アトリエ白美「渡辺肖像画工房」 渡辺晃吉
- 平成15年5月31日(土曜日)
【雨】
師のアトリエのフェンスに掛っていた看板が出てきたので、どこかに取り付けようと場所を吟味した結果、母屋の事情も考慮して、大体の場所を決めた。
手が空いたら、うさぎ小屋の製作と共に取り付け作業もしたいと思うが、まごまごしていると梅雨になってしまう。
それならまだ良いが、うかうかしているとカンカン照りの季節が、もうすぐそこまで来ている。
今でも手彫りのサインボードが掛っていて、それなりの雰囲気はある。
しかし、師のアトリエにあった看板は、業者に頼んで作ってもらったブリキ製の物で、目立つという実用性は今の物と段違いであり、画室を探している人にとっては極めて分り易い。
なるべく早い内に取り付けたいものである。
今日は台風の影響で午前中かなり強い雨が降ったが、午後には下火となり、風もどうやら納まったようだ。
このところ休みなしであったので、作品完成をみて今日は早仕舞しよう。
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- 平成15年5月30日(金曜日)
【晴】
午前7時30分画室着。
コーヒーを入れ湯を沸かし、BGMを流し、案内板を表に出す。
毎朝の仕事である。
午前8時イーゼルに向い、間もなく完成する作品に筆を入れ、正午近くまで描き続け、小休止する。
今頃の季節は、誰でも体調が少し不安定になるのだそうだが、そのせいなのか、集中力が長く持続出来ないようだ。
かと言って別に仕事に支障が起きる訳ではないのだが、何となくリズムが狂うようで面白くない。
午後1時30分昼食を摂り仕事を続けるが、室内が少し暑くなって汗ばんできた。
全く、今頃の季節は気温変化が激しくて本当に困る。
午後5時30分帰路につき、途中銀行に寄り、東京の娘に送金した後に病院に行く。
今日の兄はだいぶ調子が良いようで、術後の痛みも少しだが軽くなってきたと言う。
午後7時少し過ぎ、義姉の到着を待たずに帰路につく。
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- 平成15年5月28日(水曜日)
【晴】
昨日は東京の姉と行き違いになってしまったので、今朝電話を入れる。
入院中の兄の話もさる事ながら、一年後の長女の下宿先についての当てなどが話題となった。
現在のところ、具体的な当てはないが、友人、知人などに依頼していることなどを告げると、どうしても見付らないようなら、家に来いとの事であった。
長女にしてみれば、気楽な独り暮しをしたいのだろうけれど、母親の立場としては心配でならない。
やはり近くに身内が居てくれた方が何かと安心なので、長女が帰省した折に、その辺のところを話合う事になるだろう。
現在の仕事もいよいよ核心の部分に入り、一区切りした時点で筆を置く。
後続の注文作品にも、出来る限り早目に手を付けたい。
依頼主にとっては、一日も早く作品を手にしたいというのが、正直な気持ちだろう。
手を抜かず、一日も早く手元に届けたいと日夜頑張っているのだが、何と言っても全て手仕事の宿命で、どうしても一定の日数がかかってしまう。
最近ではパソコンなどを上手に使った結果、良いものが安価で制作できると聞く。
ただし、写真に生き写しで生気のないものになるというのだが、残念な事に現物を手にした事が数える程なので、何とも判断できない。
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- 平成15年5月27日(火曜日)
【曇】
午前10時からのレッスンを前に、少し仕事を片付けたいと思い、午前7時半に家を出ると、外は小雨模様であった。
この位ならば合羽を着ないでも大丈夫と判断してスクーターにまたがる。
午前7時30分画室に着き、いつもの準備を済ませて塾生の来室前にイーゼルの前に座る。
午前10時予定通りレッスンを始め、正午に終了、塾生を送り出して後に再び仕事に戻る。
午後、長男の持参した弁当を食べ終ると、何だか眠気が強くなってきたので、横になって休息する。
多分、食後に服用した風邪薬が原因のようだ。
思わず昼寝をしたおかげで、だいぶ気分が良くなり、再び仕事に戻るが、今日は東京の姉が、入院中の兄の見舞いに来るとの連絡を受けたので、病院で落合うため、早目に画室を閉めて日赤に向う。
病室に入ると、東京の姉は一足違いで帰ったらしく、代りに実家の義姉が来ていた。
今日の兄は昨日までの不調が嘘のように良くなっていた。
