アトリエ白美「渡辺肖像画工房」 渡辺晃吉
- 平成15年3月31日(月曜日)
【晴】
近々足利でオールロケした映画「わたしのグランパ」が上映される。
原作の街のイメージがピッタリだったのが、足利が選ばれた理由なのだそうだが、確かにこの街には何か他には無い独特の風情があるようだ。
旧市街の南西から北部を通って、山沿いをほゞ真北に流れる蓮台寺川、別名「さかさ川」が、本城二丁目にさしかかると、そのまま北上する流れと別れて、一本の支流が東西に流れを進ませる。
かってこの流れは、見渡す限りの水田地帯に低い土手を走らせ、その上の見事な桜並木は、季節になると文字通り花の長いトンネルとなって人達を楽しませてくれた。
その桜の名所の名は「御笠通り」と云った。
車が普及するに従ってそのほとんどは枯れてしまい、ほんの僅かに往事を偲ばせる古木が、忘れられたように生き続けている。
その後に植樹された若木も、最近では堂々たる偉容で並木を形成して、ほんの2日前にその内の何本かが開花した。
今夜、帰路に見上げると、ボンボリ一つ無い闇の中にほとんど5分咲きの枝が、自ら光るかのように浮び上がって、思わず立ち止って、しばし佇んだ。
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- 平成15年3月30日(日曜日)
【晴】
今日は珍しく朝から頭痛がし、時間が経過する毎にひどくなってきた。
現在制作中の作品は公募展用のものなので、一日を争うスケジュールのために手を休めたくないのだが、どうも調子がいまひとつというところ。
それでも何とか予定をこなして、少し早目に帰路につく。
午後5時を少し過ぎていたが、外はまだ明るく、散策の人達が行き交って何となく華やいだ雰囲気である。
スズメとは違う鳥の鳴き声につられて上を見ると、電線に見知らぬ鳥が止ってさえずっていた。
間もなくヒバリも空高く飛びながら、あの独特の鳴き声を聞かせてくれるだろう。
―お〃ヒバリ、高くまた軽く何をか歌う、天の恵み地の栄え、そを讃えて歌う、そを寿ぎ歌う、―
少年の頃、さかんに歌った「お〃ヒバリ」の歌詞である。
日本語の美しさが漂ってくる。
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- 平成15年3月29日(土曜日)
【晴】
帰路、遠くに春雷を聞く。
雷といえば筆者が小学2年の時に、近くの友人からこんな話を聞いた。
その友人は筆者の隣の町内に住んでいるのだが、その町内にある時雷が落ちたのだそうだ。
近所の大人達が総出で逃げ廻る雷を追いかけて、どうにか捕まえて公園の穴(古墳の石室)に持って行って埋めたのだそうだ。
そいつの形は直径が1m程の球状で、火の玉のように熱くて危なかったそうである。
友人はその穴に筆者を案内するというので、家に帰るとランドセルをあがりかまちに投げ込んで、待ち合せ場所に急いだ。
少し遅れて来た友人が連れて行ったのは、いつも遊び場にしている石室であったので少しがっかりしたのと同時に、この話はどうもウソくさいなと感じた。
なぜかといえば、穴の奥の地面は土ではなく、一面に石が敷き詰めてあるからである。
その日以来、筆者にとっての雷のイメージは、なぜか大きな球となってしまった。
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- 平成15年3月28日(金曜日)
【晴】
渡良瀬川を上流に向って北上し、大間々を過ぎ足尾町を更にさかのぼって、源流の松木沢に近付くと、備前盾山を背に足尾精錬所の荒涼たる風景が左手にあり、右手には、急斜面の中腹をえぐって走る街道のすぐ脇まで迫るガラ場に、黒々と墓標が点在している様が目に飛び込んでくる。
両岸の遥か頭上に稜線を連ねる山脈には、一片の草木も無く、ただ褐色の大地が広がるのみであった。
吹く風は微かに金属臭をはらみ、空は狭く、街は既に薄闇の中にある。
小学校5年生の修学旅行での、足尾銅山の原風景である。
鮮やかな色彩など全く無いのに、私にはその風景が身震いする程美しく、魅惑的であったのを今でも記憶している。
その同じ風景を、亡き師もこよなく愛し、何点もの素描と作品を描き、その想いは死の直前まで変る事がなかった。
今朝画室への道すがら、桜の名所を何ヶ所か通り、開花の兆しを確めた。
桜は師のこよなく愛した花であり、生き様であった。
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- 平成15年3月27日(木曜日)
【晴】
画室近くの梅林は、花が咲くのが遅い分だけ、他とは違い今が満開である。
