アトリエ白美「渡辺肖像画工房」 渡辺晃吉
- 平成14年12月31日(火曜日)
【晴】
穏かな大晦日、静かな気持ちで画面に向う。
絵肌もどうやら調子が出てきたようだ。
筆を走らせながら今年一年を振り返ってみる。
様々の試練と苦難、そして様々の課題が休む間もなく続いたが、全て来るべき喜びの日々への道程であることを強く実感する。
その時には悲嘆の極みと思った事柄が、明日への幸せのためには必要なプログラムであるのを知らされた一年でもあった。
今年も多くの人に支えられ、多くの人に助けられた。
来るべき年が、善き人達にとって恵み多い年となることを心から祈ろう。
明ければ新しい年となる。
明日もまた画室での制作となるが、受験生の心境で頑張ろう。
地には平和を、人には愛を
この年に感謝
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- 平成14年12月30日(月曜日)
【晴】
年末年始の休みに入ったのか、車の通りもまばらで街全体に静けさが漂っている。
昨日よりもかなり暖かいのが、バイクに乗っていてもよく分る。
画室に着いて準備していると「お早うございます。ちょっと見せて下さい」
多分ご近所の人だろうと思い、返事をして出てみるとやはりそうだった。
「どうぞごゆっくり」と声を掛け仕事に戻り、しばらくすると礼を述べて帰って行ったようだ。
冬の陽は早く沈むので一刻を惜しんで描き込むが、日本画はなかなか思うようにはかどらない。
あっという間に手元が暗くなり、照明の下でしばらく筆を運び、一区切りしたところで終わる。
明日から数日間休む予定でいたが、この調子だと無理かもしれない。
まあ、頑張れる時に頑張っておこうか。
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- 平成14年12月29日(日曜日)
【晴、西の風】
西からの強風が吹き止まらないせいか、陽が高くなっても気温は一向に上がらず、外に立つと文字通り身を切られるようである。
南の掃き出しに差す直射日光を防ぐためのカーテンを張っていると、土間に来客の気配がした。
出てみるとH自動車のH氏であった。
上がってもらいコーヒーでもてなしている内に、H氏がお目当ての息子が来る。
H氏の相手を息子に任せ仕事に戻る。
一段落したところで寒中見舞への返事を書き、出掛ける息子に投函を頼む。
手元が暗くなったので北側に場所を移して制作を続け、キリの良い折を見て筆を置く。
予定より遅れているのが少し不安だが、何とか間に合わせなければならない。
今年最後の日曜日が暮れていく。
明日も気を抜かずに一頑張りしよう。
帰宅後に昨夜の続きの「壬生義士伝」を観る。
物語の時代の頃に、今の画室が建てられたのかと思うと、感慨もひとしおである。
本家が小作人のために建てたのだと聞いているが、それからどの位の家族が住み暮したのだろうか。
画室になる前は義姉の両親が住んで、長い間療養生活を送っていた。
昔日の面影を今に残すこの画室が、来る年にも関りある人の夢の助けとなることを願いながら、もう少しテレビに目を移そう。
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- 平成14年12月26日(木曜日)
【晴】
8歳の冬だった。
その日は前の晩から降り始めた雪が、朝になっても益々強く降り続いて、既に積雪は20cmを超えていた。
見上げると銀灰色の空からは、降るというより、今までに見たことのない圧倒的な量が、翔け下るような勢いで落ちてくるのだった。
体の奥から突き上ってくる訳の分らない感動を制御することが出来ずに、大声でわめきながら家中を走り廻った。
その日、学校は休校となり、雪は夜になっても止むことなく降り続き、ついに30cmを超えて、目の届く限り、辺りは信じられない程美しく変貌していた。
今から半世紀前の、クリスマスイブのことだった。
ホワイトクリスマスは、名もなき少年の上にも、忘れられぬ感動と共に訪れ、今も鮮やかに生き続けている。