同室の私の旧友Yは、退院をしつこく要求した結果、リハビリを実行する事を条件にどうやら許可がおりるらしい。
外を見ると雨が少しぱらついてきたようなので、帰路につく。
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- 平成15年5月26日(月曜日)
【晴】
年甲斐もなく女性を相手にして外で大声の口喧嘩をしてしまった。
屁理屈と減らず口が立板に水のようにほとばしってくる相手の様子は、数年前に逝去した人格欠損者の知人にそっくりであった。
自分の誤りを決して認めず、怒りと憎しみを撒き散らして喚き立てる様子は、正に狂気である。
危険なのは、その事を本人は全く自覚していない点だろう。
売り言葉に買い言葉で、こっちも段々声高になっていく状況を、冷静な自分がじっと観察している。
本人が言うには保険会社の職員であるそうだが、これが職員の保険会社とは、いったいどんな会社なのだろうか。
最後まで自分の間違いを認めず、それを指摘された事への激怒から、こんな脅しまがいのセリフを吐いていった。
「あんた、車に看板しょってるんだったら気を付けなさいよ」
こっちも負けず「そっちこそ気を付けるんだな」
全く、恥も外聞もない醜態を、公衆の面前でさらしてしまったが、世の中もう少しで犯罪者という危ない連中が、すぐ身近にごろごろしている事を身をもって知っただけでも、恥をかいた甲斐があったというものだ。
ここ数日の内に身辺に物身相手の何らかな被害が起きたとしたら、それは間違いなくその女性の仕業である事を、広く知らしめたい。
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- 平成15年5月25日(日曜日)
【晴】
昨夜パンク修理をしたスクーターを乗り出し、少し走るとどうもおかしい。
降りて調べてみると、やはりまた空気が抜けていた。
まだ時間が早いので家に引き返し、もう一度パンク修理をして走り出したが、道の半分位でまたもや後輪がペチャンコ。
どうも修理した所が走行中にはげてしまうのが原因らしい。
仕方なく後半の道程を押して歩き、約一時間をかけてようやく画室に辿り着いた時には、午後12時30分を過ぎてしまっていた。
いつものように、一通りの事を済ませて、早速修理のため後輪を本体から外し、念には念を入れてのパンク修理をして、夕方帰路につく。
この調子なら家まで無事に辿り着けると思ったが、そうはいかなかった。
途中でタイヤの空気圧が落ちた時の独特の感覚が伝わってきた。
もうこれまでと近くにホームセンターがあったのを幸いに、パンク充填剤を買って使ってみた。
自転車用だが、これがうまくいって、何とか家に着く事が出来たが、何も悪い事ばかりではない。車を止めて点検している時に、二度程声を掛けられ、新しい出会いを経験したのだから。
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- 平成15年5月24日(土曜日)
【晴】
昼食の買物に行った先でスクーターがパンクした。
こんな時に限って携帯を置いてきてしまったので、仕方なく500m程離れた公民館の公衆電話から画室に連絡をとり、迎えに来てもらう。
ミニサイズなのでワンボックスカーの荷台に楽々と納まり、帰ると直ぐに昼食を摂った後、修理に取り掛る。
夕方帰宅途中に病院の兄を見舞うつもりで近くまで来ると、またパンクしたらしい。
これで三回目だが、やはり径の小さいタイヤは長持ちしないのだろうか。
とにかく病室を訪ね、先に来ていた義妹と共にしばらく雑談。
幸い病院から家までは徒歩で15分程度なので、ゆっくりとスクーターを押しながら家路を辿る。
今日、直接肖像画の注文資料が送られてくる。
先方と電話で打合せを済ませ、オークション落札作品の発送も無事に終了。
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- 平成15年5月23日(金曜日)
【晴のち曇】
キャサリン台風によって渡良瀬川に架る緑橋が流出した時、私は長兄に手を引かれて両毛線沿いのとある場所から、まるで大根が流れるように荒れ狂う水面をゴロゴロと転がりながら押し流されていく様子を、ただ恐ろしい思いで見ていた。
それに先立つ五月のある夜の事、川向うの叔母の家に貰い風呂をするために、母と姉達と共に皐月闇の中を、所々に穴の開いた緑橋を渡って行った。
緑橋はその頃でも珍しい土橋で、古びた欄干などが醸す風情は、時代劇そのままであった。
健在の緑橋の記憶は、この時が最初で最後であった。
思えば遥か彼方の儚い記憶ではある。