木の下はすっかり青々として、イヌフグリの薄紫の絨毯の中に、濃い青紫のカキドオシが混じり、梅花の白を更に際立たせて美しい。
丈の低い梅の木の上を、大小山山系が南北に横たわり、春の霞んだ大気をまとってのどかである。
画室の庭のフキノトウは、いつの間にか20cm近くまで伸びてしまい、もう食用にはならないだろう。
昨日から息子が庭の草刈りを始めたが、今年も最低10回は草との闘いが待っている。
フキノトウ、ノビル、カキドオシ、カンゾウ、ヨモギ、ナズナ、イヌフグリ、ハハコグサ、ヤブラン、ドクダミ、タンポポ、アカザ、アマチャヅル、オウレン、オオバコ、スミレ、スイバ、シソ、カワラケツメイ、その他名も知らぬ沢山の野草が勢い良く育ち始めるのだ。
去年はケガのために草刈りが出来ず、ジャングルのようになった庭にマムシが出た。
今年はそんな事がないように頑張ろう。
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- 平成15年3月26日(水曜日)
【晴】
ここ数日、自転車で画室に着くとかなり汗ばんでしまうので、今朝は少し薄着で自転車に乗った。
いつもの事であるが、片道約8kmの道程の間、必ずと言って良い程危ない目にあう。
足利では、もはや安心して公道を自転車で走る事も出来ないようだ。
聞けば、ルール無視の結果引起される交通事故が多発しているという事であった。
大抵は信号無視と一時停止違反によるもの、そしてウインカーを出さない方向転換なのだという。
何と馬鹿らしい原因かと、思わず呆れ返ってしまう。
冗談ではなく、ほとんど病気なのかもしれない。
これも現代社会の生んだ歪の一種なのだろうか。
肥大化した自己中心性は一種の病気であり、病気は医者の手によってしか回復は難しい。
心当りのある人間は勇気を持って病院の門を叩けば、少しは世の中の悪が少なくなるのではないだろうか。
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- 平成15年3月25日(火曜日)
【雨】
雨のせいか、庭の梅の花がパラパラと散り始めたようだ。
前の畑の梅の花の半分は、既に散り終っているので、薄汚れた独特の雰囲気を漂わせている。
その昔、国を代表する花は梅だったのだそうだが、やはりパッと咲いてパッと散る桜の方が日本人の感性には合っているのだろう。
今日は久し振りに朝から雨模様で、外は少し暗いだけに、満開の梅の花の白が一段と鮮やかに浮き立って美しい。
暖房を点けておくと汗ばむ程の陽気だが、こんな日にも花粉は飛ぶのだろうか、午後になるとくしゃみと鼻水が止らない。
それでも50号作品の下描きを急がなければならないので、途中に小休止を入れながらずっと筆を取り、夕方に立ち寄る予定のH女史宅に行く時間まで仕事を続ける。
母屋の兄の腰がだいぶ悪化し、今日はほとんど立ち上がれなくなっていた。
それでも家の中はかろうじて動けるので、身の回りの用はたせるようである。
明日の朝、すぐに様子を見てみるつもりだが、義姉の仕事が医療関係で、自由に休めないのが辛いところだろう。
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- 平成15年3月24日(月曜日)
【晴】
あれは中一の春休みに入ってすぐの頃だったでしょうか。
親父が突然身の回りの品をリュックにつめてね、一緒に来いって言うんですよ。
いったい何事なのかなと思いながらもね、これは只事ではないなという実感はありましたよ。
今でも忘れない、その日は雨が降っていてね。
バスを降りて、桑畑の中を随分と長い間歩いてね。
行く先が雨でぼんやりと霞んでいたのを思い出しますよ。
どこに連れて行かれるのかなと不安になってね、何度も親父の顔を見たんだけどね、親父は一度も私の方を見なかったですよ。
その内に一軒の農家に着いたんですがね、親父は私にこう言ったんですよ。
「今日からお前はこの家で子守っ子をするんだ。皆さんに可愛がってもらうんだぞ」
そう言って親父は一度も後を振り返らずに帰って行きましたよ。
きっと私以上に辛かったんでしょうね。
私は子供心にね、親父の後を追って行ってはいけないんだと思ってね、戸口に立って泣きながら親父の後姿を見つめていましたよ。
せめて中学は卒業したかったけどね。その願いも叶いませんでしたよ。
この季節になると、こんな身の上話をしてくれた友を思い出す。
酒が好きで、喰む程に能弁になる友である。
義務教育さえ満足に受けていないのに、物知りで知恵深く、知性溢れる友である。
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- 平成15年3月23日(日曜日)
【晴】
