アトリエ白美「渡辺肖像画工房」 渡辺晃吉
- 平成15年2月28日(金曜日)
【晴】
今日は母の祥月命日。画室に行く前に実家に立ち寄る。
義姉の入れてくれたコーヒーを頂き、早々に辞去して画室に向う。
朝の内に、昨日作った50号パネルの下塗りを終えて、新しい肖像画作品の制作に着手する。
塾生のTさんより電話があり、猫が病気で点滴を打っているので、明日のレッスンは休みたいとの事であった。
明日と言えば、午後に旧友が何十年振りかで訪ねて来る予定。
歌人であり、これまでに何冊か歌集を刊行していて、最新作の「青葉闇」は、正に秀作の名に恥じないものである。
午後、土間に人の気配。どうやらご夫婦らしいが、展示作品の中に気になるものがあるらしい。
邪魔にならぬように声を掛けず仕事を続けていたら、しばらくして静かに帰って行った。
午後6時、後片付けを済ませ帰路につく。
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- 平成15年2月27日(木曜日)
【晴】
タンポポの葉が、日に日に勢いを付けて、青々と繁ってきた。
手を抜くと、直ぐ庭一面を埋め尽す程に強い植物だが、これが食べると意外に美味いのだ。
茹でておひたしで食べても良し、若葉のサラダもなかなか捨て難い。
一番好きな調理方法は、一回湯掻いてアクを抜き、薄味で煮たものだ。
根をキンピラにしても良いそうだが、まだやってみたことがない。
近くの土手や街道の端に行くと、見渡す限り芥菜が群生し、若葉を摘む人達の姿をよく見掛ける。
塾生の一人も度々摘みに行くそうで、もう何回か行って来たそうだ。
芥菜はおひたしも美味いが、塩漬けが最高に美味い。
そのままでも良いが、菜飯にしても独特の風味があり、大根葉や野沢菜とは違った味が楽しめる。
芥菜は間もなく花を咲かせる。
花もまた春の香りと味を齎してくれるから有難い。
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- 平成15年2月26日(水曜日)
【晴】
前の畑のオバさんが持って来てくれた大根があったので、池波正太郎の仕掛人シリーズで、梅安が、音羽の半衛門に振舞った大根鍋まがいのものを作ってみた。
細切りした大根を、薄いダシ汁を張った鍋の中に入れて、直ぐに引き上げポン酢につけて熱々を食べるのだが、これが意外に美味いのに驚く。
大根は火が通っているがまだシャキッとしていて歯触りが良く、ポン酢が大根本来の味も引き立ててくれる。
ザルに山盛りの量を平らげても、ほとんどノンカロリーなので、ためらう事無くむさぼっても安心である。
オバさんの畑の野菜は、何でも味が濃くて美味いが、中でもネギとナスと大根は特に味が良いようだ。
形は決して良くはないし大きさも不揃いで、多分売り物にはならないし、その気もないだろう。
しかし、これこそ大地の恵みでなくて何だろう。
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- 平成15年2月25日(火曜日)
【晴】
契約プロバイダの女性社員が来室する。
とても感じの良い娘さんだが、残念な事に今日で退社をするのだと言う。
地元に密着する会社経営とは程遠い経営者の方針に、「NO」を突き付けたのがその原因らしい。
問題意識を持った勤勉な社員が居る事の出来ない企業は、所詮そこまでのものだろうが、思えば悲しむべき事である。
またいつか立ち寄ってくれるようにと送り出し、前途に希望がある事を祈った。
午後3時過ぎに画材店から注文の品が入荷した旨電話があり、少し早いが画室を閉めて息子の車に同乗し、群馬県まで出掛ける。
閉店時間ギリギリの午後7時まで店に留まり、すっかり暮れた中を帰路につく。
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- 平成15年2月24日(月曜日)
【雪】
雪が積るとよく雪合戦をやったが、足利公園が戦場となる雪合戦は、言葉の持つ印象とは違い、大袈裟に言えば生命がけの戦いであった。
変化に富んだ地形を充分に活用して、参加人員も100名を越える規模の戦いは、正しくゲリラ戦の様相を呈している。
とにかく敵の攻撃から身を守る事に全神経を集中しながら、敵方本陣の旗印を奪わなければならないのだ。