その後、緑橋が仮橋として復活するまでの間、そこには渡し舟が通っていたが、確か渡し賃は子供は1円であった。
ただし、黙っていると大人並に10円を要求されるので、親達は我が子に舟賃を渡す時に「いいかい10円と言っても、子供は1円だと言い張るんだよ」と強く言いつけたものだった。
数年前に両岸の区画整理に伴って、緑橋は立派な永久橋となって堂々たる姿で渡良瀬の流れに架っているが、私にはなぜかよそよそしいだけのつまらない橋としか思えない。
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- 平成15年5月22日(木曜日)
【晴】
五月も半ばを過ぎると、毎年必ず我が家を訪れる人がいた。
かすりのモンペに地下足袋を履き、頭は手拭いで姉さん被り、何よりも印象的なのは背に負った大きな荷物である。
大きな風呂敷包みを開けると、幾重にも重なったつづりが出てくる。
その中身は薬と椿油、そしてハサミや様々の小間物類。他には化粧品が少しあっただろうか。
子供にとっては、年に数回程訪れる遠来の客への珍しさもさる事ながら、いくつものつづりから漂う独特の香りや、物珍しい品々は、宝箱そのもので見飽きる事はなかった。
そして極めつけは、「坊ん、これがいいんだべ、それともこっちか」と、満面に笑をたたえてオバさんが差し出す手土産の紙風船や竹鉄砲だった。
そのオバさんは越後の毒消し売りと呼ばれていたオバさんである。
越後の毒消しという薬は、黄色く表面が少しざらついた丸薬で、食中りや食べ過ぎは言うに及ばず、蜂に刺された時などは、母が毒消しを噛んで、それを患部に塗ってくれたものだったが、これは果して効いたのかどうか…
かって季節は、特別の人や香りや音をメッセンジャーにしてやって来た。
時は確かな手応えで人を包み、季節の移ろいという美しい印を刻んできた。
五月雨が軒を打ち、かささぎが梅の木の深い影の中で尾を振っている。
夕近く、風が冷気を運んできたのか少し肌寒い。
そろそろガラス戸を閉めようか。
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- 平成15年5月21日(水曜日)
【晴】
帰宅途中に足利日赤に入院中の兄を見舞い、義姉の到着と前後して病室を退出して外に出ると、駐車場から一方通行を逆進してくる車があった。
狭い道なので何かなければよいがと思った矢先に、やはり数台の車が進行してきた。
違反車は強引に走り抜けようとしたが、相手は道を譲らず、そのまま進んできたために、しぶしぶ車を端に寄せたが、とても二台が擦れ違える広さではない。
その内に順行していた車のウインドウが開き、かなり強張った男の声が
「ここは一方通行だぞ。何やってるんだ。いい年してふざけたマネするんじゃねえ」
すると違反車のドライバーが
「家内を迎えに来たんで、そこにいるんで、すみません」と、何を言っているのか分らない口調で言い訳した。
「バカヤロー、子供みてえな屁理屈言うんじゃねえ。この辺の車はみんな病院に送り迎えで来てるんだ。てめえだけじゃねえんだぞ」
すると車の間を縫うようにして、腰を屈めた年配の女性が、こそこそと違反車のドアを開けて乗り込もうとしたが、間隔が狭くてまごついている。
「バックしろ、バカヤローが、てめえのやってる事をよく考えてみろ。てめえらみてえなロクでなしが増えてるから、世の中が腐っていくんだ。この大バカヤローが」
「すいません。すいません」
いざとなれば、謝ればいいという図々しさが見え見えの謝罪であった。
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- 平成15年5月20日(火曜日)
【曇のち雨】
昨夜は忘れずに電動スクーターの充電をしたつもりだったが、途中でバッテリーが切れそうになり大慌てとなった。
まだ道は半分も来ていないのに、これは押し歩きを覚悟かと思い、しばらく歩いてみたが、たちまち汗だくとなるような蒸し暑さである。
時々腫物に触るように、のろのろと走らせ、バッテリー残量メーターの具合を伺っては、また降りて押し歩くといった状態で、何とか画室に辿り着いた時には、下着はびっしょりと汗に濡れていた。
朝の用意を済ませ、午前中の塾生の来室を待ってレッスンを始めたとたん、シューというエアーコンプレッサーのような大きな音がした。
案の定スクーターの前輪のパンクである。
午後、長男の来室を待ってホームセンターに出向いたが、用が足らず、もう一度違う店に行って修理用品を購入、何とか直す事が出来たが、今日は何という厄日だろうか。
