芸術ってなァに?
<What is art ?>

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私達は普段何気なく、芸術や文化という言葉を口にしていますが、改めて、芸術とはいったい何なのかを考えてみると、果して明確な答が出せるのかよく分りません。勿論、芸術の解釈は各人各様で良いのでしょうが、一般論としての芸術、ついでに文化という言葉の意味について考えてみるのも、あながち無意味とも言えないような気がしましたので、私共の仕事との関りもあり、蛇足ながらそれなりにまとめてみました。わずかでもお役に立てばこのページを作成した甲斐があります。 渡辺純也


=哲学・論理 =倫理学(宗教) =芸術

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● 芸術誕生までの歴史と今日


種を植える=藝=芸術の誕生

旧石器時代
170万年〜3万年前
◇ホモ・ファーベル⇒ネアンデルタール人(原人類・旧人類)「道具制作」
(後期)
3万年〜1万年前
◇ホモ・サピエンス「知識を得る」⇒クロマニヨン人「洞窟芸術」の誕生(洞穴の壁に絵を描いた)
(スペインのアルタミラの動物の絵は立派なものである)
◇ホモ・ルーデンス「遊びを知る」

新石器時代
農耕や牧畜が行われ定住するようになる
「巨石建造物」の制作(宗教的儀式と関りあるのある造形)
【ストーンヘンジ】
ストーンヘンジ|Stonehenge
イギリスのソールズベリー近郊にある環状列石。
高さ4mあまりの巨石を環状に並べたもので、その直径は約110mの溝の内側に四重の環状に並ぶ。
宗教的儀式(太陽崇拝)に関係しているといわれている。

メソポタミア文明
B.C.3500頃〜B.C.330頃
シュメール、バビロニア、アシッリアなどの王国が起り、激しく争いが繰り返され、芸術にも様々な要素が入りまじる。

エジプト文明
B.C.3200頃〜B.C.332
メソポタミア文明に対し長い年月一定の様式を守り続けた
古代エジプト人⇒「ミイラ」「墓」の制作(死者の魂が遺体に帰ると信じた)
【ピラミッド】
ピラミッド|Pyramid
古代エジプト王の墓で、石または煉瓦を積んで作った四角錐の建造物。最大のものは平均2.5tの切り石が230万個も積み重ねられている。
巨大な正四角錐で、王の偉大さを誇っている。

ギリシア
B.C.1000頃〜B.C.146
人間の自由と個性を尊び、心身共に調和のとれた人間になることを理想とした。
【パルテノン神殿】
パルテノン神殿|Parthenon shrine
ギリシアのアテネ
まぐさ式構造の白大理石の建築。
エンタシスや溝彫りを持つ柱や、緩やかな傾斜の屋根、水平の梁や基壇が見事な比例とバランスを見せている。

ローマ
B.C.146〜400年頃
ギリシア文化を受け継ぎ現実性の強いものとした
皇帝や英雄の「肖像彫刻」の制作
アーチやドームを用いた実用的な公共建築や記念門の制作
【コロッセウム】
コロッセウム|Colosseum
イタリアのローマ
古代ローマの大円形劇場。収容人数5万人。闘技場として剣闘士の殺し合い、野獣と人間の格闘などが行われた。
近くに皇帝ネロの巨像「Colossus」のあったことからこの名が生まれた。

初期キリスト教美術
30年〜450年頃
キリスト教が起ってしばらくは弾圧されていた
神の教えを伝える「壁画」「彫刻」の制作(ローマ芸術の影響を受けた稚拙な表現)
神やキリストをたたえる精神は後のビザンチン、ロマネスクに引き継がれる。
【カタコンベ】
カタコンベ|Catacombe
初期キリスト教の地下墓地で、縦横に掘られた地下道の壁面には墓穴が設けられる。キリスト教の広まった地域には一般的に見られるが、特にローマの街沿いのカタコンベには殉教聖人の墓も多く、巡礼の対象ともなって発達した。地下道、墓室を飾る壁画が美術的には重要で、古代の神話的な題材や動植物、そして旧約聖書の主題を中心にしたキリスト教の図像が描かれた。

ビザンチン
400年〜1400年頃
ローマのコンスタンチヌス大帝は都を今のイスタンブールに移し、キリスト教を認め保護した。=東ローマ帝国
コンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)を首都とする東ローマ帝国でおよそ6世紀から15世紀まで続いた東方のキリスト教美術。古代ギリシャ・ローマの伝統にキリスト教の信仰と、さらにオリエント文化をも融合して、中世にはその文化水準は西欧を圧倒する影響力を持っていた。ビザンチン美術では聖像を三次元的に表現することを否定された反面、モザイクなど色彩芸術が発達し、金地背景などに見られるその超越的な象徴主義は、イコンなど独自の絵画表現にも共通している。
【サン・ビターレ聖堂】

ロマネスク
900年頃〜1400年頃
東方のビザンチンに対し西方には「ロマネスク美術」がみられる
10世紀から12,3世紀にかけて西欧の全域に広まった美術様式。大規模な修道院が建設され、巡礼ルートにそって聖堂が発展した宗教美術の時代である。一般にロマネスク建築は石材を用いた重厚な構造と外観を特徴とし、彫刻は聖堂の正面扉上部の装飾や柱頭など建築に付随して展開された。絵画は壁画を中心にステンド・グラス、それに修道院の隆盛にともなって写本芸術が注目される。
【サン・タンブロージョ教会】