不運にも敵の攻撃に身をさらした場合、生身の人間であったら、まず戦意を喪失するだけでなく、窒息死する恐れさえあるのだ。
何しろ突然数百個の雪玉が、顔といわず頭といわず、まるで雪崩のように襲い掛かってくる。
何が起ったか考えるヒマもない内に、眼の前が真っ暗になってしまうのだから、その恐怖といったら筆舌に尽し難い。
たった一個当れば、もう相手の捕虜になるのだから、そこまでやらなくてもよいと思うのだが、そこが雪合戦なのだ。
接近戦を避けるために、ロビンフットの映画を参考にして、投石器を作って雪玉を飛ばしてみたら、これが予想以上の成果を発揮した。
手で投げる三倍から五倍の大きさの雪玉が、高速で30m近く飛んで行くのだからたまったものではない。
直撃を受けた敵の一人が、もんどりうってひっくり返り、しばらくは何が起ったか分らずポカンとしていたが、その後で火の点いたように泣き喚いた時には、天にも昇る気持であった。
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- 平成15年2月23日(日曜日)
【曇時々晴】
腰に付けた鈴を鳴らしながら、男性のハイカーが一人土間に入って来た。
挨拶を交しコーヒーをすすめ、仕事の手を止めずに、ガラス戸越に話し相手をする。
住まいは館林なのだが、足利の山が好きでよく来るのだと言う。
(私の)我が家は祖父方も祖母方も、館林出身である事を告げると、今まで以上に親しみを覚えてくれたようである。
足利の山と川の美しさを褒めてくれたが、その同じ川が館林の北を流れている。
何年か前に、足利と館林の堺にあった鯉名(こいな)の渡しを探しに行った事を思い出した。
下野(しもつけ・栃木)の南部と上野(こうづけ・群馬)は、どういう訳か博徒や侠客が多い。
大前田栄五郎、国定忠治、駒形茂平、そして鯉名の銀平。
かの有名な座頭一も、この辺をうろついていたらしいと聞く。
女の働きが良い土地柄が、男を遊び人にしたのだというが、それだけではあるまい。
そんな下らない事をぼんやりと思いながら、世間話に興じ、帰路につく客を送り出して一息つく。
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- 平成15年2月21日(金曜日)
【晴】
井戸水を汲みに出たついでに、フキノトウの様子をみたが、まだ早いのかどこにも出ていなかった。
その代り、ノビルやタンポポが青々としてきたのに驚き、いつの間にか、野は冬枯れから再生へと、リズムを変えてきているのを実感する。
梅の蕾は日に日に大きくなり、早い所ではもう咲いている。
もうロウバイは、あの独特の香りを漂わせているのだろうか。
気になるポイントが何ヶ所かあるので、近い内に訪ねてみよう。
先日道端のセイタカアワダチソウの枯れた茎を何本か採取した。
軽くて結構丈夫なので、木炭を先に付けて大型画面の当りに使うと便利なのだ。
確か同じ場所にロウバイが咲いていたと思うのだが、もしかしたら勘違いをしているかもしれない。
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- 平成15年2月20日(木曜日)
【晴】
子供の頃の遊び場で、年間を通して様々の行事の中心であった、緑町の八雲神社の本殿が建替えられる。
それに合せて天井の約200枚を絵で飾ることとなり、広く市民の参加を呼びかけていると聞いた。
神社の境内には梅の林があって、季節になるとよく梅の実を取ったものだった。
その梅も今はなく、東側に広々と広がっていたクローバーの野原も跡形もなくなっていた。
本殿の床下はいつも乾燥していたためか、土グモの巣とカゲロウの巣のアリジゴクがいたる所にあって、子供達には宝の山同然の場所であったのだ。
高床の柱や仕切り板の根元を探すと、指位の太さの袋状のクモの巣の上半分が見付かる。
そこを巣を壊さないように掘っていくと、袋の底に潜んでいる赤白い色をした土クモを捕える事が出来る。
捕まえたクモは、お互いの大きさを競った後で逃がしてやるのだが、クモにしたら大いに迷惑だったろう。
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- 平成15年2月19日(水曜日)
【晴】
画室に着くと間もなく、千葉のT氏より作品が無事に届いた旨の電話を頂いた。