確か、朝出掛けにテレビの星占いで、かなり厳しい事を言っていたが、正に的中という感じである。
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- 平成15年5月19日(月曜日)
【曇】
午前中のレッスン終了後、公募展出品作品用仮縁の材料を購入するため、市内のホームセンターに出掛けた。
帰室後直ぐに制作に入り、夕方に完成。
市販の仮縁に比べれば、かなりお粗末なものだが、自分の作品を入れるのだから、むしろ自然で良いだろう。
前回もF50号の仮縁を自作したが、確かに材料費だけを考えると、市販品の5分の1にも満たないのだから、経済的な印象が強いが、制作に要する時間や労力、ましてや道具類まで揃えるとなれば、かえって高価なものになってしまうだろう。
幸いな事に、画室には一通りの道具が備えてあるので、何とか自作できるという訳で、あまり他人にすすめられるものではない。
現在のところ、画室にある全てのイーゼルは自作したもので、パネルやボード、カルトンなどのほとんども自家製である。
他には、日本画・洋画それぞれの腕鎮や、日本画の大型作品用移動台、特殊なものでは、手作りした何種類かの岩絵具があるが、あまり良い出来ではない。
いずれも、貧しきがゆえの苦肉の策というのが本音で、出来る事なら私も苦労せずに市販品を買いたいのである。
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- 平成15年5月18日(日曜日)
【晴】
朝の内はクシャミと鼻水が出ていただけなので、いつもの花粉症かと思っていたのだが、昼近くになるにつれて、胃の辺りが妙にむかつき始め、その内に激しい吐き気が襲ってきた。
たまらず何度かトイレに駆け込んだが、なかなか治まらない。
これはただの花粉症ではなく、少し風邪気味なのかもしれない。
今思えば昨夜の夕食の後も、いつになく胸焼けがしていたが、あの折の天ぷらが悪かったのだろうか。
とにかく仕事を中断し、後を長男に任せて家に戻る。
途中休み休み家に辿り着き、体を横にしているとだいぶ楽になってきたので一安心する。
夕方になると、体はふらつくが、気分は元に戻っていた。
この分なら明日は休まずに済むだろう。
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- 平成15年5月17日(土曜日)
【曇】
兄が入院している病室には、小学校時代の同級生で、寿司屋を開業しているYが、交通事故で入っている。
地元に店を持っていると、外に出ていた連中が帰省した時などに立ち寄ったり、子供の頃からのなじみが気安く暖簾を潜るので、意外に情報が豊富になるという。
そのせいか、Yの元を訪ねる見舞い客には、私にとっても懐かしい人達が結構いるようである。
先日、市立美術館で個展を開いたK女史も同じクラスだったり、K女史と同じフランスに在住しているO女史もやはり同様なのだそうである。
兄の言によれば、Yの入院態度は極めてわがままで、親身に面倒をみてくれる奥さんや娘さんをてこずらせているばかりでなく、ナース達にも甘え放題らしい。
それでも何となく憎めない人柄なのだから、Yは得な性分である。
明日は何か手土産でも持って行ってやるか。
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- 平成15年5月16日(金曜日)
【曇】
術後そろそろ24時間が経過するが、現在のところ兄の様態が急変したという知らせが無いところをみると、どうやら第一関門は無事に通過したようだ。
次は患部の感染症を防止できれば、ほぼ安心なのだという事であった。
手術部位の痛みが軽くなるのには、3日程かかるのだそうだ。
それまでは多分鎮痛剤もあまり効果無いようである。
勿論麻酔系のものなら充分に痛みを和らげてくれるのだろうが、あまり頻繁には使ってくれないだろう。
少し早目に仕事を終らせて病院に向う。
病室に入ると、案の定激痛に耐えている様子がありありと分る。
ただこの痛みは治療の結果なので、今までのような先の見えないそれとは違い、耐える甲斐があると本人も言っていた。
しばらくすると痛みもだいぶ遠のいたようで、少しホッとした表情になってきたので一安心。
とにかくあと数日の辛抱である。
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- 平成15年5月15日(木曜日)
【雨】
今日は兄の手術日なので、午前9時30分家を出て足利赤十字病院に向う。