いつもより少し遅くに画室に入り、仕事前の洗い物をしていると、初老のご婦人が熱心に展示作品に見入っていた。
気軽に挨拶を交し、ゆっくりと観賞してくださるようにおすすめして仕事を始める。
しばらくして、お礼の言葉を残し立ち去って行ったが、ご婦人は伝言を残して行ってくれた。
土間のテーブルの上に感想ノートが置いてあるのだ。
多分戦争体験者なのだろう。イラク戦争で心が沈んでいたところに、たまたま画室の前を通り掛り、思わず飛び込んだおかげで、心が安まったと記してあった。
午後、堀越モータースの堀越氏が来室する。
息子と約束がしてあったらしい。
失礼して仕事をしながら応待するが、何とも話が面白く、おかげでだいぶ仕事がはかどったので大助かり。
夕方近くご夫婦らしいハイカーが立ち寄る。
その後、堀越氏が辞去して間もなく、仕事が一段落したので、薄闇の中を自転車に乗り帰路につく。
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- 平成15年3月22日(土曜日)
【晴】
今夜は恐いオバさんが、勤務先の歓送迎会出席のため留守なので、お子達をオリから出し、テーブルの上に乗せて遊ばせた。
食物を置く所に、ウサギを乗せるなどとんでもないと言うのだが、自分が溺愛するチャだったら、絶対に文句一つ言わないのだから、えこひいきもはなはだしい。
チャの夜中の居場所は私の枕元で、御大層に専用の座布団が敷いてあるのだ。
気が向くと、布団の上を走り回り、顔の上に乗ったり、布団の中に入り込んだり、好き勝手のし放題だから、同じ部屋にいるチッピーは面白くない事はなはだしく、自分のオリの中で暴れまくっている。
チャはそれをからかうかのように挑発するので、チッピーは益々怒りまくってしまうのだ。
だから、チャが一番嫌うダッコをして、チッピーに代って少し仕返しをしてやるのだが、最近はこっちの体勢でダッコの危険を察知すると、すぐに手の届かない所まで逃げてしまう。
ウサギにも、結構知恵があるのだ。
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- 平成15年3月21日(金曜日)
【晴】
今日は彼岸の中日なので、実家と姉の家に赴く。
もう少し時間があれば墓参もしたかったのだが、仕上げ間近の仕事もあるので、今回は仏壇へのお参りだけで許してもらう。
だいぶ暖かくなってきたので多少薄着をしたつもりであったが、姉の家から画室への道すがら、かなり汗を流してしまった。
このままだと風邪をひいてしまう恐れもあり、途中百均に寄って下着を買う。
正午少し前に画室に着き、すぐに母屋に行って、イラク情勢を兄に問う。
戦争が始まった。
戦争は、破壊と殺戮、そして悲嘆と叫喚の源である事は言うまでもなく、生命あるものの中で、唯一人間だけが戦争という行為を行う存在である事を考えると、人間とは、いったいいかなる存在なのだろうと、問わざるを得ない。
無論、独裁者や独裁国家の存在は、人間の尊厳と価値という観点からも許されるはずはない。
しかし、戦争は常に、子供や女性などの弱者の犠牲を伴うという悲しい現実がある事を忘れてはいけない。
明日は我が身なのかもしれないのだから。
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- 平成15年3月20日(木曜日)
【晴、北の風】
NHKアーカイブス特集の「おしん」の中で、叱るとか折檻するという意味の「ごしゃく」という方言を聞いて、何だかすごくよく分るような気がした。
この辺では同じ意味で「どぐらせる」という方言があったが、最近ではほとんど耳にしなくなった言葉のひとつである。
耳にしなくなった言葉といえば「にしゃどっこ」というのがあった。
西はどっち?という意味なのだが、これが何とオケラという虫の別名なのだ。
オケラはモグラの虫版で、二本の前足がまるでシャベルのように大きくて力が強く、その手を使って地中を進むのだろう。
子供の頃、そのオケラを捕まえて、親指と人差指で後から胴体を挟み「にしゃどっこ?にしゃどっこ?」とはやし立てると、オケラは二本の前足を一生懸命広げて、「こっちこっち」と教えてくれるのだというのだが、ガキ共にはこのオケラを使ったもっと悪辣な遊びがあったのだ。
まず皆で相談して、誰か生贄になる奴を決めると、急いでオケラを捕まえてくるのだが、その場所は決ってゴミ箱の中であった。
捕まえたオケラを持って生贄の前に立つと、一人がオケラを持った腕を相手に突き出して、皆と一緒に大声ではやし立てるのだ。
「◯◯ちゃんのチンポコどんなでっけ?」
これは◯◯ちゃんの◯◯はどの位大きい?という意味のはやし言葉なのである。