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- 平成14年12月25日(水曜日)
【曇時々晴】
東方から星に導かれて、ベツレヘムのイエスのもとに来た三人の博士達は、イエスへの捧げ物として、黄金と乳香と没薬を携えて来たと聖書は語っている。
黄金は王に対して、乳香は神に対して、没薬は人間に対しての捧げ物という意味だという。
イエス生誕の福音を最初に伝えられたのは、世の最も小さな者達であったのだが、同時に、当時の世界を代表するエリートにも、招きの便りがもたらされたと書かれている。
博士とは、その様な意味を持っているのだろう。
彼等は司祭階級であり、天文学者であり、政治の中心に位置していた存在であった。
彼等はいったいどこから来たのだろうか。
ペルシャからか、それともインドからなのか。あるいは中国からだったのだろうか。
どちらにしても、記述が歴史的事実であるとしたら、彼等の内の一人は現在の私の代理者として、ベツレヘムの町を訪れたのだと思えてならない。
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- 平成14年12月24日(火曜日)
【曇】
うる憶えだが、以前こんな詩を読んだ。
主よ、
あなたはどうしてこの世にお生まれになったのですか
友よ、それはあなたと出会うために
主よ、
あなたはどうして私と出会うのですか
友よ、それはあなたと共に生きるために
あなたの苦しみ痛み悲しみ
そして喜びを共にするために
主よ、
あなたはゼッセマニの園で
誰の為に血の涙を流されたのですか
友よ、それはあなたのために
主よ、
あなたは誰の為にゴルゴダの丘で
何のとがもない身を
十字架に架けられたのですか
友よ、それはあなたのために
主よ、
あなたは誰の為に
ベツレヘムから十字架の死へと続く道を歩まれたのですか
友よ、それは全てあなたのために
主よ、
私はあなたについて行きたい
クリスマスに最も相応しい人とは、いったいどんな人なのだろうか。
それは結局、昨日と変らない平凡な日常を過ごす人であり、楽しいパーティーや恋人や友人と過ごす夜とは無縁の、当直当番のあなたであり、凍てつく夜気に身をさらして交通誘導する君であり、痛んだ身を病床に横たえる全ての人であり、孤独の身を施設に置く老いた人であり、臨終を迎えた人であり、不当な境遇に身を置く人であり、心痛める人であり、貧しき人であり、踏み迷う人であり、絶望した人なのかもしれない。
なぜなら、あの人はそんな人達に出会うために、喜びと解放のメッセージを携え、この世に生まれたのだから。
全ての人々よ喜びおどれ
今日ベツレヘムに
一人のみどり子がお生まれになった
そのお方こそ
救い主キリストである
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- 平成14年12月23日(月曜日)
【晴】
キリストは人間の姿で現れ、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで、自分を低くして従う者となった。
それゆえ神はキリストを高く昇げて、全てに勝る者の名をお与えになった。
時のローマ皇帝アウグストゥスから全世界の人口調査詔勅が出た。イスラエルの民は各々の戸籍を届けるために、出生地に赴かなければならなかった。
アブラハムとダヴィドの子孫である大工ヨゼフとその妻マリアは、ガリラヤのナザレからユダヤのダヴィドの町ベツレヘムに着き、そこで宿にあぶれ家畜小屋にその夜の露をしのいだが、既に身重であったマリアは、月満ちて一人の男の子を生んだ。
そこには寝床がなかったので、初子を布に包み、馬舟すなわち飼場桶に横たえた。
新約聖書はイエス生誕のいきさつを、おおよそこのように伝えている。
家畜小屋と聞くと、おそらく屋根のある建物を想像するが、実際のそれは、ただ四方を壁に囲まれただけのものだったと云う。
イエス生誕のメッセージを最初に受けたのは、荒野で野宿していた羊飼い達であったと記されているが、それを今風に言えば、名もなく財もなく、路傍の石くれのような存在、誰からもかえりみられない落穂というところだろうか。