病室に入ると、手術前の準備を済ませた兄が、静かに点滴を受けながらベッドに横になっていた。
流石に手術への不安を隠せずにいたが、無事に終れば激痛から解放される事への期待があるだけに、早く始めてほしい様子であった。
その内に兄弟達が集り、昼には全員揃って本人を励ます事となった。
午後2時30分手術室に入る。
予定通りに進めば、約2時間の手術なのだそうだが、多分それ以上かかる事は、これまでの担当医の説明で容易に推測出来た。
案の定、3時間を経過してもまだ終らず、誰も口には出さないものの、当初からの心配事であった最悪の事態を想像しているのが何となく伝わって、次第に口数が少なくなっていくのだった。
午後7時20分、皆がそろそろ不安を態度に出し始めた頃、ようやく兄が病室に戻って来た。
病室での処置が終り、家族の面会が許されるのを待って入室してみると、まだ麻酔から完全には覚めていないが、意外にしっかりと担当医の説明を聞いていた。
午後9時の消灯を少し過ぎた頃、病院を出て雨の中を帰宅する。
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- 平成15年5月14日(水曜日)
【晴のち曇】
帰り道にホームセンターに立ち寄り、ノコギリの替刃を一枚買う。
外に出てみると、今にも降りそうな空模様に、大慌てで家路を急ぐ。
急ぐとは言っても、我が愛車のスピードは、フルスロットルでも自転車並のため、思わず車上で体を揺すってしまう。
道行く人の好奇の目には少し慣れたが、女子中学生達が大声ではやし立てるのにはどうにも参った。
家の近くの十字路で一時停止して左右を確認すると、右手から乗用車が来たのでその場で待機。ウインカーが出ていないので当然直進するものと思ったが、ギリギリの所で左折のウインカーを、実に嫌そうに出して曲ったので、思わず「オッサン、曲るならもっと早くウインカー出せや。いい年してそれじゃぁまるでそこいらのチンピラと変らねえじゃねえか」
立派な車に立派な服装、ただし性根は下司とはこの事か。
徳性を備えていない老人など、誰も尊敬しないばかりか、侮蔑されるだけである。
明日は我が身にならぬよう、せいぜい気を付けよう。
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- 平成15年5月13日(火曜日)
【晴】
小学5年生の5月の事だった。
二階の教室から見下ろすと、南北に走る渡り廊下の途中から、東に枝分れした、もう一本の渡り廊下の外れにある便所の屋根が良く見えた。
この便所は有名なお化け便所で、一人で大の方に入ると、下から手が出て尻を撫でられるのだそうだ。
便所の周りを椎の木が取囲み、やや黄色味がかった花をいっぱいに付け、辺りは青臭い臭いが充満していた。
皆、この花の臭いが嫌いだったが、私は初夏の訪れを告げているような気がして、それ程嫌とは思わなかったが、そんな事をうっかり口にすると、また何を言われるか知れたものではないので、仲間と調子を合せて、嫌いな振りしていたものだった。
正門を入った直ぐ右側には大きな藤棚があり、この季節には、見事な花を咲かせていたが、いつの間にか切られてしまったのはいかにも残念だ。
優に百年余の歴史を誇った母校は、時代の波に押し流されて、何年か前に廃校となってしまった。
椎の花の臭いが漂う季節になると、私は10歳の夏に思いをはせる。
あの頃は、毎日がトム・ソーヤだった。
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- 平成15年5月12日(月曜日)
【曇】
春の交通安全週間キャンペーンなのか、主要交差点に、警官や指導員が大勢出ていた。
交差点を渡ったところで警官に呼止られ、スクーターを調べられたが、正規の手続きをしてあるのを確認すると直ぐに解放してくれた。
一度は止められたいと思っていたので、これで念願が叶った訳である。
別に物好きでそう考えているのではなく、今後はこの手の利用者が増加する事が予測されるために、現物をよく見ておいてもらいたいと思っていたからである。
残念な事ながら、足利は交通マナーがすこぶる劣悪で、そのために起きる事故が増加していて、深刻な状況下にあると聞く。
そんな土地柄で、電動スクーターに乗るのはかなり危険なのだが、充分に注意すれば何とかなるだろう。
今日は15日に行われる兄の手術についての説明がある日。
午後6時少し前に病院に着き、間もなく他の身内と共にドクターの説明を聞く。
帰宅後、東京の姉に電話し、結果を告げる。