問われたオケラは前足をいっぱいに広げて「こんなでっけ」と教えてくれるのだ。
すると皆は「◯◯ちゃんのチンポコこんなでっけ」とはやし立てる。
これを数回繰返すと、大抵の奴は「うぅわ〜ん」と大声で泣いて家に駆け戻って行くのだ。
あの頃、チンポコが大きいと言われるほど、恥かしい事はなかったのだ。
それは、チンポコの大きい奴程、寝小便たれだと皆が信じていたからだった。
今思えばかなり残酷な事をしていたのだが、今のいじめと決定的に違うのは、明日は我が身で、いつかその番が自分に廻ってくる事を誰もが知っていたので、自分がいじめられているという自覚が無かったという点だろう。
いささか品の無い話となったが、ありのままを告げないと真実が伝わらないので、あえて記した次第である。
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- 平成15年3月19日(水曜日)
【晴】
最近のお母さん(メスの黒ウサギ)は、自分の子供達の成長ぶりを少々持て余しているようである。
ついこの間まで手の平に乗ってしまう位の大きさであったのに、今では一丁前にウサギっぽい姿形になってきた。
動きもだいぶ活発になり、その足で追いかけられるお母さんは、オリの中を逃げ回っている。
お母さんに一息入れてもらうために、子供達をオリから出して一ヶ所にまとめておこうとしても、チョコチョコと動き回ってなかなか納まらないが、その内に私の腕の輪の中で、ひとかたまりになって眠ってしまう。
その間お母さんは、いかにもホッとしたという顔つきで、オリの中で長々と寝そべっている姿が何とも面白い。
オッパイを喰ませているためか、食欲は旺盛で水もよく飲んでいる。
親子共々に黒いので、オリの中で固まっていると誰が誰だかよく分らない。
この調子では我が家のウサギは15頭になってしまう。
恐いオバさん(家内の事)はチャ以外のウサギに対して、近頃少し厳し過ぎるのが気になる。
このままだと本当に山に捨てられかねないので、どなたか親切な人が貰ってくれないだろうか。
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- 平成15年3月18日(火曜日)
【晴】
「朝、私が表の戸を開けるだろう。すると大抵誰かがそれを待っててね。すみません、音頭(おとがしら)に取次いでいただきたいんですがって声を掛けてくるんだよ。ほとんどは独身の娘さんか、どこかのオカミさんでね。
何しろ取り仕切る町内の数が多かったから、相談に来る人の数も多かったね。人の目に触れない朝の内にと、皆忍んで来るんだろうね。
そう、相談事の大方は縁談でね。内緒で好きな人がいるところに親が勝手に話を進めてしまって、もう身動きが取れなくなっちまい、思い余ってお前のおじいちゃんの所に助けを求めに来るんだよ。
あとは亭主の浮気の相談や、今日買う米の相談と、そりゃあ無いものは無い程、ありとあらゆる話が持ち込まれてたよ。
お前のおじいちゃんは、それを何ひとつ疎かにせず、うん、うんと親身になって聞いてやってね。ひとつひとつ納めていったものだよ。
流れ者や西行(渡り職人)には仕事と食事と宿をあてがって、次に送り出してやるし、門付けの人達もよく面倒みてたね。
だから町内の治安は本当に良かったよ。
喧嘩の仲裁なんか日常茶飯事だったし、
今の弁護士と警察と消防と救護所をまとめたような役割だったのさ」
今年80歳を少し越えた叔母の話である。
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- 平成15年3月17日(月曜日)
【雨】
雨の中を久し振りに、自転車に乗って画室に向う。
ペダルを踏んでいると汗ばんでくる程の陽気に、季節を感じながら、合羽に当る雨音を楽しんだ。
途中で税務署に立ち寄り、作成済みの確定申告書を提出したが、今日が最終日なのでかなりの混雑であった。
せっかく雨の中を自転車で走るという機会に恵まれたので、しばらく通らなかった露地を選び、ゆっくりと進む。
少し遠回りになるのだが、こんな日には安全に走れる露地の方が、気を使わずにすむので助かる。
春が近付く路地裏の雰囲気の中にいると、なぜか、ある人の事を思い出す。
昔どこの町内にもいた名物男の一人で、名前は確か「善さん」といった染職人であったが、その人の事を「善さん」と呼ぶのは私の母くらいのもので、大抵は二つ名の「ぜんたまん」と呼んでいた。
歯が一本もない上に入れ歯をしていない。だから話す言葉は全て息が漏れてしまい、余程に慣れた人でないと何を言っているのか理解できなかった。
それでも「ぜんたまん」は町内のスーパースターであった。