救世主生誕の秘儀は、文字通り密やかに進行し、闇の中に一条の光が射して世界が大きく変って行く力となった。
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- 平成14年12月22日(日曜日)
【曇時々雨】
今日は終日公募展出品作品の仮棒額制作に専念する。
F50サイズで額幅が1cm、厚さ4cm、1cm以上手前に出すと云う条件なので既製品がなく、手作りすることとなった。
描き上がった作品に所定寸法の板を打ち付けても間に合うのだが、多少は見栄えも良い方がと思い作り出したのだが、材料の器量が悪くて苦労する。
手元が暗くなる頃一段落したので、足らない部材の買物がてら、早目に画室を後にする。
帰路にあるホームセンターに立ち寄り、財布の中身と相談しながら必要な物をカゴに入れてレジに並ぶと、前の客が笑いながら頭を下げるので慌てて答礼したが、相手が誰だったかどうしても思い出せない。
「大変失礼ですが、どこでお会いしましたっけ」
「いえ、お会いしたことはないんですよ。新聞でお顔を拝見していたものですから」
悪いことはできないとつくづく思った。
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- 平成14年12月21日(土曜日)
【曇のち雪】
今年の冬二度目の雪が降る中をA氏来室。
コーヒーもそこそこに次の行先へと飛び立つように出て行った。
明日に備えてタイヤを交換し、その後に10軒訪問する予定なのだそうである。
A氏は本来の仕事に加えて、新聞配達のアルバイトを長年続けている。
早朝にバイクを走らせる都合があるため、さぞかし路面の凍結が気がかりだろう。
この雪が雨に変っても、明日の朝はおそらく凍るのは目に見えている。
事故には充分に気を付けて、ここ数日間を無事に切り抜けてもらいたいものだ。
午後5時30分、早目に筆を置き帰路につく。
合羽に当るみぞれの、ぱらぱらという音が耳に快く響いて、こんな夜のバイクもけっこう楽しいものだ。
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- 平成14年12月20日(金曜日)
【晴】
師走には珍しく風もない暖かな日になったが、子供の頃には、こんなことはめったになく、身を切るような赤城颪が連日吹き続いていたものだった。
今年逝去した兄は物作りの才能に優れていて、冬にはよく大凧を作って渡良瀬川で上げていた。
和紙を張り重ねた上に柿渋を塗り、かなりの強風にも耐えられるように作られた凧が、ビョウビョウと唸りを響かせて空に舞う姿に、道行く人が思わず足を止めて見入っている様子を眺めると、子供ながら誇らしい気持ちで寒さを忘れた。
凧は小さいもので畳一枚程もあるので、大抵は組み立て式で作られていた。
それをいくつかに分けて河原まで運ぶ時、たまにその一部を持たせてくれたが、その時の嬉しさは、とうてい言い表せない程強烈であったのを今でも鮮明に思い出す。
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- 平成14年12月16日(月曜日)
【晴】
ある日我が家の墓地から、緩い下り坂を下って家に帰る途中、囲いのない無縁墓地の前を通り過ぎると、墓標の前にポッカリと空いた穴から、骨壷がはみ出しているのを見付けた。
しかもその骨壷には大きな亀裂が入っていて、中の骨が見えているだけでなく、一部は外にはみ出していた。
こんな機会を無にする子供なんているはずがない。
夢中で墓地を駆け降りると、近所の悪ガキ共を集めるだけ集めて、急遽骨探検隊を組織して、いざ出発という時に、クン坊の奴がいきなり泣き出して行かないと言い出した。
「やだよぉ、俺は行きたくねえよぉ、俺はそういうのを見ると夜便所に行けなくなって、おっかねえ夢見て、寝小便しちゃうんだよぉ、たのむよ勘弁してくれよぉ」
クン坊は兄貴のオチ坊にぶっ飛ばされて泣く泣く参加したが、何も兄貴が怒らなくったって、こういう際にリタイアを許す奴なんて、上はガキ大将から下はミソっかすまで、誰もいないのがこの辺の常識だった。