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- 平成15年5月11日(日曜日)
【晴、夕方雨】
日曜なので少し遅目の画室入りとなった。
五月とはいえ、朝方はセーターを着ていないと寒い位の天候で、心なしか風も冷たいようだ。
そろそろ田おこしが始まるのか、あちこちで野良仕事の人が目に入るようになった。
画室近くでも、手伝いの人も含めた数人の組が忙しそうに立ち働いていた。
間もなく雨の多い時期を迎えて、山の緑も日毎に色濃くなっていくだろう。
卯の花のいおう垣根に
ほととぎすはやもき(おき?)鳴きて
しのび音もらす
夏は来ぬ
五月雨のそそぐ山田に
早乙女の裳濡らして
早苗植え渡す
夏は来ぬ
少し記憶があやふやなので、もしかしたら誤りもあるかもしれないが、この季節になると、必ず歌ったものだ。
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- 平成15年5月10日(土曜日)
【晴】
合間をみて草刈機を購入するため、佐野まで車を走らせる。
途中「足利フラワーパーク」に来る人達のラッシュに会うが、どうにか脇道に逃込んで救われる。
渋滞する対向車のナンバーを観察してみると、結構遠方から来ているのに少し驚いた。
佐野は「アウトレット」も出来たので、その影響で連日大変な渋滞だと聞いているが、まさかそれに引っ掛らなければよいがと心配した。
多少の影響は受けたものの、さほどの時間ロスもなく目的地に到着し、念願の物を買い、家内の頼まれ物を購入するため、館林の電器店まで行く。
画室に戻ってみると、堀越モータースの堀越氏が来室していた。
上に上がってもらい、三人でしばしコーヒータイムを楽しむ。
一息入れた後に、電動の草刈機を試してみると、これが予想以上に力強くて調子が良い。
岩が多くて、歯が回転する形式のものでは具合が悪いが、これはナイロンコードが高速回転して草を切るので、まさに適材適所である。
これで今年の草刈はだいぶ楽になりそうだ。
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- 平成15年5月9日(金曜日)
【晴】
公募展出品準備のため、息子の車に便乗して画材店に向う。
今回は寸法がF10号までと、比較的サイズが小さいので少し楽である。
未発表の日本画の小品と、水彩画の二点を出す予定でいるが、場合によっては変更する必要が生じるかもしれない。
帰路ホームセンターに寄り、見学者用のビーチパラソルを一本買う。
画室に戻り、庭に杭を打込み、野外用のテーブルを据えてパラソルを立ててみる。
強風の時にはいささか危ないが、それ以外では誠に具合が良いようだ。
まだ日が出ているので、早速仮額用の部材のペーパー掛けを外で行う。
仮額は大抵の場合手作りするが、既製品のような体裁の良いものはなかなか作る事が出来ない。
それでも大切な自主作品を守る仮額なのだから、やはり手作りしたいし、それが習慣にもなっている。
仕事の合間をみての作品制作ではあるが、自己研鑚のためにも身を引締めて取り掛ろう。
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- 平成15年5月8日(木曜日)
【曇のち雨】
「あの〜吟遊詩人て何ですか?」
「いとま請い」という作品の脇に貼ってある説明を見ていた見学者が、おずおずと質問をしてきた。
「本来は中世期フランスのプロヴァンス地方で、自作の詩を吟じながら巡遊していた叙情詩人達をいうのだと聞いていますが、そこから転じて、類似した人達を総称して、全てそう呼んでいるようですね」
「この瞽女(ごぜ)というのも、やはり詩を歌っていた人達なんですか?」
「いいえ、彼女達が歌っていたのは瞽女歌と云われるもので、口説節の一種の瞽女口説という、結構調子の良い韻律の歌だったそうです」
「先生は聴いた事があるんですか?」
「え〃、一度だけありますよ。越後の毒消し売りのオバさんが一晩泊った事があるんですが、その人が晩御飯の後で、三味線を弾きながら歌って聴かせてくれました」
「その人は瞽女さんだったのでしょうか?」
「さあ、私は毒消し売りのオバさんとばかり思っていましたが、もしかしたら、瞽女さんだったかもしれませんね。かすりの着物と同じ柄のもんぺを履いて、地下足袋と頬被りの上から菅笠を被っている様子は、私の中では毒消し売りのオバさんというイメージが強かったので、そう思い込んでいたのかもしれませんね」
「どんな歌なんでしょうね」
