アトリエ白美「渡辺肖像画工房」 渡辺晃吉
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月30日(木曜日)
【曇時々晴】
今日は終日仕事ができると思っていたら、午前11頃に母屋の兄が来て、整形外科に乗せていってくれとの事。
送り届けると、次は迎えに行かねばならないので、二度往復する事になる。結構仕事のリズムが崩れるが、身近の病人を助けるのは人として当然のつとめ。まして兄弟であればなおさらである。
肺繊維症という、現在では治療手段のない難病は、少しづつ兄の命を縮めていく。
対処療法薬のステロイドの副作用による白内障で、車の運転はできないが、12日に手術する予定なので、せめて視力だけは確保できるだろう。
残された時間は決して多くはない。しかしそれは他人事ではなく、人間であれば例外なく明日の命の保障などないのだ。
一日一日を大切に生きたいものとつくづく思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月29日(水曜日)
【晴】
大沼田に入る前の山川という地区の外れ、ガケ沿いの木陰の道を行くと、まるで銀杏の実のような独特の臭いが漂ってくる。ここ数日の事である。
最初は犬のフンでも轢いてしまったのかと思ったが、どうもそうではないらしい。
何日目かに、臭いの発生源らしいものを見付けたが、それがどう見ても似つかわしくない代物だった。
ガケ上の低い木に、白くて小さい可憐な花が無数に咲いている。どうも低い木に巻きついている蔦蔓のような植物の花らしい。その花が、あの独特の臭いを出しているとしか考えられないのだ。もしそうだとすると、世の中には本当に面白い事があるものだと感じてしまう。
見た目から想像する香りと、実際のそれとのギャップは、ある種のショックを伴って、何だかだまされているような気さえしてくる。
世に言うヘクソカズラとはこの花のことか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月27日(月曜日)
【晴】
午前9時、H女史宅にお邪魔する。
月に一度の訪問なので、女史の話は弾む。
こちらが付け入るスキが全く無い。
午前11時15分、なんとか席を立ち、帰り仕度が出来た。
昼近くに画室に着き、あわただしく昼食を摂り、兄をいつもの病院に送り届ける。
昨日に比べると湿度も低く、しのぎやすいので助かる。
肖像画の頭部下描きほぼ完了。次はボディをやや斜めのポーズで下描きする。
午後5時40分、書店に寄るため少し早目に帰路につく。
書店に着いてエレベータに乗ると、年中無休で午後10時まで営業しているとのビラを見て驚く。
郊外のブックショップに対抗するための苦肉の策なのだろう。
いずこも大変なんだなとしみじみ思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月25日(土曜日)
【晴】
朝の内にキャンバスの表面を一回洗い、二回目の地塗り。
資料をもとに正確な寸法を決めて割り付ける。
今回は顔寸法を18.5cm前後で構図をとり、ボディとのバランスを計るとちょうど良いようだ。
近くの農道の写生画を仕上げ、そのあと川のスケッチを作品にする。県境を流れる川の水門を描いたもの。
いずれも夏の名残を込めた作品だが、淡彩画にしては少し着彩が多すぎた。しかしそれが良い結果を出していると思うのだが、他人はどう見るだろうか。
高湿度の日本の夏は、風景全体に沙がかかったような感じで、それが独特の色彩を生む。
少し色がくすむというか、かすむというか、濃い緑が深い緑陰を作って、多少どぎつい雰囲気になる。またそれこそが、日本の夏の色なのだと勝手に決めて描いている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月23日(木曜日)
【晴】
猛暑の中、汗だくで画室に着く。
今日は描きかけの写生画2点を仕上げ、油彩用キャンバスの下地作りをしておかなければならない。
時間があれば1ヶ所写生したい場所があるのだが、この天気では無理なので諦める。
夏の終りを告げる風景の最初の2点を完成。
このあと何点か描こうと思っているが、あまり時間がない。
これからは一日毎に季節が変化して行く。
朝、南のスダレを深く降ろさないと、陽がかなり中にまで入り込んでくるようになった。
コスモスが花をつけて、ひまわりが枯れはじめ、田の稲は穂を下げて風になびき、もはや日ぐらしも鳴かない。
帰路の宵闇の中にも、秋気配が確かに漂う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月22日(水曜日)
【台風11号による風雨】
強雨と強風の中を合羽を着て自転車で乗りだしたが、さすがに交通量は極端に少なく、街は静まりかえっていた。
風を避けるために裏道を選んで走るが、それでもほとんど向い風の中を進まなければならない。
自転車には一台も出合わず、まして歩行者の姿は全くない。
時には前方が雨にけぶる街道を、車にさえ出合わずに一人だけでペダルを踏んでいた。