ゴシック
1200年頃〜1400年頃
12世紀に入って北フランスに新様式の聖堂が建てられる
建築技術を改良し、より高い建物の制作(天国への憧れ)
ロマネスク美術に引き続いて12世紀から15世紀頃まで西欧に展開された美術様式。聖堂建築は、重厚なロマネスクとは対照的に軽快に上昇する印象を示し、厚い壁に代わる広い窓が用いられ、壁画が占めていた空間を華麗なステンド・グラスが飾った。教会や修道院に独占されていた絵画に、都市の宮廷や共同体など世俗のパトロンが新たに参入し、より自然主義的で優美な表現も生まれた。それは1400年前後に国際ゴシック様式として開花する。
【シャルトル大聖堂】

ルネサンス(文芸復興)
15世紀から17世紀にかけてイタリアで起り、ついで全ヨーロッパに波及した文化興隆の運動をさし、またその時代の呼び名となった。
それは、ギリシャ・ローマ古典文化の復興と個人の解放、人間性主張の運動である。
そして、文化(美術・文学)の領域だけに留まらず、政治宗教社会などの各分野まで新しい空気を吹き込み、近代文化の基礎を作った。〈自然と人間との発見〉〈世界と人間との発見〉

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レオナルド・ダ・ヴィンチ (67歳)
Leonardo da Vinci
1452〜1519

「イタリア・ルネサンスの代表的美術家で、また科学者、技術家、思想家」

万能の天才

1452年4月15日 生誕
1472年(20歳) 画家組合に登録
1479年 独立
1495年〜97年 「最後の晩餐」
1503年〜06年 「モナリザ」
1509年〜10年 「聖アンナと聖母子」
1516年(64歳) フランス=クルー城
1519年5月2日 (67歳 没)
最後の晩餐|The Last Supper
ユダヤの大祭を祝う晩、キリストは12人の弟子たちと食事を共にした。キリストはそこで「この中に私を裏切る者がいる」と予言する。ユダのことである。驚き、動揺する弟子たち。多くの画家たちが工夫するのはこの深い心理ドラマであり、特にユダは身振りや坐る位置などによって強調される。キリストはまたパンを割き、ぶどう酒の杯を与えるが、これはキリスト教で恩寵を授ける儀式、聖体拝領を象徴している。なお、晩餐はキリスト逮捕の前日のことであった。
モナリザ|Monna Lisa
目元や口の辺りに漂う微笑みは、「謎の微笑」といわれている。
人物も背景も、やわらかい調子とぼかしの技法で表され、神秘的な雰囲気を一層強めている。
[発言]
画家は詩人より勝って
音楽は絵画の妹
彫刻はもちがいいだけで取り得がない

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ウィリアム・シェイクスピア (52歳)
William Shakespeare
1564〜1616

「イギリスの劇作家、詩人」

[発言]
芸術家とは最もすぐれた観察者であり、自らの見るものの本質的性質を把握し、それによって理解し得たことを他の人に啓示する人間である。

見ること=知ること

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以下、主に美術史に限定

バロック
1600年〜1700年頃
「バロック」とは「歪んだ真珠」を意味するバローコに由来
ことさら誇張した表現。
ルネサンス表現に比べ強い色彩と明暗の対比、曲りくねった線、激しい動きが特徴。
新航路と新大陸の発見により、17世紀の美術はスペイン、フランスの絶対王政や新教国オランダを中心に開花した。
カトリック教会による対抗宗教改革運動の舞台となったイタリアとスペインでは、光と影、静と動を対比的に強調した情動的な作品が描かれた。
フランスではベルサイユ宮殿を造営した太陽王ルイ14世の絶対王政の中で、絵画は宮廷に奉仕する性格を強める。ここではバロック的な動きの強調よりも、むしろ荘厳な古典主義が好まれた。
オランダはこの時期に独立し、東インド会社による豊かな経済力を背景に絵画の黄金時代を迎えることとなった。ここにおいて、パトロンと画家という伝統的な関係以外に、画商と顧客という新しい関係が定着し、風景画、静物画といった絵画が市民生活の中に自然と溶け込むこととなった。
また、16世紀半ばにイタリアで始まった、芸術家を理論と実践の両面で教育するアカデミー制度がこの時期のフランスにも設立され、重要な展覧会の場を提供した。
音楽では「ヨハン・セバスチャン・バッハ(音楽の父)」現在の音楽の原形を作った
【ベルサイユ宮殿】

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ヨハン・セバスチャン・バッハ (65歳)
Johann Sebastian Bach
1685〜1750

「ドイツ生まれ、後期バロック時代を代表する作曲家」

生涯の大半を教会音楽家として過ごしたが、その作品はオペラを除く当時のあらゆる形式を包含し、ドイツ固有の対位法技術のうえにイタリアやフランスの様式をも吸収して、バロック音楽の総合を成し遂げ、同時に古典派以後の基礎を築いた。
バッハの音楽は、比類ない天才の産物である。