「私の記憶では、男女の悲恋物語だったようです。それが結構長くてね。母などは手で膝を打って調子を取りながら一心に聴入っていましたよ」
「先生はその時、どんな気持でした?」
「一口に言って、まるで夢の中をさまよっているような感じでしたよ。だって、日常性から完全に遊離した時間の中に放り出されたというのがピッタリの印象なんですよ。子供だったから歌の意味なんか全然分らないんですが、驚く程張りのある声と三味線の音は、相当遠くまで届いたんでしょうね。気が付くとかなりの人が外に立って聴入っていましたよ。母はそんな人達を家の中に招き入れて、一生懸命接待していましたが、何か心が浮き立つような時間が流れて、とても楽しかったのを憶えていますよ」
入れたばかりのコーヒーを手に、初対面の来訪者と、そんな会話を交している内に、外はいつの間にか雨になったようだ。
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- 平成15年5月7日(水曜日)
【晴、時々曇】
夕方兄の旧友のH氏より電話をいただく。
入院中の兄の容態と手術の可能性についてのお尋ねであった。
現況を報告し、少々長目の電話を切って病院に向う。
門限ぎりぎりの入室となったが、黙認してもらう事にする。
今日の午前中に最後の痛みを伴う検査を終了し、どうにか手術を決行する方向で検討してもらえるらしい。
しかし、いくつかの余病のため、手術は文字通り命懸けとなる。
それでも兄は痛みからの解放を切望している。
義姉と共に約一時間を過ごし、病室を後にして帰路につく。
午後8時少し前の夜道は、妙に生暖かく湿度も高い。
車の通りの多い道を避けて、ゆっくりとスクーターを走らせるが、相変らず犬がけたたましく吠えるのには閉口する。
家までの長い上り坂は下車して歩く事にしているし、行き帰りの何ヶ所かにある坂でもやはりそうしているから、結構運動にもなるので都合が良い。
明日は少し道を変えて行ってみよう。
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- 平成15年5月6日(火曜日)
【晴、時々曇】
大沼田のある場所には、最近では珍しくなってしまった白いタンポポの群生している所があり、そろそろその綿毛が飛び始めている。
土地の所有者に会えれば、少し分けてもらいたいと思っているのだが、なかなかお会いする事が出来ないのが残念だ。
その同じ土地に、とうの立ったノビルが花を咲かせようとしている。
間近で見ると、結構美しいだけでなく、とてもたくましい印象を与える存在なのに気付いた。
今日の大小山山系は、少しけぶってはいるが谷を広々と広げてどっしりと居座っている。
もう新緑とは言えない程緑が深まって、夏の兆しが漂う。
梅はもう1cm近くまでの大きさになり、余分な実を路面に落しているのが、何となくもったいない気がしてならない。
連休もどうやら終り、これから本格的な夏が段々と近付いてくる季節となる。
四季の中で夏程素晴らしい季節はない。
とは言っても、こればかりは好みの問題だから、暑さに弱い家内など一番嫌いな季節に違いない。
何でも頭が痛くなってくるのだそうだが、そんな人にとっては夏は地獄のようなものなのだろうか。
どうにも、もったいない話である。
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- 平成15年5月5日(月曜日)
【晴】
某民放テレビ局で、有名人が突然訪ねて行った先で、一夜の宿を請うという番組があった。
そういえば子供の頃、我が家にはよく見知らぬ人が泊っていた。
ご丁寧にも、父は時々駅などから宿無しを連れて来ては、半年一年と家で仕事を与えては世話をしていたものだった。
遂にこんな事もあったと、後日談になるが聞いたのだが、我が家には家業の関係で、だいぶ前からオート三輪があった関係で、父の知り合いが仕事に失敗し、東京に夜逃げをする時に、当時ではまだ珍しかった運転免許を持っていた兄と共に、その手助けをした時の事、川越まで来て車が故障してしまった。
そこは江戸時代からある火の見やぐらの近くで、折良く修理工場の側であったそうだ。
故障の原因は分ったが、あいにくと部品の手持ちが無く、届くまでに三日程かかるとの事で、何とその間、父達はその修理工場に泊めてもらったそうである。
やがて部品も届き、修理も無事に済んで、代金に合せて宿賃を払おうとしたが、何としても受け取らなかったそうで、恐縮した父は、夜逃げの知人を送り届けた帰りに、心ばかりの土産を持参したところ、その晩もまた強引に泊めさせられたのだそうだ。