出来も満足のいくものであるとの事で、まずは一安心というところ。
次の作品は、やはりP8号サイズのコンテ画の遺影肖像画である。
主な希望事項は実際の写真よりも若く描く事と、髪を少し多目にする事の二点。
和装で紋入りなので後日に紋の確認をしなければならない。
二ヶ月後に所属画壇の公募展があり、その出品作もそろそろ手掛けなければならない。
その前に確定申告が控えていることをすっかり忘れていた。
それも間をみて早目に片付けないと何かと落ち着かない。
気が付くと午後5時を少し過ぎているのに、まだ外は少し明るさが残っているのに驚く。
先日梅の木の下のフキノトウを探したが、その時にはまだ見付けられなかった。明日あたり、もう一度探してみようか。
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- 平成15年2月18日(火曜日)
【曇】
午後6時、予約していた歯科医院に行く。
治療台に横になり、程好い音量で流れているBGMに耳をやると、それは懐かしい「慕情」のテーマであった。
ずっと昔、ある民放ラジオ局が、毎週日曜日の午後2時から午後4時までの二時間、当時としては超ロングな企画で放送していた音楽リクエスト番組があった。
「ポポン・ミュージックレター」というタイトルで、イントロには、確かシャンソンの「パダム・パダム」が流れたと記憶している。
その中で毎週必ず放送された曲の内の一曲に、この「慕情」も入っていた。
それ以外には、「旅情」のテーマ、
「下町のおてんば娘」、
「エデンの東」のテーマ、
ライムライトの「テリーのテーマ」、
ジャン・ギャバンの「現金に手を出すな」のテーマ、
南太平洋のテーマ「バリ・ハイ」、
シェーンのテーマ「遥かなる山の呼び声」、
掠奪された7人の花嫁のテーマ「俺は淋しい山猫」、
真昼の決斗のテーマ「ハイ・ヌーン」、
そして極めつけは禁じられた遊びのテーマだった。
毎週その時間になると、下の兄を中心に姉二人と私、そして姉達の友人がラジオの前に集い、胸をときめかせて一曲一曲に聴き入ったものだった。
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- 平成15年2月17日(月曜日)
【晴】
何と黒カアちゃんが、また子供を産んだ。
少し前にカアちゃんと数匹のオスが、夜中にオリを脱走していた事があった。もしやと恐れていたのだが、やはり不安が敵中してしまった。
現在11匹もいるので、今回のチビちゃん達は、是非とも養子に出さなければ、もうオリの置き場もない始末。
本当に昨夜までそんな気配はなかったのだが、夕方に家内から電話を貰いビックリ仰天した。
帰宅してみると、オリの隅に自分の毛を抜いて作った巣がドカンと生まれていて、さっきの電話が事実であることを物語っていた。
それでも一応、カアちゃんにねぎらいの言葉を掛けてやり、指を隙間に入れると、いつものようにペロペロ舐めていた。
さて、今度ばかりは本腰を入れて受け入れ先を探さなければ、本当に大変である。
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- 平成15年2月16日(日曜日)
【曇時々雨】
少し遅い画室到着となったが、どうにか雨に降られずにすんだ。
見上げると空は雨雲に覆われて、今日一日の天候を暗示するかのようにブルーグレー一色に染まっていた。
こんな日は、訪れる客もないだろうが、それでも土間のコーヒーを入れてポットの湯を入れ代える。
完成作品を梱包し、次の仕事の下準備を始めると、堀越モータースの堀越氏が来室する。
ちょうど一区切りついたところなので、一緒にコーヒータイムを楽しむ。
午後には降りが少し強くなってきたのが、庇を打つ雨音の強さでそれと知れる。
街道には人の気配はおろか、車さえあまり通らない。
前の畑の梅の木には、少しづつだがもう花が咲き始めている。
井戸水を汲みに庭に出た時、微かに梅の香が辺りに漂い、春がもう目覚めた事を教えてくれた。
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- 平成15年2月15日(土曜日)
【晴】