代表作「マタイ受難曲」

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ロココ
1700年頃〜1800年頃
「ロココ」とは曲線的なロカイユ装飾に由来する呼称、曲線が多く使われたことからそう呼ばれるようになった
太陽王ルイ14世によって、17世紀のフランスは西欧の中心的国家となった。しかし1715年に彼が他界すると絶対王政にも陰りが見え始め、フランスでは貴族の勢力が台頭する。と同時に絵画もまた、一般にロココ美術と呼ばれる親密感に満ちたこじんまりとしたものとなった。
18世紀は感覚的な喜びを絵画に求めた時代だったが、その一方で啓蒙主義思想による合理主義的な考えや批判的精神も育っていた。イギリスではこの時期に王立アカデミーが設立された。
音楽では「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(音楽の神童)」
【レクイエム】

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フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス (72歳)
Francisco Jose de Goya y Lucientes
1746〜1828

「スペインのフエンデトードス生まれ、画家、版画家」

ゴヤの数多い絵画、デッサン、版画は彼の生きた時代の政治的、社会的な激動を鋭く反映している。
1792年、聴覚を失い、その後の彼の芸術は、鋭い眼と社会を痛烈に批判する精神、これまでにない伸びやかな想像力の自由な表現を示しはじめた。彼が革命的芸術家であったことは疑いない。
後にゴヤの作品は、20世紀の表現主義者、シュールレアリスト達にも讃美され、研究され続けている。

代表作「カルロス四世とその家族」

[発言]
あらゆる社会で普通にみられる放縦や狂気からとった
(エッチング集「気紛れ」の主題について)

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ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (35歳)
Wolfgang Amadeus Mozart
1756〜1791

「オーストリア生まれ、音楽史上最も偉大な作曲家の一人」

5歳頃から創作活動を開始し、死ぬまでに当時行われていた音楽のジャンルのほとんど全てにわたって多くの作品を残した。
モーツァルトは幼時からの度重なる演奏旅行によって、ヨーロッパ各地で個々に行われていた様々な音楽様式に接し、それらを吸収したうえでモーツァルト独特の個性的な作風を完成し、ウィーン古典派様式を確立した。

代表作「レクイエム」

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近代
1800年〜1900年
18世紀末は二つの革命、フランス革命で市民は自由・平等・博愛を理想とする社会を打ち立て、その後イギリスには産業革命が始まり、近代社会への発展をみる。
フランス革命は現代の大衆社会を形成するきっかけとなったし、産業革命は大量生産を可能にして物質的に豊かな社会を約束した。19世紀は正にこうした革命による、大きな価値転換の時代だった。
美術では自由に個性を主張し、次々と新しい様式が生まれる。
音楽では「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン(音楽の楽聖)」
建築では「アントニオ・ガウディ」
彫刻では「オーギュスト・ロダン」
【建築:サグラダ・ファミリア(聖家族教会)】
【彫刻:地獄の門】
古典主義 印象派
ロマン主義 アール・ヌーボー
自然主義 その他
写実主義 彫刻

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン (56歳)
Ludwig van Beethoven
1770〜1827

「ドイツ生まれ、ウィーン古典派の頂点を示した大作曲家」

その楽才は世界的に知られている。
ベートーベンの最大の業績は、それまで声楽より劣るものと考えられていた器楽を、高い水準に引き上げたことである。
ベートーベンの器楽作品では、感情の激しさと、それまでは想像すらできなかった構造の完全さとが結合している。
ベートーベンは先達から受継いだ音楽形成を、オペラと歌曲を除いて飛躍的に発展させた。

代表作「交響曲第9番ニ短調《合唱》」

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渡辺 崋山 (49歳)
Kazan Watanabe
1793〜1841

{江戸時代・写生画}

「江戸麹町半蔵門外の藩邸生まれ、幕末の文人画家、蘭学者」

崋山は極貧のうちに幼少を送っていたが、彼の画才を認めた同藩士のすすめによって画を学び、家計を助けようとしたのが彼が画家を志した直接の動機であった。
彼は初めは写実的な画法を学んだが、30歳前後から洋画のリアリズムにひかれ、早くから民衆画とも親しみ、文人画の精神との調和をはかり、彼独自の画風を生んだ。なかでも肖像画に優れ、花鳥画も描いた。
しかし「安政の大獄」によって1841年(天保12年)10月11日、獄中にて自決した。49歳であった。

代表作「鷹見泉石像」

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オーギュスト・ロダン (77歳)
Auguste Rodin
1840〜1917

{近代美術・彫刻}

「フランスのパリ生まれ、フランスの彫刻家」

偉大なる彫刻家であり、最も著名な芸術家の一人。
存命中にこれほどの名声を得た芸術家はロダンを除けばごくわずかしかいない。
ロダンはおよそ50数年の共同生活の後、二人とも死去する年に結婚することになった女性、ローズ・ブーレと、彼の弟子であり、共同制作者であり、彼の霊感の源泉であった、カミーユ・クローデルの二人の女性との間に、彼特有の愛情関係が繰り広げられたのは、あまりにも有名である。

代表作「地獄の門」

[発言]
深く、激しく、真実を語りなさい。世の中に受入れられている考えと対立しても、感じることを臆せず表現しなさい……
大事な点は、感動すること、愛すること、希望を持つこと、心を震わせること、生きることである。芸術家である前に人間であれ!