今この目で見、体で感じているこの街は、いつものそれとは明らかに違った他国の街のようで不思議だ。
視界全体が銀灰色の中にかすみ、吹きすさぶ風はゴウゴウと木々を揺らし、全ての流れは逆巻いている。
いま私は嵐のただ中にひとりでいる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月21日(火曜日)
【曇のち雨】
台風の影響で肌寒い日となった。
画室に着く頃には少し降りだし、風も出てきたようだ。
時折雨足が激しくなったかと思うと、とたんに止んで、どうやら嵐の兆しが見えてきた。
風は冷たく、夏支度では何となく頼りない。
上だけ冬用の作務衣に着替えると、ちょうど良くなった。
北側のガラス戸を閉めて風の流れを止めないと、軽いものは飛んでしまう。
それでも南が開いているのでたえず風が吹き抜けてくれる。
午後、兄を病院に送りとどける。
雨足も風もだんだん強くなってきた。
この様子だと帰りはきっとずぶぬれになるだろう。
幸い、帰路のほとんどは追風のようだ。
こんな日は少し遠回りして袋川の橋を渡ってみよう。
きっと白サギの群に会えるだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月20日(月曜日)
【晴】
良く晴れた朝であったが、気温は意外に涼しかった。
少し遠いのでのびのびになっていたスケッチポイントに、今日は出掛けることにする。
目的地に向って進む内に、予想に反して気温が急上昇、熱中症の心配がでてきた。
少し無理をして予定をこなし、機会あるごとに水分を補給。画室を出発して5時間後に、熱中症の症状があらわれる。写生を中断し、日影で休息をしながらゆっくりと帰路をたどり、午後4時30分頃なんとかたどり着いた。画室を出発してから約7時間後であった。
その足で家へと道を急ぐが、途中で知人のY氏宅に助けを求めて立ち寄り、体調が少し戻るまで休ませてもらい、約1時間後に出発、ゆっくりと進んで家にたどり着く。もはや限界であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月18日(土曜日)
【晴、北北西の風】
朝、図書館に寄りビデオを返却。
韓国古謡とカンテフラメンコのCDを借りる。
画室に着くとすぐにパンソリを聴くが、理屈抜きに何の違和感もなく五体に染み込んでくるのはどうしてなのだろう。
パンソリの魂は恨(はん)の心だと聞く。
恨は単なる恨みではないのは言うまでもないが、その意味のあまりの深さに、民族の精神文化の重さを痛感するのみであった。
とまれ、その切々たる歌声は魂の底を揺さぶり、人生の哀しみと痛みを嘆きつつも、どこかで暖かく包み込んでくれる、不思議な響きを伝えてくる。
そして、聴くにつれ、次第に己が浄化されて行くのを肌で感じるのだった。
精神が共鳴し、時空を超える倍音となって飛翔して行く神秘の瞬間を体現した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月16日(木曜日)
【晴】
出掛けに妻の実家の母より電話があり、起き抜けにふらついて転倒、歩行困難の状態なのですぐに来て欲しいとの事。気を落ち着けて可能な限り症状を聞き取り、妻の会社に連絡、とりあえず実家に向わせる。自転車では少し遠いが、とりあえず行ってみる事にする。汗まみれになって実家に着いてみると、妻はすでに来ていた。
母の様子は意識ははっきりしてはいるが、軽度の言語障害を含め、脳梗塞の疑いがあるように思われた。妻の弟もいるので一応安心し、画室に向う。途中実家に立ち寄り、送り盆を済ませる。画室に着くとすぐに妻の実家に電話をし、無事を確認する。夕方もう一度電話。今度は母本人が電話口に出た。くれぐれも注意するように告げ、早目に帰路に着く。
今日は大変な一日であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月15日(水曜日)
【曇】
お盆休みの街を抜けて、いつものように画室への道を急ぐ。
大沼田に入ると三方の山々はすそのを残してすっぽりと雲の中に隠れて見えない。
湿度はおそらく100%に近いのだろう。吸う息が重く、空気が身体にまといつくようで気持ちが悪い。まるで蒸風呂だ。
じとじとした汗にぬれた下着を着替え、母屋に行く。
昨日、N大のS君から電話があったと言う。たぶん次の取材スケジュールの件だろう。
間もなく電話があり、17日に来室するとの事であった。
昼の弁当を開けると、うなぎと梅干が入っていたので少し気になって母屋で質問したら笑われてしまった。
午後5時、郵便局と図書館に立ち寄るために帰路につく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月11日(土曜日)
【晴のち雨】
サマータイムVの下絵を描いていたら、急に空がくもり、突風が吹き始めた。
ありがたい一雨降るかと期待したが、あっという間に夏の太陽がギラギラと照りつけて、すごい湿気が地面から立ちのぼってきた。
昨夜の大雨で水分は充分に地面に染み込んでいるので、当分は高温多湿を絵に描いたような日が続くだろう。