寺の山門までは皆興奮のあまり、飛ぶ鳥を落す程の勢いで肩をいからしていたが、墓地に入り込むと、皆ほとんど死んだような有様で、肝心の場所に着いた時には、ちょっと突っついただけで完全にパニくるのは明らかだった。
それでもなんとかゾロゾロと寺を出ると、もう虚勢も限界だったのか、ワッと大声で泣きながら、物凄い勢いでめいめいの家に逃げ帰って行った。
翌朝クン坊はやっぱり寝小便をした。
えらい剣幕の母ちゃんに、クン坊は泣きながら「俺じゃねえよ母ちゃん、俺が悪いんじゃねえよ。コーちゃんだよ。コーちゃんが悪いんだよ」
「何でお前の寝小便がコーちゃんのせいなんだよ。変なこと言ってると押入れだよ!」
クン坊は昨日のことを泣きながら母ちゃんに訴えた。
「コキーン」
「ワァーン!!痛えよ!痛えよ!ワァーン」
クン坊はいつもより余計にぶっ飛ばされた。
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- 平成14年12月15日(日曜日)
【晴】
世代間のギャップを計る物差のひとつに、忠臣蔵への思い込みがあると云う。
四十七士の物語に感動するかしないか。
彼等を潔い士(もののふ)と思うかそうでないか。
吉良邸への討ち入りに血湧き肉踊るか全く関心ないか。
それ以外の様々の切り口を含めて、要するに赤穂浪士に夢中なのか興味ないかなのだ。
「忠臣蔵?何それ、バカみたい」
どこからかそんな声が聞えてきそうだ。
ともあれ、今から300年昔の12月15日未明、前夜に積った雪を踏んで、本所松坂町の吉良邸に赤穂浪士四十七名が討ち入り、亡君の敵である吉良上野介を討ち取ったと云う。
物心ついて今に至るまで、四十七士の物語に飽きた覚えは一度としてない。
今年もまた、機会ある毎に観たいものだ。
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- 平成14年12月14日(土曜日)
【晴】
師走の風物詩のひとつに寒行というものがあったが、特定の地域は別にして最近はほとんどお目にかかれなくなってしまった。
息も凍るような宵寒の中を通り過ぎて行く墨染めの衣をまとった托鉢僧の姿や、白装束にうちわ太鼓の日蓮宗徒の列。
中でも異色は虚無僧(晋化宗の僧侶)の吹禅行脚の様子であった。
まるで時代劇の中に紛れ込んだような、不思議な気持ちになったものだ。
無言の内に門口に立ち吹禅する。
何がしかの喜捨をやはり無言で受け、かすかに一礼して次の門口に立つ。
晋化宗は既に無く、聞けば尺八奏者のボランティアだったのだそうだが、なんとも粋ないでたちは、雲水のそれとはまた違った趣があったのを子供ながら感じたものだった。
夕方の薄闇の中、寒行者の声に代って、灯油を売る車の呼び声が、いつまでも谷にこだましていた。
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- 平成14年12月13日(金曜日)
【晴】
火の用心の夜回りは、かなり狭い露地にも入り込んで行くために、回り切るまでには二時間以上かかってしまう。そこでメンバーをいくつかの組に分けてみたところ、どうも上手くいかない。
大人達から眺めると、寒中を巡り歩く子供達の姿が不憫に映るのだろう。
時々みかんやお菓子の差し入れがあり、それを楽しみにしているという現実があるのだ。
だから区域を分けると、当然収穫に差が生まれることになるのでトラブルが絶えないことになる。
今とは違って、あの頃の子供達にとっては、キャラメル一個みかん一個が文字通り宝物だったのだ。
子供達の夜回りは、堂々と夜の外出が出来るというだけではなく、思わぬ収穫にあずかれる、掛替えのない機会でもあった。
確かに皆貧しかったのだろうが、日々の生活はめくるめく感動に満ちていたと思う。
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- 平成14年12月12日(木曜日)
【晴】
カッチカッチと拍子木を打つ音が響いてきた。