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アントニオ・ガウディ・イ・コルネト (73歳)
Antonio Gaudi y Cornet
1852〜1926

{近代美術・アール・ヌーボー}

アール・ヌーボー=モチーフを主に植物の形態に借り、曲線・曲面を用いて装飾的・図案的に表現した

「スペインのレウス生まれ、カタルニアの人、建築家」

1869年、建築学校の課程を受けるためにバルセロナに定住する。
1883年、「サグラダ・ファミリア(聖家族教会)」の仕事を監督することを受け入れ、生涯をその建築に捧げる。
近代・現代を代表する最も著名な建築家であり、その作品はヴィジョンにあふれ、当時ともすれば過去の諸様式の模倣が氾濫する中で特異の才を放っていた。
また、ガウディの作品は、彼の全ての学識、哲学、深く謙虚な信仰、すなわち彼の全人格を鋳込んで、なおも独創的である。
同時に、彼の建築は特にその代表作である「サグラダ・ファミリア(聖家族教会)」に見るように、その芯となる位置に、ゴシック様式とその対極にあるギリシャ様式の融合を見ることができると言われている。
1926年6月7日月曜日、彼はひとりの年老いた乞食として、ラス・コルテス・カタルーニェス通りで市街電車にひかれ、3日後に死亡した。

代表作「サグラダ・ファミリア(聖家族教会)」

[発言]
信仰をもたない人は精神的に欠陥のある人であり、手足を切断された人である。
遠く 巨人のような羊歯のあいだに
大理石に大理石を積み重ねた
アルプスのピラミッド
その立石と塔の広い額が 白い姿を見せ
その頂は 天を窺うもののようだ
(カタルニアの詩人、ジャシン・バルダゲー「アトランティダ」より)
疑う者は無知である。
私は人が死んでいくのを見れば見るほどますます霊魂不滅を信じる。
彫像は行動の一瞬ではない。それは完全な要約された行動である。
…あなたは建築のダンテだ…
(テゴネシ枢機卿の言葉)
…どのように、天使は大聖堂を造るのか…
(サルバドール・ダリ談)

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現代
1900年〜
20世紀初頭、美術・彫刻など各分野にフランスを中心に全ヨーロッパに生まれる。
建築やデザインでは新しい素材の開発によって機能的合理的な構造で、人々の生活を便利にした。
20世紀絵画は新しい視覚的体験の模索の連続だった。形も色彩も、描かれているものを再現する役割から自由になり、多彩な造形理念を掲げる前衛芸術運動グループによってそれぞれ新しい意味が付与された。
現在、芸術の表現は多様化し、色々な考え方の作品が次々と生み出されている。(一例として「ノーマン・ロックウェル」のイラストレーション、「アンディ・ウォーフォル」のポップアート、「ビートルズ」の誕生とその音楽など)さらにテレビ放送に代表されるメディアのスピード化や普及によって、これまでの芸術の理念ではとらえきれない、全く新しい表現形式の模索も続いている。
音楽では「グスタフ・マーラー」
【音楽:大地の歌】
【絵画:記憶の固執】
フォーヴィスム 抽象主義
キュビスム 超現実主義
表現主義 その他
エコール・ド・パリ 今日の美術


ダダ|Dadaism
第一次大戦中、及びその直後に生じた虚無と幻滅の気分を最も強く反映し、非合理、幻想、アイロニーを武器として、社会的にも美学的にも因襲や権威の全てを嘲笑し、破壊しようとしたもの。

芸術家のみが、ほんとのところ、賢人さ。人に対して率直、あけっぴろげでさ。で、芸術の作品というものは、見る人から審判されるんじゃない。逆に、見る人が鑑定されている。このことは、時がくりかえし証明しているよ。芸術という通りに、技工の名手は多いね。でも、夢想を現実化するてあいは少ないよ。
ダダの画家で写真家、マン・レイ談


メセナ|Mécénat
(フランス語)語源:ローマ・メセナス文化大臣
企業による文化芸術活動に対しての後援・資金支援を行うこと。

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グスタフ・マーラー (50歳)
Gustav Mahler
1860〜1911

「ボヘミアの小村カリシュト生まれ、オーストリアの作曲家、指揮者」

ロマン派の後継者であり、19世紀末から20世紀初頭に登場した新しい思想、哲学に翻弄される魂の行方を探求する放浪者でもあった。
それはマーラーがユダヤ人として背負った宿命的なものを暗示して興味深い。
マーラーの音楽には、深い知性と生命へのあくなき讃歌、より高い精神への憧れ、そして恐れと不安が共存している。それは正に20世紀を象徴していると同時に、人類の未来さえ洞察している感がある。

代表作「大地の歌」

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パブロ・ピカソ (91歳)
Pablo Ruiz y Picasso

1881〜1973

{現代美術・キュビスム}

キュビスム=対象を立体の組み合わせのように分解して、そこに感覚的な感覚を盛り込もうとした

「スペイン南部マラガ生まれ、フランスで活躍した画家、彫刻家、版画家、陶芸家、舞台装飾家」

合計約25,000点の作品を残した美術史上稀に見る巨人

代表作「ゲルニカ」

ゲルニカ|Guernica
ナチス・ドイツ軍がスペインのバスク地方の小さな町ゲルニカを攻撃・全滅し、スペイン人のピカソは深く悲しむと同時に強い怒りを感じ、これを描いた。
傷ついた者達、苦しむ者達、悲しむ者達の姿を描き、そして自分の怒りを立ち上がる一頭の雄牛として描いている。
[発言]
私の場合は、創造はまず熟視することから始まる。
私には何よりもまず長時間かけて物を見ることが必要である。

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ヴィルヘルム・フルトヴェングラー (68歳)
Wilhelm Furtwangler