特に夏祭りが近付いてくる季節の「ぜんたまん」は、いつももろ肌を脱いで、自慢のひょっとこの入墨をちらつかせて粋がっていたのが、子供でも分る程であった。
父に云わせると「ぜんたまん」の彫物は線彫の段階で止めてしまっている未完成のもので、多分痛さに我慢ができなかった証拠のようなものなのだそうだ。
「ぜんたまん」にその件を問いただしてみたら、本人は目をむいて
「ひょうたんひやねぇひゃ、ふえらふおうめ、ぜにくあつづくぁなくぁったんでい」と言ったものだ。
そんな「ぜんたまん」を子供達は皆好きだった。
もろ肌を脱いで、長い笹竹の先に付けた祭提灯を得意気に打ち振ってみこしを先導していた勇姿と、満開の桜の花の下で、酔い潰れた上に、威勢のいい若い衆に喧嘩でも売って、逆に袋叩きにでもあったのか、ぶざまな姿で寝転んだまま、訳の分らない事を喚き散して、通り過ぎる花見客の足を止めていた姿を思い出す。
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- 平成15年3月16日(日曜日)
【晴、夕方から雨】
午前10時の開館と同時に市立美術館に入り、先日充分に観賞出来なかった分の埋め合せをする。
今日は最終日であったので、市長をはじめ多くの人達が早々と訪れて、会場は活気付いていた。
ゆっくりと観賞し、多分今日を最後に、もう会う事のない友に声を掛けて会場を後にする。
午後、昨日置いてきた自転車を取りに行くため、少し早目に画室を出る。
自転車を受け取った後、友人の眼鏡店に立ち寄り、本人が美術館に行っている間留守番を引き受けるが、もしも客が来たらどうしようとハラハラドキドキ。
やっと帰って来た友が、開口一番「だめだ、だめだ、あれじゃぁだめだな。特に風景がだめだな」と厳かにのたまわった。
何がだめなのかよく分らないが、予想していた通りの感想が帰ってきた。
どういう訳か絵を描く人の中には、他人を絶対に評価しないタイプが必ずいるものだ。
なぜなのだろう。この友も恐らくミレーやターナーなどと比較してダメなのだと言っているのかもしれない。私も自分の作品をレンブラントとの比較において批評されたことがあった。
その前に観る前から既に相手を否定している様子がうかがえる。
客観的な批評ならよいのだが、彼の場合は恐らく嫉みが大部分で、それが何となく伝わってくるのだ。
画家を志しながら挫折した原因のひとつが、この性格にもあるような気がする。
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- 平成15年3月15日(土曜日)
【晴】
朝飯前にふらっと外に出て、近くの八雲神社まで出掛けてみると、近所の年寄り達が幾人もお参りに来ているのが目についた。
石段に腰を掛けて、年寄り達が本殿や拝殿を廻って歩く様子を眺めている内に、朝もやもすっかり晴れて朝日が差し込んできたのを背中で確め、ぶらぶらと家に戻った。
母や手伝いの女の人達に促されて、慌しく食卓に着いて朝飯を掻っ込み、カバンを片手に学校に向う。
行く道でいつもの奴等と落ち合い、下校後の遊びの約束を交し、八百屋の店先のリンゴや、その隣の菓子屋のガラスビンの中に詰っている煎餅や、またその隣の羊羹屋のでかい羊羹を横目で睨みながら、だらだらと人の流れに身を任せて校門をくぐる。
下校後に集合する八雲神社には、戦争中に息子の出征記念に祖父が奉納した国旗掲揚台が広場の端に立っていた。
どういう訳か、その根元にはよく野糞がしてあったのを今も思い出す。
その八雲神社の本殿が改築される事になり、その天井を200枚余の絵画で飾るために、広く市民に参加を呼掛け、多くの応募者が参加を申し出たと云う。
今日、そんな話を帰り路で耳にした。
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- 平成15年3月14日(金曜日)
【晴】
昨日の事、画室から家に帰る途中、バイクが段々動かなくなってきた。
いくらスロットルを開いてもなかなかスピードが上がらず、やっと少し加速したと思えば、一時停止や赤信号でまた速度を落さなければならず、その都度地面を蹴るようにして前進しなければならないのだ。
その内に人の歩く速さよりも遅くなってしまい、スロットルを絞るとエンジンが止ってしまうようになった。
カラカラと変な音がして嫌な臭いがしてきた。
それでも何とか機嫌を取りながら家の近くのバイク店の前まで来ると、まるで計算したかのようにプスッという音と共に完全にエンジンが停止してしまった。
その少し前から、赤いつなぎを着たバイク店のオーナーが、心配そうにこちらを見ていたのも絶妙で、まるで漫画のようなタイミングとなった。