火の用心の夜回りが町内を巡回しているのだ。
懐かしさに思わず耳をそば立てて、音が近付いて来るのを聞いていたら、心はいつの間にか昔に飛んでいた。
冬になると、子供会恒例の火の用心の行列が、町内の隅々まで巡回したものだった。
巡回はほとんど毎晩行われ、親の許しがもらえた子供達は、夕飯もそこそこに着脹れした体で夜の闇の中に飛び出して行った。
集合場所にかけつけると、上級生の指示で列が組まれ、その夜の係が決められた。
誰もが先頭で拍子木を打ちたいのに決っているので、不公平が起きないようにうまく配分するのが意外に大変なのだ。
少しでも片寄りがあるとブーブーと文句が絶えなくなる。
俗にいう「ミソっかす」と呼ばれるチビ共を列の中央にまとめ、およそ10歳程の年齢差の男女混成約50人程の子供集団が、会長の合図のもと整然と行進を始める。
今と違い毎朝霜柱が立つ程、あの頃の冬の寒さは厳しかったため、夜の外出は皆かなりの厚着をしなければならなかった。
中でも帽子と手袋は必需品で、無い者は親か誰かの持ち物を借りて来ていた。
耳が露出しないように、マフラーや耳当てを付けている奴はマシな方で、どこから引っ張り出してきたのか、そいつの母ちゃんが昔使っていたらしい防空頭巾を被って来る奴や、どう見ても兵隊帽としか思えない代物を被って来たのは良いのだが、あまりでかいので前が見えずに歩くために、のべつ皆から怒鳴られて泣きべそをかいている奴がいたり、とにかく賑やかだった。
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- 平成14年12月11日(水曜日)
【晴】
12月も中旬近くになると、なぜか日本中がクリスマスムードに包まれてくる。
クリスマスはキリスト生誕を祝う日であることは誰でも知るところだが、元来はキリスト以前からヨーロッパ古代民族が行ってきた冬至の祭であったという。
厳しい冬の最中にも青々と繁るモミの木に、再生と復活の祈りを込めたのだろうか。
神との和解と永遠の生命を携えて生まれた救世主の生誕を祝うには、古代ヨーロッパの冬至の祭の形こそ、相応しかったのだろう。
その後様々の要素が加味されて現在のようなクリスマスになったと聞いているが、クリスマスが愛と平和のメッセージを伝えるために用意された日であることに、誰も異論はないだろう。
人の心が荒れすさんでいる現代社会にあっても、せめてクリスマスには、暗黒の中に一本の灯火を灯したいものだ。
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- 平成14年12月10日(火曜日)
【曇時々晴】
雪の後は大抵晴れるものだが、今日は底冷えの強い朝となった。
顔がちぎれそうな冷気の中を画室へと向う。
今朝は路面が凍り付いているかもしれないので、少し遅目に家を出る。
雪はほとんど消えていて、山にもほとんど残雪がない。
なのにこの冷たさはどういうことなのだろうか。
画室に着きストーブに点火してもなかなか暖まらず、仕方がないので厚着のまま仕事に掛る。
午前中に散歩の途中に立ち寄ってくれたのか、ご夫婦らしい二人連れが来室、コーヒーを片手にしばらく見学して行った。
こんな日でも歩く人達がいるのかと感心する。
夕方息子の知人が来室、お持たせのチーズケーキでコーヒータイム。
客が帰った直後に我々も帰り支度をして早目に画室を閉める。
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- 平成14年12月6日(金曜日)
【晴】
朝いつものように仕事を始めて間もなく、表が何やら騒がしいと思ったら、12人〜14人の年配の御婦人グループが土間に入って来た。
四畳半程の狭い土間なので、文字通り超満員。
しばらく見学してから、丁寧な挨拶を残して出て行ったが、何人かの方は後日改めて来たいと言う。
午後、母屋の姪の家の修繕に出向く。
予定より早く終り、まだ陽のある内に戻れたので、描き掛けの作品を完成させ帰路につく。
防寒着のせいか風を切ってもあまり寒くないのが本当に助かる。