1886〜1954

「ドイツのベルリン生まれ、指揮者」

指揮者界の巨匠中の巨匠。
ベートーベンを除いて彼の芸術は語れない。
神の次にベートーベンを置き、ベートーベンの人間と音楽を心から尊崇し、レコーディングのほとんどをベートーベンで占めている。
聴き手を引き付ける魔力を持った英雄的な指揮者。

代表作「交響曲第9番ニ短調《合唱》バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団〈1951年ライブ盤〉(東芝EMI)」

[発言]
指揮者は英雄でなければならない

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ノーマン・ロックウェル (84歳)
Norman Rockwell
1894-1978

「ニューヨーク生まれ、アメリカを代表するイラストレーター」

古き良きアメリカをユーモアとペーソスたっぷりに、誰もが見慣れた風景や人物を深い愛情や優しさをもって表現し、非常に人間味があり、今なおアメリカで最も親しまれ続ける人気のある画家。
「サタデー・イブニング・ポスト」誌、「ルック」誌の表紙を描く。
1977年、フォード大統領より国民として最高の栄誉である「メダル・オブ・フリーダム」を受賞。

代表作「ランナウェイ」

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サルバドール・ダリ (84歳)
Salvador Dali
1904〜1989

{現代美術・超現実主義(シュルレアリスム)}

超現実主義=理性と論理の世界から外れ、むしろ人間の心の奥底に潜む得体の知れないイメージを表面化させようとした

「スペイン東北部フィゲラス生まれ、現代絵画の巨匠」

先輩画家のパブロ・ピカソ、詩人のガルシア・ロルカ、映画監督のルイス・ブニュエルから刺激を受け、自己の視野を広げた。
1929年以降、超現実主義(シュルレアリスム)運動に参加した早熟で才気に満ちた特異な芸術家。

代表作「記憶の固執」

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岡本 太郎 (84歳)
Taro Okamoto
1911〜1996

「川崎市高津区生まれ、画家、彫刻家、版画家、書家、モニュメント、評論、エッセイ、その他」

時代に先駆けて絶えず新たな挑戦を続けてきた先駆者であり、天才芸術家。
「芸術は爆発だ!」は言わずと知れた名言。

代表作「太陽の塔」

[発言]
本職?そんなのありませんよ。バカバカしい。
もしどうしても本職って言うんなら「人間」ですね。

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アンディ・ウォーフォル (58歳)
Andy Warhol
1928〜1987

「ペンシルバニア州ピッツバーグ生まれ、アメリカのポップアートの代表的存在」

1947年、「グラマー」誌に最初のイラストが掲載される。
1963年、「ファクトリー」設立。
以後、美術、音楽プロデュース、映画制作等、幅広く活躍し、時代の寵児となる。

代表作「マリリン・モンロー」

マリリン・モンロー|Marilyn Monroe
アメリカの有名な女優の顔を、色を変えて表してありますが、どれが彼女の本当の顔なのでしょうか。
[発言]
ビジネス(アート)は、大文字で書かれた芸術(アート)の次のステップだ。僕は商業アーティストとして出発したが、ビジネス・アーティストとして仕事を全うしたい。いわゆるアートとか何とか呼ばれているものをやったあとで、僕はビジネス・アートの世界に飛び込んだ。アート・ビジネスマン、いやビジネス・アーティストになりたかったのだ。ビジネスがうまくいくというのが、もっとも魅力的な種類のアートなのだ。

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スタンリー・キューブリック (70歳)
Stanley Kubrick
1928〜1999

「ニューヨーク生まれ、映画監督」

「スパルタカス」「博士の異常な愛情」「時計じかけのオレンジ」「フルメタル・ジャケット」など制作
自らの満足を徹底的に追求する完全主義者

代表作「2001年宇宙の旅」

[発言]
言葉による説明を避け、音楽のように直接無意識に達する視覚経験をつくり出そうとしてきた。哲学的な意味をどう考えるかは観客の自由だ。
みんなが彼を真似ようと思った。彼はだれも真似しなかった。
(スティーブン・スピルバーグ談)

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ジョン・ウィリアムズ
John Williams
1932〜

「ニューヨーク生まれ、映画音楽作曲家、指揮者」

1980年1月、ボストン・ポップス・オーケストラの音楽監督、常任指揮者に就任。主にスティーブン・スピルバーグの映画音楽を作曲。「E.T.」「ジョーズ」「未知との遭遇」「インディ・ジョーンズ」「ジュラシック・パーク」など他多数。彼が作曲した映画音楽は70曲以上あり、アカデミー賞にノミネートされること30数回、オスカーも5度手にしており、「スター・ウォーズ」のサウンドトラック・アルバムは、ノン・ポップのアルバムとしては史上最高の売り上げを記録した。
ジョン・ウィリアムズは二つの交響曲の他、コンサート用の作品も書いている。
また、1984年のロス五輪、1996年のアトランタ五輪の音楽監督も務めた。
因みに、彼は基本的に映画音楽を録音する際、音楽がシーンの変化や画面の雰囲気と完全に一致するよう、オーケストラは映画を映している大きなスクリーンの前に陣取り、彼はスクリーンの映画を見ながら指揮するのである。