オーナーの見ている前で、バイクの下は流れ出すオイルが溜りを作って、故障車の見本とも言うべき場面を提供していた。
これでは、例え中古でも乗り換えない訳にはいかないだろう。
その場でオーナーに注文した。
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- 平成15年3月13日(木曜日)
【晴】
朝は水道が少し凍る程冷え込んでいたが、午前10時を過ぎるとだいぶ暖かくなってきた。
今日は終日、絵筆ならぬ事務仕事のために筆を握っていた。
明日はやろうと思いながら、とうとうギリギリまで手を付けられないのは毎度の事だが、それが何とも情けない。
夕方近くに何とか一区切りついたので、念願の知人の個展に出掛けた。
会場は少し賑やか程度で鑑賞にはちょうど良い。
お互いに何とか相手を識別できたのが何より。
先日電話に出た妹さんやお母さんがとても喜んでくれたようで、ホッとした。
女史も気を遣ってくれてか、いつもそばに付いてあれこれと説明を加えてもらい有難かった。
あっという間に閉館時間が近付き、開催中に再度来館する事を約してその場を辞した。
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- 平成15年3月12日(水曜日)
【晴】
我が愛車のバイクが、ここ数日調子が悪くて困っている。
走行している時は、それなりに動いているのだが、スロットルレバーを戻したとたんに、エンジンが止ってしまうのだ。
それにオイル漏れも段々ひどくなる一方だ。
行き付けの店に修理を頼めばそれで良いのだが、多分中古を買える位の費用になると思う。
兄の形見の品という事を考えれば、修理代は考えずに直してもらった方が良いのだろうが、それも限界というものがあるのかもしれない。
何しろポンコツを絵に描いたような代物なのだから、もしも他人に迷惑がかかったら大変である。
先日、ふと広告に目をやると、電動のスケボーが7,000円代、電動バイクが12,000円代で出ていた。
バイクはともかく、スケボーなら充分に通勤の足として使えると思い、是非買おうと思っていたら、何と売出し日がとうに過ぎていた。
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- 平成15年3月11日(火曜日)
【晴】
このところ毎日強い風が吹き続いていて、遥か遠くの風景が鮮やかに眺められる。
画室の南から、母屋の低い塀越しに覗いている梅の花の梢の上に、秩父山系の一部が山襞を見せて東西に横たわっている様子が美しい。
今日は朝から街道を挟んだ向い側の梅林に、そこを所有する施設のスタッフが数人入って、最後の剪定作業をしている。
昼少し前には、レッスンの帰り路に、田起し仕事のかたわらを何ヶ所か通り過ぎた。
午後になると、風が少しおさまってきたようだ。
夕方A氏からこれから来室するとの電話を受ける。
待つ程もなくA氏が到着、今日市立美術館で開催している木内女史の個展に行って来た旨の報告であった。
A氏によれば、作品もさることながら、女史の持つ雰囲気に強い感銘を受け、一言も言葉を交さずに会場を後にした事を悔んでいる様子であった。
会期も半分を終り、なかなかの盛況のようだ。
ご本人はもちろん、機会に恵まれて女史の作品と出会った人達にとっても、心に残る展覧会であってほしいものだ。
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- 平成15年3月10日(月曜日)
【晴】
そろそろ、からし菜の花を摘む人達の姿が、あちこちで見られるようになったが、どうした訳か、今年は庭のフキノトウの出方が少ない。
隣の梅の木の下には、花が開いたフキノトウがたくさん出ている。
その代りにノビルがやたらに多いのが目立つようだ。
日一日と庭が青々としてきて、もう季節は春であることを実感させられる。
手の空いた時に、そろそろ一回目の草取りをしておこうか。
本当は昨日、知人の個展が開かれている市立美術館に行く予定であったのだが、何やかやと用事に追われて、とうとう行けなかった。
来週の日曜日までが開催期間なので、時間を作って是非とも出掛けて行きたいものだ。
午前中立ち寄ったハイカーの一人が、どこかにストックを忘れたらしくまた戻って来たので、一緒に前の梅林の中を探して何とか見付けることが出来た。
梅の花も今は五分咲きというところだろうか。
間もなくこの附近のいたる所が、白い花でボッと霞んだようになることだろう。
特に夕闇に溶け込む花の白の佇まいは、ある種の魔力さえ持っているのではないかと思える程鮮烈である。
そんな時がくるのも、そんな遠い日ではないだろう。