例によって広い道路を避けてバイクを走らせるのだが、車に出合わない訳にはいかず、何度か恐い思いをしながらどうにか家の近くまで辿り着く。
今日もどうやら無事であった。
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- 平成14年12月5日(木曜日)
【晴、夕方雨】
頼んでいたユパンキのCDが届いたので、慌しく荷を解いて聴いてみる。
草原を吹き渡る風のように、黄昏の中にたゆたう霞のように、弾き語るユパンキの唄声が流れてくる。
かつて吟遊詩人と云われる人達が、日本にも世界にも存在し、旅をさすらいながら人生を唄い、人々を慰めた。
心に浸みる詩情は、漂泊の魂を持つ者だけが、切々と唄い上げることが出来るのだろう。
ユパンキは漂泊の魂を持つ、文字通りの吟遊詩人であった。
いつの間に降ったのか、外に出てみると地面が濡れていた。
その上をパンパの心を語るようなギターの調べが滑っていく。
全てが黄昏の中に沈み、世の片隅の小さな山里は、今世界の中心にあった。
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- 平成14年12月3日(火曜日)
【晴】
日曜日の午後11時の「世界遺産」は楽しみにしている番組である。
今週はバチカンの特集であった。
特定の宗教団体やカルト教団が、バチカンの存在にかなり辛辣な批判をしているようであるが、そんな事には全く動じない威厳と神々しさを備え、人類が築いてきた高貴な精神の証明者として、文字通り不動の存在である事は論を待たない。
バチカンはカトリックの中心という存在である以上に、人類が不朽の存在である事を高らかに宣言し祝福する証明者かもしれない。
人類の歴史の全て、言い替えれば人間存在の全てには重大な意味があり、だからこそ、未来は迎えるに値するものである事を、限りない善意と誠意によって保証している。
一年を締め括る月を迎え、この一年が豊かな恵みに満たされている事を確認しつつ過ごしたいものである。
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- 平成14年12月2日(月曜日)
【曇、一時雨】
小春日和の一日となった。
午前10時野外レッスンで近くのスケッチポイントに出掛け、正午に帰室する。
今日のコーヒーは東ティモールを中心に、その都度豆を挽いて入れる予定。
朝入れたものを塾生と共に楽しみ、昼食の後に午後の仕事を始める。
外が雨のようなので、街道の案内板を庇の下に取り込み、バイクに傘を差し掛ける。
降りは束の間で、地面もすぐに乾き始めたところをみると秋時雨だったのか。
夕方に通りすがりの二人連れが来室する。
こんな天候の日でもウォーカーはいるものだ。
心づくしのコーヒーをふるまい、再び降り出した雨の中へと送り出す。
午後6時30分頃、いつの間にかストーブが消えていた。
どうやら灯油が切れたらしい。
よい頃合なので仕事の手を止め帰り支度をする。
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- 平成14年12月1日(日曜日)
【曇、時々雨】
まだ夜明け前かと思ったら、時計は午前7時20分を差していたので、慌てて起きて着替えを済ませる。
昨夜の天気予報では、今朝は雨とのことなので、外の様子を見ると、降ってはいないようであった。
今日は描きかけの作品の仕上げを予定していたので、慌しく画室に向う。
いつものように朝の準備を終えて、新しく仕込んだ鍋からさらった残り物のおでんを朝食代りにする。
午前10時頃、外が少し騒がしいので見ると、本家の親族が集っている様子。
母屋に行ってみると、今日は本家の法事とのことであった。
降りが強くならなければ良いのだが。
少しぱらついてきたので案内板を庇の下に移動し、コーヒーを入れ替える。
こんな天気では、ハイカーも来ないだろう。
落ち着いて仕事をしよう。
■アトリエ雑記は平成12年12月15日からスタートしました。
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