代表作「オリンピック・ファンファーレ&テーマ(1984年ロス五輪大会テーマ曲)」

[発言]
映画音楽の申し子というべきジョン・ウィリアムズに敬意を表したい。ジョンは、私と一緒に作ったすべての映画をさらにすばらしいものにしてくれた人である。(中略)ジョンは私の中にいる詩人である。そして彼が外に出て来るたびに、私の映画をよりすばらしいものにしてくれる。映画と音楽においては我がパートナー、人生においては我が友、それがジョンである。
(スティーブン・スピルバーグ談)

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渡辺 貞夫
Sadao Watanabe
1933〜

「栃木県宇都宮市生まれ、ジャズマン・サックス奏者」

今や世界中で活躍し、世界中を旅する渡辺貞夫。通称「ナベサダ」
高校卒業後単身上京し、進駐軍キャンプやジャズクラブでの演奏を通じて、次第にその才能が認められるようになる。
1962年、バークリー音楽院留学のため日本から飛び出す。本人としてはいつ帰れるか分らない決死の旅立ちであった。
1980年、ジャズ・ミュージシャンとしては初の日本武道館公演を行う。
90年代、子供達とのふれあいや、チャリティ・コンサートといった社会的活動も積極的に行う。
世紀が変っても「ナベサダ」は変らない。音楽と人と自然を愛する姿勢は、歳が加わる毎にその強さを増し加えている。その人懐こい「ナベサダ・スマイル」と音楽は、ますます輝き続ける。

'84年
4月 「第1回宇都宮市民栄誉賞」受賞
'86年 2月 「第36回芸術選奨文部大臣賞」受賞
'88年
5月 「ロサンゼルス名誉市民賞」受賞
'95年
2月 「東京都民文化栄誉賞」受賞
'95年10月 「第10回国民文化祭・とちぎ'95」で栃木県の中学生達と共演
'95年
11月 「紫綬褒章」受章

代表作「RENDEZVOUS」

[発言]
いつでもどこでも美しい瞬間ってあるもんだよ

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ジョン・レノン (39歳)
John Lennon
1940〜1980

「イギリスのリバプール生まれ、ミュージシャン、「The Beatles」のメンバーでリズム・ギターを担当」

ジョン・レノンと彼の仲間(ポール・マッカートニー(ベース)、ジョージ・ハリスン(リード・ギター)、リンゴ・スター(ドラムス))を含めて、現代が生み出した寵児。
愛と平和と美のメッセンジャーとして時代と民衆に祝福され、静かではあるが偉大な役割を終え、衝撃的な形で帰天したことはあまりにも有名である。
彼は有名無名のおびただしい殉教者の一人として、末永く人々に語り続けていくであろう。
没後20年以上経った今も、彼を慕う巡礼者の群は絶えることがない。

代表作「イマジン」

[発言]
本当の音楽は、向うからやって来る。天上の歌声は僕とは関係のない存在だ。僕はただ、それを伝える回路にすぎない。自分がまるで媒体になったように伝えるだけだ。それだけが、音楽から得られる唯一の喜びなんだ。(中略)自らすすんで関わって、あたかも天才のように何かを創造しているんだとか、自分が創造したものには、自分の権利があると主張したとたん、それはゴミ同然になってしまう。

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宮崎 駿
Hayao Miyazaki
1941〜

「東京都文京区生まれ、アニメーターの中のアニメーター」

1940年代前半に生まれた日本人の魂の底にある原風景の代弁者。
この世代の人間は、終戦直後の民主教育の洗礼を受けながら、戦中を生きた大人達の懐古談を寝物語に聞きながら、幼年期そして少年期を過ごした。
ラジオから流れる「尋ね人」のアナウンサーの声を知っているし、胸をときめかせて入った映画館では、本編の合間に復員兵や、引揚者のニュース映像を見て育った世代。
実際の戦争は知らないが、戦争を背中に感じている世代でもある。
宮崎作品のたぐいない美しさと、詩情、そして生命への慈しみは、そんな世代の原風景を彩るセピアトーンがなぜかちらつく。
かつてあり、やがて失われていく日本という美しい国の最後の記録者でもある。

代表作「千と千尋の神隠し」

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スティーブン・スピルバーグ
Steven Spielberg
1947〜

「オハイオ州シンシナティ生まれ、映画監督」

「ジョーズ」「未知との遭遇」「E.T.」「プライベート・ライアン」など制作
ファンタジーからシリアスまで広範囲にわたり第一線で活躍中
映画制作会社「Amblin」・映画配給会社「ドリームワークスSKG」設立者、及び「シンドラーのリスト」の撮影後、私達があの時代を忘れることがないようにと、他の人々と共同で「ホロコースト生存者映像歴史財団」を設立した。
最近では、テレビドラマ「バンド・オブ・ブラザース」をトム・ハンクスと共に制作。このドラマは「プライベート・ライアン」の制作準備中に、主演トム・ハンクスと共に制作を思い立ったというもので、「プライベート・ライアン」だけでは描ききれなかった、もうひとつの「プライベート・ライアン」だと言える作品である。

代表作「シンドラーのリスト」

[発言]
大人になっても子供の心を忘れないでほしい
映画を見ていて、自分がどこにいるのか、まわりで何が起こっているのかもすっかり忘れてしまって、自分がほとんど映画と一体化したように感じられたら―テクニックやカメラ・アングルとかもいっさい忘れて―それは良く出来た映画だと言える。

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坂本 龍一
Ryuichi Sakamoto
1952〜