JR両毛線に並行して走る間道をしばらく西進し、途中の随道を抜けて国道旧50号を渡り、毛野小学校の東側を少し北進して、山裾をまいている間道に乗って道なりに進むと、前方に大望山のほぼ正三角形のピラミッド型をした姿が目に飛び込んでくる。
少し健脚のハイカーなら、名刹「長林寺」の境内を抜けて山頂に至る登山道を踏破し、更に遥々大小山に至り、尾根を下って画室の前の街道を通って帰路を辿るようだ。
確かに山歩きは楽しいだろうが、平地にも結構魅力のあるルートがあるのだが、ハイカーの人達は意外に知らない。
画室の南約2kmに小さな分校がある。
そこに至る道筋に旧道を選ぶと、ちょっとした遍路道のような雰囲気がある。
分校を経て道を更に南にとると、そこは有名な古道「例幣使街道」である。
渡良瀬川の土手沿いの道を東にとり、「奥戸」を経て、旗川の土手に至り、更に東進し寺岡のお大師様を目指す。
旗川を渡り、村上の部落の中を通る例幣使街道にある「十九夜」の辻を抜けて、佐野市吾妻の泉を目指し、泉水の流れる堀川沿いを南進すると、旧い医院や門構の屋敷と出会うことになる。
その後は様々なルートがあるのだが、地図を作って画室に置こうと考えている。
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- 平成15年2月14日(金曜日)
【晴】
冬の日が少しづつ伸びてくる二月の半ば頃こそ、寒さが最もきつくなる時でもあったのだが、最近はそんなこともなく、結構暖かい日が多い気がするのだが、私の思い違いだろうか。
そう言えば最近霜柱や朝霜を見ることもほとんどない。
時と場所によっては、今でも当然起っている自然現象なのだろうが、残念なことに生活パターンの変化などが原因して、自然からの語り掛けに耳を澄ませる機会もなくなってしまった。
今朝画室近くまで来ると、大小山の枝沢のひとつから野焼きの煙が立ち昇り、途中から横に棚引いて広がっていくのが目に入ってきた。
落葉の燃える香ばしい煙の中に入っていくと、いつの間にか心が和み、思わず口笛を吹いていた。
そうだ、お隣の畑に積んである梅の切り枝を燃やす時には、芋でも持って行って焼き芋でもしようか。
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- 平成15年2月13日(木曜日)
【晴】
母屋の南にある井戸水を汲みに外に出てみると、足元にカラスの羽根が落ちていた。
多分尾羽根なのだろう。かなり大きいので羽根ペンにして試し書きしてみたら、意外に書きやすいので少し驚くと同時に、何か得した気分になった。
先日画材を仕入れるついでに、ペン画用インクを買っておいたのが役立ったようである。
午前中に近くの郵便局まで出掛け、帰り路に昼食用のパンを買い、のんびりとバイクを走らせると言えば絵になる図だが、実はこのバイクは、どんなに頑張っても自転車より少し速い程度の速度しか出ないし、スタート時など、その自転車が楽々と追い越して行く位のポンコツ車なのだ。
バッテリーは寿命寸前で、オイルランプは点灯したまま。スピードメーターはピクリとも動かず、ハンドルは少し左側に向いている。
それでも静かに運転していれば、まず問題なく私を運んでくれるから有難いものだ。
このバイクは前述のごとく亡兄のかたみである。
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- 平成15年2月12日(水曜日)
【晴】
午前中野外レッスンのため、近くの里山まで出掛ける。
少し風が出てきたので冷え込みがきついようだ。
午後宇都宮からH氏ご夫妻が来室。愛犬アミちゃんも一緒であった。
出来上った作品を観てもらい、OKが出たので額装し梱包する。
ひととき歓談後、奥さんの実家に向うお二人を送り出した後仕事に戻る。
風が段々強くなってきたようで、ゴウゴウと山鳴りが伝わってくる。
何か硬い物が道を転がっていくのか、カラコロカラコロと乾いた音が妙に長々と続いていた。
開け放った土間に吹き込む風が、展示してある作品を揺する音も他の音に混じって耳に届いてくる。
この作品もそろそろ仕上げ段階に入る。
明日あたりから次の作品の準備も始めなければならないだろう。
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- 平成15年2月11日(火曜日)
【曇時々雨】