間もなく春の彼岸。花と共に逝った人が帰って来る。
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- 平成15年3月9日(日曜日)
【晴】
朝からの強風で、流石に大小山に登るハイカーの姿が街道に見えない。
このところ連日風が吹き荒れていて、何となく心が落ち着かない。
同じ音でも、雨音や水の流れる音は心が落ち着くのに、吹き荒ぶ風の音は、なぜ心を騒がせるのだろうか。
人の気配の途絶えた昼下りに、ビョウビョウと吹き過ぎる風が、様々の物を運んでくる。
それらが画面に見入る視界の端に、時折飛び込んできて、思わず顔を向けると、ほとんどは唯のゴミなのだが、まるで風に乗るかのように地を走る鳥の姿を見る時がある。
人を恐れる様子もなく、ガラス戸のすぐ近くまで来るのが面白い。
帰路、南の空に黒紫色の富士山があった。
その背後から東の視界いっぱいに、まるで壮大な山脈のような雲塊が、黒々とそびえ立っている。
あれは多分雪雲なのだろう。
あの下の中央アルプスから南アルプスにかけて、今頃は降りしきる雪の中なのか。
今日は朝から寒い日であった。
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- 平成15年3月8日(土曜日)
【晴】
昨日の雨と今日の風で、開けた場所に出ると、まず南に秩父山系を従えて真っ白な富士山が目に飛び込んでくる。
視線を西へと移していくと、上州荒船山から信州台地が、やはり真っ白な浅間山を押し上げるように続いている。
視線を更に北寄りに移していくと、榛名、そして妙義山が視界に入ってくる。
そのすぐ右側、方角で言えば北寄りには、赤城山の堂々たる裾野が南北に走り、ほゞ真北には、足尾山系を従えた男体の威容が女峰山と共にそびえている。
東に目をやれば、遥か筑波の独立峰が、青空をバックに屹立している。
比較的展望の良い北関東でも、こんな日は珍しい。
ふと、田山花袋の「田舎教師」の冒頭の文が脳裏を過った。
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- 平成15年3月7日(金曜日)
【雨】
降りしきる雨の中を、バイクで画室へと道を急ぐ。
広い道路を避けて、脇道を選びながら画室近くまで来ると、左前方の大望山から、ずっと右手にかけての山並の中腹に、まるで袴を付けたような雨雲がたなびき、薄墨色の山肌を浮き上がらせて息を飲む美しさであった。
場所によっては、かなり咲き始めている梅の花が、折からの雨に濡れて光っているのも味わい深い。
こんな風景に包まれて生活していた頃の日本人は、さぞ潤いのある心を育てていたのだろうと思う。
自分の足の速さの何倍ものスピードで走る人間に、風景は決してメッセージを送っては来ないだろうから、時々は車を端に寄せて、ほんの数分間、眼前の景色に目を向けてみたら、きっと新しい発見があると思うのだが。
バイクを止めて風景を見入っていると、体に降り注ぐ雨音が、耳に快く響いてきた。
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- 平成15年3月6日(木曜日)
【晴のち雨】
黒カアさんの六匹のお子達の成長は、初産と二回目に比べて、かなり早い気がするのだが、気のせいだろうか。
今回は黒系四匹と、ダークグレー系二匹で、どれを見てもムーミンそのもの、多分ムーミンのモデルはウサギの赤ちゃんだったのではないだろうか。
ダークグレーのムーミン兄ちゃんとムーミン姉ちゃんは、黒達よりも人懐こいようである。
オリから出してダッコしていると、二匹とも指をペロペロと舐めて、その内に寝込んでしまう。
黒系はとても活発で、少しもじっとしていない。
その行動を見ていると、誰が親なのか見当がつく。
最近お子達を触るので、そのニオイが付いているためか、チャが落ち着かなくて困る。
夜は(チャを)オリから出しているので、一晩中走り回って、そのうえ穴倉代りに布団の中に潜り込んで大暴れしている。
相変らず「ウン・ウン」と言いながら鼻先を押し付けてきて安眠妨害をしている。
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- 平成15年3月5日(水曜日)
【晴】
旧知の女流画家が、パリから一時帰国して、郷里の足利市立美術館で個展を開く事になったので、お祝いの生花を贈りたいと思い美術館に問合せたところ、それは困るとの事であった。
理由は、今後も開催していく予定があるので、花などの数に格差があっては、何かと不都合があるからだそうだ。
他の公立美術館でも同じ発想なのだろうか。
公平性への配慮と云うよりは、自己保身のためのような気がしてならない。