「東京都生まれ、作曲家、ミュージシャン、「Y.M.O.」のメンバー」

幼年期から譜面やピアノなどの音楽教育を受け、早くも作曲を行う。
小学5年生から芸大教授、松本民之助につき本格的に作曲の勉強を始める。
東京芸術大学音楽部作曲科に進学。
1978年、1stアルバム「千のナイフ」をリリ−ス。
そのレコーディングを期に細野晴臣らと親交を深め、「Yellow Magic Orchestra」を結成する。「Y.M.O.」としては1979年5月、アメリカでリリースされた後、同年7月に海外から逆輸入という形で日本で人気に火が付き始め、9月25日、2ndアルバム「SOLID STATE SURVIVOR」によって全国的知名度を得る。日本中が「Y.M.O.」ブームで盛り上がっていた頃、既に三人(坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣)はワールド・ツアーを行っていた。「Y.M.O.」の他のメンバー二人の存在も無視できない。高橋幸宏はイギリスで絶賛された、高中正義・後藤次利・加藤和彦・小原礼など率いる「サディスティック・ミカ・バンド」のメンバーであったし、細野晴臣は日本語ロックの基礎を作った稀有で偉大なバンド、松本隆・大滝詠一・鈴木茂らによる「はっぴいえんど」のメンバーであった。
坂本龍一は「Y.M.O.」人気が最高潮に達していた頃、1983年、大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」に出演。音楽も担当する。それぞれが新たな方向性を見せ始めることで活動を停止。しかし同年、日本武道館で“散開”する。
その後、出版社を起こしたり、映画、ソロアルバムのリリ−スなど積極的に創作する。
1988年、映画「ラストエンペラ−」で、アカデミ−賞、グラミ−賞等を授賞。
1992年、バルセロナ五輪の開会式の音楽を務める。
現在、創作活動と並行して彼の呼びかけで、文字通り、「地雷ゼロキャンペーン」といった社会的活動も行っている。
通称「教授」

代表作「千のナイフ」

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高見沢 俊彦
Toshihiko Takamizawa
1954〜

「埼玉県蕨市生まれ、ミュージシャン、シンガーソングライター、「THE ALFEE」のリーダー」

「THE ALFEE」(以下「アルフィー」と表記)の楽曲全てを制作する。
彼自身、小学校時代はビートルズに傾倒しており、青年期から音楽的要素はどちらかといえばハード・ロックに傾倒していた。
両親は教師で、特に父親はミュージシャン(タレント)デビューに反対していたが、後に述べる再デビューシングル「ラブレター」を密かに大量に買い込んでいたという涙ぐましいエピソードがある。
彼は明治学院大学へ進学し、そこでアルフィーの母体となる「CONFIDENCE」として活動していた桜井賢と坂崎幸之助と出会い、彼も「CONFIDENCE」に仲間入りすることになる。その頃「CONFIDENCE」は既にそれなりの実績があり、レコード会社からプロへの誘いを受けて、プロデビューを決意する。名前も「ALFIE」に変えさせられ、1974年8月25日、他人の書いた曲「夏しぐれ」でデビューする。しかし当時はフォーク(フォーク・グループ)がブームで、自分達の思い描いていた音楽性との違和感を感じながら、3rdシングル「府中捕物帳」が突然発売中止になることをきっかけに、アルフィーはレコード会社との契約を解除した。その後は「研ナオコ」や「かまやつひろし」のバックを務めながら細々と活動を行い、1979年1月21日、レコード会社も名前のスペルも「ALFEE」に変えて完全オリジナル作品の「ラブレター」で再デビューを果す。
彼はビートルズに例えられる人類にとって不変のテーマ、「LOVE&PEACE」の心を継承しつつ、世界を知り、歴史を知り、現実の壁や、未来への希望を抱いている。アルフィーは今の日本を代表するメッセンジャーである。
アルフィーにはモットーがある。「初心を忘れない」「ファンを大切にする」ファンを大切にするからファン教育まで行う。例えば「ノル時はノル。聴く時は聴く」公演が終了しても会場にはゴミ一つ落ちていないというように徹底している。
'70'80'90'00年代と四つの時代をまたがって活動している国内唯一のグループであるアルフィーには元祖がいくつかある。一つ目は年に一度のビッグイベントの元祖。しかも毎年連続で行っているグループは世界中に他にはいない。1982年の「所沢航空記念公園」公演から、2003年「みなとみらい21」公演で、連続22回目を迎えた。二つ目は連日続けて行うコンサート、「◯DAYS」の元祖。三つ目は観客10万人以上のコンサートの元祖。その他、今のお台場周辺(東京湾岸地区)を「ベイエリア」と言うが、その名付け親は高見沢俊彦である。
アルフィーが特種なのは、メンバー三人がリードボーカルをとることである。しかしヒット曲に恵まれるまでは長かった。1983年6月21日発売の「メリーアン」がヒットし、全国的知名度を得る。この「メリーアン」のボーカルは桜井賢であり、次にヒットした「星空のディスタンス」のボーカルも桜井賢である。その次の次にヒットした「恋人達のペイヴメント」のボーカルは高見沢俊彦であり、その次にヒットした「シンデレラは眠れない」のボーカルは坂崎幸之助である。今紹介した四曲はオリコンチャート一位になっている。このような特徴的なグループは世界的にも珍しいのではないだろうか。
1986年、名前を「ALFEE」から「THE ALFEE」に変える。
そしてアルフィーの音楽性は幅広い。フォーク、ポップス、ハード・ロック、プログレッシブ・ロック、ブルース、ユーロビート、組曲など。この音楽性について県立宮城大学では「アルフィーの作品と特徴を分析する」という授業も行われている。その音楽性の豊かさから、ロンドン交響楽団やロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団などと共演、クラシック音楽との融合や、デイヴ・ロジャース・プロジェクトとの共演、ユーロビートのアルフィー作品などを制作する。
アルフィーとしての活動の裏で、アンチアルフィーと掲げる「BEAT BOYS」の活動も行っている。「BEAT BOYS」はアルフィーを嫌い、演奏はしないで振り付けしながら歌だけ歌う。まるでダダイズムを彷彿とさせるようで興味深い。
アルフィーは先に述べたビッグイベントの他に、1998年、ニューヨークから日本を代表するグループとしてコンサートの依頼があり、ニューヨークの「フォレストヒルズ・スタジアム」で公演。翌1999年にはドイツからの招待で、ベルリンの「ブランデンブルク門の前の特設ステージ」で公演を行い、海外でも評価された。
アルフィーは今、デビュー30年目である。しかし彼等はまだ休む事を知らない。