去年の今日は全身の痛みで身動きもならず、唸りながら床に就いていたのを思い出す。
前日に事故で病院に運ばれた折に、念の為数日間入院した方がというのを無理矢理帰宅させてもらったが、その晩から痛みが段々と強くなり、ほとんど一睡も出来なかった。
病院で思い出すのは、何といっても日赤の玄関に常駐している若いガードマンのユニークな誘導振りである。
決してウケを狙っているのではなく、多分彼の人柄なのだろう。
高い背をくの字に折り、長い腕を体の前に出して、まるで相手を自分の懐に抱き込むような雰囲気で車をリードしていく姿は、いつの間にか知る人ぞ知る街の名物になっていた。
真面目さが漂うような彼の存在は、病院を訪れる多くの人達の心の慰めになっているのだろう。
いつまでもいてもらいたいものだ。
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- 平成15年2月10日(月曜日)
【晴】
去年の2月10日は日曜日で、今日とは違い寒い日であった。
叔母の家に表敬訪問に行ったのだが、折悪しく不在であったので、予定通りその前月に急逝した兄の霊前に献華のため、実家への道すがら事故に遭ってしまった。
今日はそんな訳で、「サラダ記念日」ならぬ「受傷記念日」なのである。
その事が珍しいのか普通なのかよく分らないが、生涯初の交通事故の被害者となり、救急車で病院に運ばれたのだが、あの時の心境はかなり複雑なものがあるという事を知ったのも初体験であった。
スターでもアイドルでもない身が、黒山の人だかりを作っただけではなく、警察官や救急隊員、救急車が来るまでの間に何くれとなく救助の手を差し延べてくれた人達、そして病院での医療スタッフと、何人もの人達が関っている事への、何とも言えない後ろめたさに、身の縮む思いがしたものだった。
その為に、関係者の問い掛けに対して、つい「大丈夫です」と答えてしまう点を、急を知って駆けつけた姉達に、ひどく叱られたものだった。
本当にそうなら良いが、かなりのダメージを受けているのは見ただけで分るというのに、そんな事では正確な診断が出来ないというのがその理由であるらしい。
泣く子と地頭、そして姉の説教には勝てないのが昔からの道理。身の縮む思いで痛さを堪えていた事が、つい昨日のように思い出される。
あれから一年が過ぎ、多少の後遺症は残ったものの、こうして生きている事に感謝しよう。
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- 平成15年2月9日(日曜日)
【晴】
暖房を使うと汗ばむ程の馬鹿陽気となった。
昨夜から明け方近くまで雨が降り続いたので、今日はハイカーの姿はないだろうと思っていたが、そんなことはないようで、午前10時一組のご夫婦が通りすがりに立ち寄っていった。
これから大小山に登るのだろうが、多分足元はかなり悪いはず。充分に注意して、ケガをしないように楽しんでもらいたいものだ。
コンテ肖像画の表情がやっと出てきたのでホッとする。
写真が教えてくれるモチーフの微妙なニュアンスを、細心の注意を怠らずに描き込んでいく作業は、集中力だけでは決してうまくいかないから不思議だ。
時々、フッと息を抜いて違う視点で見直すと、それまで気付かなかった表情の特長が浮び上ってくることがよくあるものだ。
写真をただ機械的にコピーしたのでは死んだ絵になってしまうので、いつもの事ながら、この段階をクリアーするのは本当に大変だ。
これを過ぎると、後は調子に乗って描き過ぎないようにしなければならない。
明日は服装と帯の描き込みを始めよう。
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- 平成15年2月8日(土曜日)
【晴】
油彩の仕事が終り、コンテによる遺影肖像画に取り掛る。
とても古い写真なのだが、流石にスナップとは違ってディテールがしっかりとしているので助かる。
ビロード張りのロココ調の椅子に手を掛け、体はほとんど真横を向いて、おそらく二百三高地というヘアスタイルなのだろう、豊かな黒髪をきりりと結い上げ、微かに微笑んで立つ女性は、かすりの着物に袴をつけて美しい。
若くして他界した母の、唯一残っていた写真を持参した依頼主は、おそらく70をかなり過ぎた老紳士であったが、親への想いは年齢を超えて切々と伝わってくる。