公共施設にはそれなりの事情や理由もあるだろうが、出展者の立場で考えれば、やはり祝福を何らかの形で確認したいと思うのも当然だろう。
もう少し柔軟な発想でものを考えられないのだろうかと思ってしまうのだが、認識不足だろうか。
ともかく、せっかくの個展が、素晴らしい成果を生む事を心から願わずにはいられない。
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- 平成15年3月4日(火曜日)
【晴、西の風】
朝から強い風が吹き荒れる日となった。
こんな日なのに、午前中一人の女性ハイカーが土間に入って来た。
見れば何度か訪れた事のある「大小山友の会」の人だった。
ガラス戸越しに世間話をしながら、聞くとはなしに聞いてみると、ご主人も絵を描く人なのだそうだ。
午後A氏より電話。コーヒーを飲みに来たいとの事。
何杯でもどうぞと答えて、それを折に新しく入替える。
A氏とのよもやま話の最中に、HモータースのH氏来室。
三日前まで、ひどい風邪で寝込んでいたそうで、そのお見舞いに東北の知人が送ってくれたリンゴのお裾分けに預る。
ちょうど良い機会なので、なかなか速度の出ないバイクについて聞いてみたら、多分マフラーが汚れているせいだろうと教えてもらった。
針金で少し突付いてみたら、本当に凄い汚れであった。
ダメ元なので、何度か汚れを取り除いたところ、気のせいか、少し加速が良くなったようであった。
帰路、線路沿いの直線道路で試してみたが、確かに良くなっている。
思わぬ結果に気を良くして、年甲斐もなくフルスロットルで走らせた。
久し振りの時速30kmの猛スピードであった。
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- 平成15年3月3日(月曜日)
【曇のち雨】
午前中のレッスンを終了し、少し遅目の昼食の後に、動物肖像画の仕上げの仕事に入る。
外は少し雨がぱらつき始めたのか、パラパラと庇を打つ音が耳に快く響いてくる。
案内板を軒下に入れてしばらくすると、鈴の音と共に年配のハイカーが三人土間に入って来た。
いつものように気軽に挨拶を交し、そのまま仕事を続けていると、しばらくして立ち去った様子。
気付かなかったが、外の椅子にも一人休んでいたらしい。
こんな天候でも山に入る人達がいるのに驚いたが、その年齢を考えると更に驚きが増す。
先日立ち寄った人は館林から来たというし、今日の人達もおそらく市外から来たのだろう。
この谷はいたる所に梅林があり、花もだいぶ咲いてきたようだ。
間もなくいたる所が白い花と香に包まれるだろう。
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- 平成15年3月2日(日曜日)
【晴、西の風】
午前10時を過ぎると、風は次第に強くなってきたようだ。
ゴウゴウという音に混じって、何かが倒れる音や地を転がる音が耳に飛び込んでくるのがどうにも落ち着かない。
大きな音がする毎に外に出て、大事な物が壊れていないかどうか様子をみなければならない。
今日は特に風の勢いが強くて、街道を行くハイカーはおろか、車の通りさえ途絶えて、妙な静けさが漂っている。
強風の割には暖かいのが、やはり季節の移ろいを実感させる。
暖房の目盛を最低にしても、充分に画室が暖かいのはとても助かる。
今日の昼食は、椎茸とエノキ、そしてネギと油揚げを入れた煮込みうどんを作った。
うどんは三人前100円の冷凍うどんだが、これが意外に美味いのだ。
どうしても少し多目になってしまうので、多分明日の昼も今日と同じうどんを食べる事になるだろう。
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- 平成15年3月1日(土曜日)
【曇のち雨】
十数年振りの旧友との再会に、時の経過を実感する。
お持たせの昼食を共にした後に、中学時代の話に花が咲き、その当時女子と男子の話題が、全然違っていた事を知り驚く。
友は現在清掃の仕事をしているという。
職場へは自転車で行くので、露地の佇まいに四季の移ろいを見出して、日々新たな感動があるとか。
歌人ならではの視線を感じる一言であった。
夕方辞去する二人の車を、持ち主の代りに街道に出す時、車体の右角を擦ってしまった。
誘導に従って運転していたつもりであったが、せっかくの日を、こんな形で締め括らねばならなくなった事は、とても残念でならない。
Sさんごめんなさい。これに懲りずに、是非また来てくださいね。
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