塞のような、あの病院の姿をある種の懐かしさを込めて思い出す。
思えば、あの荒涼たる風景こそ、私の冬の原風景なのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月8日(月曜日)
【曇】
(昨日の続き)正門をくぐり、深い植え込みの下を少し進むと、そこはもう正面玄関になっており、そこにも鉄格子の扉があるが、普段は開いたままのようであった。
靴を脱いで上がると少し広いホールで、中庭を口の字に取り巻いている廊下の西側であり、患者の食堂兼用のスペースである事を後で知った。
北側以外は廊下に接して6畳程の部屋が並んでいて、全て和室であった。
廊下との仕切りは障子になっており、誰でも自由に出入りしているようになっている。
ただし北側の廊下は、その両側、つまり西と東が頑丈な鉄格子の扉になっていて、入院患者はもちろん、一般の人は誰も出入りする事が許されなかった。
そこは北側に深く続いている区画の南端であり、収容されている患者は、麻薬中毒者と犯罪者であると聞いた。
父と私は、ある入院患者の見舞い客として訪問し、一夜をその患者の部屋で明かす事となった。
その日の夕食は、多分特別の扱いなのだろうが、食堂ではなくて部屋で摂った。
温かい味噌汁とごはんがとても美味しくて、かなり漬け込んだ硬いたくあんまでが、すこぶる美味に感じた。
夕食後に隣室の患者が訪ねて来たが、その人は部屋の天井の隙間から小人達が私達をからかっていると言って、かなり腹を立てて文句を言っていた。
幻視と幻聴を伴う、ある病例の典型なのだそうだ。
その人は病院の規則にしばしば従わないために、時々独房に入れられるのだそうだが、私はその話がとても恐くて、その夜なかなか寝付かれなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月7日(日曜日)
【曇】
両毛地区の主要産業の養蚕が衰退した事で、あれ程身近にあった桑の木が、もうほとんど姿を消してから久しい。
それでも、何かの事情で切り倒されるのを免れたのか、後から芽吹いて育ったものなのか、ごく稀に田の畔や土手際に忘れられたように葉をそよがせている姿を見る事がある。
そんな風景にふれると、心は決ってひとつの記憶を呼び覚ますのだが、それは小学校に入学を控えた2月のある日、父に手を引かれて訪れた、とある病院の佇まいにふれた時の記憶であった。
東武伊勢崎線伊勢崎駅で降り、駅前からのバスに乗り継いで約一時間程の郊外で下車すると、そこは一面の桑畑でうまった低い丘陵がどこまでも続く、人家の疎らな土地であった。
赤城颪が絶え間なく吹き荒ぶ迷路のような桑畑の中の道を、寒さに凍えながらしばらく歩いて行くと、やがて周囲より少し高い丘の上に建つ赤レンガの高い塀に囲まれた、まるで砦か城塞のような建造物が見えてきた。
丘の中央にそそり立ち、周囲はおろか目の届く限り人家のない事もあってか、その風景はまるで外国のような印象で、幼い私の心を強く揺るがすに充分であった。
建物に近付くと、塀は恐ろしい程の高さで眼前に迫り、黒々とした飾り格子の鉄扉は固く閉じられていた。
父が門の中の番小屋のような小さな建物に声を掛けると、老人がひとり出て来て、わきのくぐり戸に鍵を差し込んで開けてくれ、中に入るように促した。
父の手を固く握り、半分は恐怖心、半分は好奇心で震えながら入ったその建物は、周囲から堅固に閉ざされた隔離病院であった。
今ではとても想像すら出来ない、それはまるで刑務所と変らないものであった。
今日も一日自宅休養となった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月6日(土曜日)
【晴時々小雨】
一日休んだおかげで腰の痛みもだいぶ楽になったようだ。
早朝に長男の車で画室に行き、チビ達の面倒をみた後、午前9時からレッスンを始める。
やはりいつものような動きはまだ無理のようである。
悪化させると後が大変なので、無理のないように休みながら軽い仕事をこなす。
少し仕事をして少し横になりを繰り返し、どうやら夕方近く迎えの車が来てくれるまで、大事にはならなかった。
とは言え、どうしても自覚症状が出てくるので、帰宅後直ぐに風呂に入ったところ、だいぶ軽くなったのでホッとする。
明日の日曜日は思い切って一日休養した方がよいかもしれない。
画室のチビ達は時々庭で遊べるからよいのだが、家にいる四匹は少し可哀想である。
何とか広い場所で遊ばせてやりたいのだが、今のところ画室に連れて来るしか方法がない。
ホームセンターに行くと、鉄筋の代りにコンクリートに埋めるメッシュが一枚200円位で買える時があるという。
それを使って自宅の前庭を囲い、遊び場が作れないものだろうか。
画室と自宅で大きく違うのは、自宅の周りには無法にも放し飼いの犬が沢山いるという点である。
だから画室のような簡便な囲いではなく、かなり大きな囲いを作らなければ、たちまち殺されてしまうだろう。
今は昼間が暑いので、かえって家の中の方が過し易いが、せめて秋になったら伸び伸びと遊ばせてやりたいものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月5日(金曜日)
【晴】
昨夜から段々と腰痛がひどくなり、今朝起きた時には身動きのならない状態になっていた。
こうなってはどうにもケンカにならないので、仕方なく休む事にしてチビ達の面倒は長男に任せた。
このところ休みらしい休みをとっていなかったために、少し休養しろと体がシグナルを出したのだろう。
少し動いただけでもかなりの痛みなのだが、じっとしていれば何とか我慢出来る。