私は今、この人の眼の代りに見て、この人の代りに手を動かし、この世にたぐいのない母の面影を描かなければならないのだ。
決して手を抜けないし、またそんな事が出来る訳もない。
ただ眼の前にある写真の人に、何とか貴女を描けますようにと、心から祈りながら筆を動かすだけである。
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- 平成15年2月7日(金曜日)
【晴】
午後朝日市民ニュース主宰の阿部氏来室。
女史は来室の都度喜ばしい便りを持ってきてくれるのだが、今日は何と、小学校中学の選抜コーラスの同期で、芸大に進学した一人の女性の便りを届けてくれた。
その人は芸大卒業後、山梨の山奥にこもり、自給自足の生活を送りながら画業に打ち込み、47歳の時に思うところがあってパリに移り住み、以来自己の画業を、ひたすら突き進んできたという。
最近になり、郷里の老いた母の望みを叶えるために、市立美術館主催の「郷土の画家展」に応募。見事採用となり、来月の個展に向けて帰国したのだそうだ。
懐かしさがこみ上げてくる。
阿部女史は、彼女の妖精のような無垢の佇まいに強く魅了され、語らずにはいられなかったようだ。
彼女の名は木内紀子という。
阿部女史と共に画室に来たら、せめて心づくしのコーヒーを振舞おう。
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- 平成15年2月6日(木曜日)
【晴、西の風】
最近は、毎日必ず誰かが立ち寄って一息入れていく。
通りすがりのハイカーやウォーカーがほとんどであるが、気負いのないオアシスのような存在になってくれれば何よりと思っている。
心づくしのコーヒーは、決して高価な豆を使っている訳ではないが、(息子はコーヒーの選択に拘っているようだが…)地元の天然水を使用しているためか、結構美味で好評のようだ。
本当は土間も暖房してもっと寛いでもらいたいのだが、管理上の問題で、今のところ外と同じ寒さのままである。
気が向いた人にはアトリエに上って火の傍で一息入れてもらう。
そんな折には、決って世間話の花が咲く。
最初の内は絵描きのアトリエに足を踏み入れるという雰囲気で、かなり身構えているが、少し時が経つと皆心から寛いでくる。
世知辛い世の中、せめてこんな場所のひとつやふたつあっても、罰は当るまい。
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- 平成15年2月5日(水曜日)
【晴】
早朝に雪が少し落ちてきたが、出掛ける頃にはすっかり晴れ上って暖かい朝となった。
画室の近くまで来ると、本格的な装備で山に向う一団を追い越した。
総勢30人程のパーティだろうか。多分大小山に登って大望山に抜けるか、反対側に降りて平野部をウォークして佐野か田沼方面に抜けるのだろう。
気のせいか最近はしっかりした服装と靴で歩く人達の数が段々と増えてきているような気がする。
その上ウォークを楽しんでいる年齢層も高くなっているのに気付く。
今日、塾生がつきたての餅を手土産に持ってきてくれた。
お返しに庭のフキノトウでも採ってもらおうかと案内したが、あいにくまだ少し早かったようだ。
梅の枝の剪定をした後なので草摘みが楽になった。
もう数日したら、また枯草の下を探ってみようか。
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- 平成15年2月4日(火曜日)
【晴】
出掛ける前にふとテレビに目をやると、サーカスの場面が映っていた。
「キダム」という名の一団で、前に来日した「サルティン・バンコ」に勝るとも劣らない、その道の名人達だと云う。
子供の頃にイタズラをすると、親が「言う事を聞かないと人さらいが来てサーカスに売られちゃうよ」と脅かされたものだった。
私の父は、サーカスや怪しげな見世物小屋などを覗くのが大好きな人だったので、祭の折など、よく連れて行ってもらったが、猫女や蛇女とか、狼男や猿男などは別にして、サーカス小屋だけは恐くて仕方がなかった。
なぜならサーカスの団員は全部人さらいにさらわれて連れて来られた人達だと固く信じていたからだ。