それでも夕方になって、また空が暗くなり、強風がこずえを揺らし始めると、どっと降ってきた。
たちまち涼風が画室を吹きぬけて、軽いものを飛ばし始め、あとは、2時間ほど大雨が降り続いた。
午後7時近く、少し小降りになってきたので、思い切って帰路についたが、途中から雨足がまたも強まり、着ているカッパはほとんど役に立たなくなった。
こうなったら逆に雨を楽しみながら、のんびりと自転車を走らせ、普段とは違う街の顔を見付けて喜んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月10日(金曜日)
【晴、夜にわか雨】
今年の草刈は例年にない重労働である。まず草を刈ったあと、あっという間に次が生えてしまう。その量がすごく多いのが、草の山の数と量で分かる。殺人的な暑さの中での作業は、よほど気を付けないとたちまち脱水症になるので危ない。何度も休みを取りながら、なんとか全部の草を刈り終えた。あとはいたる所にできた草の山を片付けるだけ。
夕方、広島平和記念資料館への手紙を書く。原爆被災者の遺影収集に関係した資料修復の方法について思う所を伝える内容の手紙である。
午後7時、今にも降りそうな空模様の中を帰路につく。
遠雷と稲妻が、はるか南の空で暴れている。この分だと、なんとか降られずに家に帰れるだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月8日(水曜日)
【曇】
8月になると、幼い日に親子ほど年の離れた長兄が、8月6日の広島での体験を、何度も何度も語り聞かせてくれたことを思い出す。
兄は当時、船舶工兵として太平洋戦争に従軍し、その日は休暇で広島連隊に仮宿していたのだそうである。
居候の気安さから朝礼をさぼり、幾人かの仲間と酒保のかげでタバコを吸っていた時に原爆が炸裂し、瞬時に建物の瓦礫の下敷きになったことが生死の分れ目になった。
朝礼のために整列していた兵士の多くが、爆発の閃光にさらされ、朝礼台上の司令官は爆風に飛ばされたトタン板で首を切られ即死、兵士の多くが無残にも絶命したと言う。
直後に救援隊が編成され、兄もその一員として、被爆直後の広島市内へ踏み込んで行った。
全てが燃えていて煙が充満し、その中からボロをさげた異形の集団が、幾百幾千と湧き出すようにこちらに歩いて来る。近くで見ると、ボロのように見えたものは、垂れ下った皮膚だった。想像を絶する高熱は、人の着衣を一瞬で燃やし、その身体から皮膚を剥ぎ取り、地獄の業火の中に突き落とした。
被災者の群は水を求めて川岸に押し寄せ、兄達の止めるのも聞かずに四つん這いになってむさぼり飲んでいるうしろから、次々と這い進んで来る人の群に押し出され、まるでレミングのように川底に沈んでいくのを、ただ見ているしか方法がなかったと言う。
明日8月9日は長崎の悲劇の日である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月7日(火曜日)
【曇】
今日は肌寒いほどの朝となり、画室に着くとすぐに草刈りを始める。この天候なら熱中症にならずにすむだろう。時々休みを兼ねてイーゼルに向かう。夏をモチーフに6号の写生画を仕上げ、ホッと一息つく。
昼食後、S氏とK氏が来室する。久々の来訪である。
夕方A氏より電話、これから来るとの事。草刈が一区切りした頃A氏来室。車が変ったようだ。お互いの近況を報告して息災を確認し合う。
午後6時30分A氏退室。30分ほど筆を取り帰路につく。久し振りにライトをつけて夜の闇の中を走る。
いつも見慣れた路地裏も、不思議なほどに違う顔となり、思わず立ち止まってのぞいてしまう。
この面白さは車では決して知ることのないものとほくそえむ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年8月2日(木曜日)
【曇】
朝、母屋から電話で、昨夜寿司を大量にもらったので今日は朝食と昼食を母屋で摂るようにとのこと。
行ってみるとなるほど大皿に3枚ほどの寿司が、冷蔵庫の中にひしめき合っていた。
朝食の寿司で勢いをつけ、曇日を味方に草むしりを開始。
午後3時まで頑張って全体の3分の1ほどをこなして終了。
仕事の手を止めるのは少し気が重いが、草を放置するとすぐにお化け屋敷のようになってしまうので仕方がない。これも仕事の内と割り切ってこの夏も頑張るしかない。
オークション用淡彩画は、少し大きめのF6号を中心に何枚かを描きはじめる。
午後6時頃、にわか雨のきざしにせきたてられ帰路につく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■アトリエ雑記は平成12年12月15日からスタートしました。
作家と工房のご紹介 ⇒ 肖像画の種類と納期 ⇒ サイズと価格 ⇒ ご注文の手順 ⇒ Gallery ⇒ 訪問販売法に基づく表示
| What's New | Photo | アトリエ雑記 | Links | BBS |
| ご注文フォーム | お問い合わせフォーム | ネットオークションのご案内 | サイトマップ |