しかし仰向けのままで両足を伸ばす事が出来ず、どちらか一方の足の膝を少し曲げて何とか騙しているという状況。
それでもこの機会にと、ビデオ観賞をする事にした。
こんな時にはリモコンという文明の利器のありがたさが身にしみる。
午後になると痛みがだいぶ薄らぎ、安静がいかに大切かを痛感。
この調子なら明日はいつものように動けるだろう。
とにかく、こうなってみると人の痛みが実によく分るものだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月4日(木曜日)
【曇時々晴】
昭和26年9月小学校4年の時だったが、全国合唱コンクール県大会に小学校の部足利代表として宇都宮市に赴いた折の事だった。
その頃はまだユニフォームではなく、めいめいが適当な私服でよかった、というよりは、ユニフォームを揃えられる程の経済事情がまだ整っていない時代だったのだ。
それでも母は新しい帽子と上衣、そしてズボンと靴を揃えてくれたのだが、それは大変な散財だったと思う。
ところが、おそらく見事な程バラバラのコーディネイトだったのだろう、私の姿を見た引率の音楽教師とその助手が、私の背に向って「何て格好だろうね」と、馬鹿にしたような一言を投げかけてきた。
その言葉は子供心にも、まるで心に太い杭を打たれた程の強い衝撃となり、たまらない屈辱感が全身を被って、その日私はステージに上がっても、ついに口を閉ざしたままであった。
前で指揮をしていた先生は、そんな私をけげんそうに見ながらも、目でしきりに歌えと合図を送ってきたが、意地にも歌うまいと最後まで固く口を結んで押し通してしまった。
ステージから降りると直ぐに先生は凄いけんまくで叱り付けてきたので、私は反抗の理由をその先生の顔を睨み付けたままでぶつけてやった。
先生は黙ってその場を去ると、なぜか会場の片隅に身を寄せると、声を殺して泣いていたようであった。
そんな事があって、しばらくの間は二人の間には気まずい雰囲気がわだかまっていたが、時が経つにつれてそれも次第に薄れていき、小学校在学中をずっと合唱団の一員として頑張る事が出来たのだった。
9月になると、ふとその時の事が脳裏を過るのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月3日(水曜日)
【晴夕方雨】
画室に着くと、何と大家さんがいつもと違う場所で待っていたのには驚いた。
北の土間の入口が画室の実質上の出入口なのだが、大家さんはそれを知ってか知らずか、今朝は入口をのぞむ母屋の勝手口の近くに寝そべって、こっちをじっと見ていたのだ。
画室の背戸を開けると直ぐに、のそのそと上に上がって来て、いつもの南の縁側まで歩いて来ると、「早く飯にしてくれ」と言わんばかりにこっちを睨んでいる。
仕方がないので昼食の弁当を開き、外の皿に分けてやると、いそいそと食べ始めたのは良いのだが、近くにカラスがやって来ると、まるで自分の子供に語り掛けるような、とても優しい声で鳴くのだった。
大家さんはもしかしたら、カー公を自分の子供だと思っているのだろうか。
そんな大家さんを見ていると、なぜかこれまでの生き様が結構修羅場の連続だったのかと、つい想像してしまうのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月2日(火曜日)
【晴】
東京の長女に速達を送るため、午前8時の「ゆうゆう窓口」が開くのに合せて家を出る。
当然の事に画室に着くのが遅くなったが、そのおかげか外で待っていた大家さんが戸を開けると直ぐに上り込み、何と始めて鳴いたのだ。
その鳴き声は当然「早く飯にしてよ!」という意味なのだが、それでも大きな進歩だと思う。
午前中に近くの施設の人達が、またうさぎ見学に立ち寄る。
引率の先生方は、うさぎがこんなにも人懐こいのかと、かなり驚いたようだ。
エサをせがんだり、甘えたりするものとは思わなかったのだそうだが、考えてみれば、我が家の誰もがこの体験をする前には同じように全く認識不足だったのだから無理もない。
とにかく、動物を飼うという事は大変な事なのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成15年9月1日(月曜日)
【曇時々小雨】
午前中、最近水彩画を始めたという人が来室する。
聞けば奥さんも同じ趣味を持っておられるとか。
土間の展示作品を熱心に観ていたが、出来るなら奥さんと共に基礎から学びたいので教えて欲しいとの事であった。
当画塾は、自分の絵を確実に描ける事を目的としているので、決して楽しいレッスンばかりではない旨を告げると、近日中に奥さん共々再訪するという。
しばらく雑談の後に辞去したが、果して基礎デッサンからのレッスンに耐えられるだろうか。
今までの経験では、10人中8人は直ぐに消えてしまう。
市販のテキストにも問題があるのかもしれない。
一週間で描けるようになるとか、誰でも易しくマスター出来るとか、いかにも安直なキャッチフレーズについ誘われるのだろうが、絵画に限らず、何を学ぶにしても、楽して身に付けられるものは、まずないだろう。
■アトリエ雑記は平成12年12月15日からスタートしました。
作家と工房のご紹介 ⇒ 肖像画の種類と納期 ⇒ サイズと価格 ⇒ ご注文の手順 ⇒ Gallery ⇒ 訪問販売法に基づく表示
| What's New | Photo | アトリエ雑記 | Links | BBS |
| ご注文フォーム | お問い合わせフォーム | ネットオークションのご案内 | サイトマップ |