今は昔の物語である。
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- 平成15年5月4日(日曜日)
【曇のち晴】
前の畑の亀山のオバさんは、畑に来る時にも、近くに買物に行く時にも、昔の乳母車を押している。
今風の見た目の良いイス車?とは違って、金属部分は全てサビが出ているし、どこか道端に置いてあれば、恐らく粗大ゴミと間違われるだろう。
しかし、実際にはずっと使い勝手が良くて、畑仕事の時には、赤ちゃんスペースに色々な道具や材料が入るし、買物の時には、かなりの物を運ぶ事も出来るのだ。
事実、その様な現場を何度も見ているし、オバさんの体型上、この乳母車は、実に良い杖の代りになっている。
もうひとつの特徴は、カラカラと快い音を発てながら動くところである。
最近の物はそんな音を発てなくなった代りに、何か人の心をささくれだてるような音をさせるようだ。
快い音といえば、我が愛車の発てる音も、決してオバさんの乳母車にひけをとらないだろう。
モーターの回転音をベースに、チェーンの擦れる音、時々ギアが外れるのか、バカンというような音も混じって、とても賑やかなので、通行人は必ずこっちを見てくれるから、安全運転の上からも効果的かもしれない。
それでも見通しの悪い曲り角などでは、クラクション代りの自転車のベルを鳴らす。
そんな時、たまたま居合せた人は、例外なく騙されたような顔となる。
多分、自転車が来るはずなのに、得体の知れない物が通過して行くので、そんな顔付きになるのだろう。
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- 平成15年5月2日(金曜日)
【晴】
我が愛車のモータースクーター「第二白美号」は、極めて使い勝手が良くて大満足なのだが、いくつかの問題もある。
そのひとつは、やたらと犬が吠えつく事。これは多分、モーターの回転音が原因なのだと思うのだが、かなり遠くからこちらを察知して、気が狂わんばかりに吠え立てるのだ。
もうひとつは、通りすがりの人達が騒ぎ立てる事。
特に女子高校生と小学生のチビ共が、辺り構わず大声で喚き立てるのには本当に閉口する。
でも、良い事も結構あるし、どちらかといえば良い事の方が多いかもしれない。
第一は何よりも車がこちらを大切にしてくれる事。
あまりに頼りない乗物なので、対抗意識がわかないのだと思う。
何しろ相手がベンツであれハーレーであれ、腫物に触るように扱うのが肌で感じられるのだ。
それから、思いきり小さくて軽いので、長い坂などに差掛かり、バッテリーの節約のため、降りて押す時にも、ほとんど負担にならない。
生意気にクラクションも付いているが、何となくトゲトゲしいので自転車のベルを代りに使っているので、通行人も穏やかに道を譲ってくれるので本当に助かる。
話は全く変るが、今日は長女の20歳の誕生日である。
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- 平成15年5月1日(木曜日)
【晴】
近頃また画室に、何匹かの猫が訪ねて来るようになった。
一匹はどこから見ても、所謂「血統証」付きと呼ばれる類の奴で、少し茶色掛った銀色の長い毛が、その辺をうろついている奴等とは違った風格を漂わせているだけでなく、庭を通り過ぎて行く様子が、はっきりとした目的を持っているような雰囲気を持っているところから、「自治会長」と名付けた。
もう一匹は薄汚れた黒猫で、こいつが一番人懐こくて、仕事中にふと背後に気配を感じて振り向くと、いつの間にか上り込んでこっちを見ていたりする。
自分の受け持ち範囲を義務感を持って巡回しているような気がするので、「頭」と名付けたが、言い得て妙とはこの事だと思う。
最後の奴は、黒毛の中に鼻先や足の先、腹などに白い毛が生えた、まるで漫画の中から飛び出して来たような奴で、意外と身奇麗で、いつもセカセカと通り過ぎて行くところから、「大家さん」と名付けた。
どれが飼い猫で、どれが宿無しなのかは分らないが、どいつも丸々と太っていて毛の艶も良く、健康そうなのが頼もしい。
この間は、自治会長と頭が庭で鉢合せした。
その日は残り物がなかったので、二匹共しばらくの間睨み合っただけで、どちらともなくその場を去って行ったが、何か口に入れる物があったら、恐らくただでは済まなかったろう。
今日から5月。それにしては肌寒く風の冷たい日となった。
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