何を馬鹿なと思うかもしれないが、自分の一番信頼する親が言う事なのだから、信じて疑わないのは当然なのではないだろうか。
そうでなくても、サーカスのテント小屋には、子供にもそれと分る独特の哀愁が漂い、普段の生活では、ほとんど出会う事のないセムシ男や一寸法師と呼ばれた人達が行き来して、強い好奇心と共に、異界に足を踏み入れてしまったような、後ろめたさを感じてしまうのだった。
小屋の片隅のおでん鍋の後で、盛んに客を呼んでいるのはさっき舞台で蛇を鼻から入れて口に出していた女の人だったり、さっきまで綿飴や、風船を売り歩いている小人が、今はピエロの助手として目の前で精一杯おどけている。
テントの上から、絶え間なく流れてくるジンタは、勿論生演奏なのである。
タータタタタ・ターターター・タタタタータター・タタタタータタタタ・・タタタタータータ…「美しき天然」のメロディこそ、サーカスのイメージそのものだった。
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- 平成15年2月3日(月曜日)
【晴】
午前中のスケッチレッスンのモチーフは、昨日息子が登った大小山とその山系である。
塾生はハイキングが趣味で、大小山にもよく登ると云う。
大小山々頂の正確な位置を聞いたところ、予想していた峰とは違う、一番低くて小さいのだと知り、少し驚く。
大小山の北隣の山の名が、妙義山というのも初めて教えてもらったが、おそらく山岳信仰の対象として、古くから神格化されていたのだろう。
それがいつか忘れ去られ、土地の古老も自分達の経験や価値感を、子孫に伝える熱意を失っていったのかもしれない。
大小山々頂を双眼鏡で覗くと、ごく小さな石の祠が見える。
浅間神社とのことだが、そうならば、コノハナサクヤヒメを祭ったことになる。
農民が豊饒の恵みを願い崇拝した女神であり、地母神だったのだろう。
間をみて是非探訪の山歩きと洒落込むか。
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- 平成15年2月2日(日曜日)
【晴】
久し振りに風もなく穏やかな冬の日となった。
この機会にと息子が大小山に向ったが、無謀にもサンダル履きのままなので、怪我でもしないかと心配。
途中で道に迷ったので、目の前の崖を直登してルートを見付けるとのメールを受信する。
30分後山頂に直接着いたとの連絡が入り一安心するが、登った崖が東面のそれだとしたら、ほとんど垂直の壁である。サンダルでよく登れたものだ。
上はハイカーが結構多いそうで、画室方面に向う人達もいるとのこと。それ以外のハイカーは、尾根を北にとって大望山に向うのだろうが、結構難度の高いルートだ。
双眼鏡で息子の位置を確認し、携帯で交信する。
風がないとはいえ、冬の山は危険なので、とりあえず帰りを待つことにする。
約30分後帰室する。意外に早い帰りに驚く。
後日、生徒達と登らなければならないので、ルートなどを聞く。
油彩肖像画九分通りの完成。乾燥を待って最終仕上げの予定。それまで次の下仕事を始める。
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- 平成15年2月1日(土曜日)
【晴】
日光足尾山系の南の外れが、無数の枝尾根となって関東平野に落ち込んでいるが、足利市はその突端部に位置して、中心部を足尾松木沢を源流とする渡良瀬川が流れる景勝の地である。
旧市街地の西端を南北に至る低い丘からは、弥生時代の遺跡や、数多くの古墳が発見され、古くから人々が定住していたことをうかがわせて興味深い。
春は全山に桜が咲き誇り、5月はツツジにおおわれ、花見茶屋が至る所に店を開いて客を誘う風情は、江戸の昔もかくやと思われる程の華やかさであった。
幕末から明治の初めにかけて活躍した画家、田崎草雲の画房「白石山房」は、四季を通して野立てが催され、その雅々たる佇まいは、子供の足さえ留まらせるのだった。
今ではとても想像できないが、目の届く限り咲き広がるカタクリの群生。無数に走る獣道のような小道の脇には、いかり草が無造作に独特の花を垂らしていた。
じじばば(春蘭)などは、塩漬けにする程採れたものだった。
我等が冒険と夢のゆりかご「足利公園」である。
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