代表作(選択不可)

[発言]
コンサートに来た人を現実の世界から離れた遠い所に連れて行ってあげたい。自分達の音楽を支持してくれる人に何かを返してあげたい。アルフィーを選んでくれた人に最大限のウェルカムという気持ちが基本。
孤独なのは決して自分だけではない。そう思いはじめたのは、いろいろな人との関わり合いの中で、未熟な自分を見つけ出した時からだ、特に、坂崎や桜井と出逢ってからは、特に強く感じ始めた。一人では絶対出来なかったことを、僕等はやってきたような気がする。そして、あきらかに昨日と違う自分に近づくには、時には重い心は捨てて、明日へ速やかにJUMPすることも必要なことだろう。すべては、生きているからこそなのだ。
愛とか恋とか自由。自由の形を歌ったり喋ったりしてきたような気がします。そういった自由がまだなくて、それに対して戦っている国もこの地球上にはまだあるという事を認識してほしいな、という気がします。何のために戦うか、自由のために戦うという事が僕らの国ではないですよね、だから違うもののために戦わなければいけないんじゃないかな、という気がします。まぁ、現実の壁とか色々あるとは思いますけど、その中で戦って、自分なりの自由とか、色々なものを勝ち取ってほしいなと思います。
音楽を聴く側の姿勢が変ってきたと思う。分化への影響力というか、僕らが思い描いていた大人と今の大人って、音楽への接し方とか、音楽に関しての関わり方とかって多少違うと思う。そういう意味で70年代の音楽が影響を与えてる部分って結構あるんじゃないのかなあ。音楽では時代は変えられないと思っていたけれど、大統領が変ったり、戦争がなくなったりとか、そんな大袈裟なものじゃないけれど、多少は変えられるのかなあって、今は思ってる。
(坂崎幸之助)
継続するとか同じテンションを忘れないでやり続けるっていうのが、一人でも難しいのに、三人という仲間でやっていくっていうのは大変なことだと思うし、そのエネルギーとかバイタリティには心から敬服する感じです。(中略)アルフィーが同じように元気で同じようなテンションでステージを続けていただけるように、陰ながら応援しています。
(吉田拓郎談)

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片岡 鶴太郎(本名:荻野 繁雄)
Tsurutaro Kataoka
Real name:Shigeo Ogino
1954〜

「東京都西日暮里生まれ、タレント、俳優、画家、書家、陶芸家、プロボクサー」
「生涯素人」という哲学を持ち、美術と俳優との相乗効果を発揮、バイタリティ溢れる一流マルチタレント。
俳優としては日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、毎日映画コンクール新人賞、キネマ旬報助演男優賞、ブルーリボン助演男優賞などを受賞。

代表作(未完の大器)

[発言]
僕が求めていく絵は、どういうふうに進歩できるかというと、自分という人格を磨いて、哲学を深めていく、というところにしかないわけです。人格を高めるための具体的な方法論というのはありませんが、逆に言うと、日々の生活のすべてがそこにつながっていると思います。

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マイケル・ジャクソン
Michael Jackson
1958〜

「インディアナ州ゲイリー生まれ、ポップ・ミュージック界の帝王」

彼の重要性は万人の認めるところだろう。
「グラミー賞」の政治の良し悪しは別にしても、他のミュージシャンを上回る、多数にわたるグラミー賞ノミネート・授賞と、アルバム「スリラー」のギネスレコードによってそれを証明している。
作品としては「今夜はビート・イット」において当時人気絶頂だった「VAN HALEN」のギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンのギター・ソロをフィーチュアし、同じく「BLACK OR WHITE」においても「GUNS N'ROSES」のスラッシュのギターをフィーチュアするなど、革新的な試みの作品も制作する。
そして特出すべきことは、「USA for AFRICA」という非営利団体に収益金全てをプールする「We Are The World」への参加活動だろう。
確かに彼は真のエンターテイナーであり芸術家である。そして名声や富を得た。
しかし名声や富と引き替えに、群集的好奇心、群集心理という暴力の大いなる代償が付きまとう。だからこそ孤独という暴力が襲ってくる。そして彼は名声と引き替えに、孤独を選ばされた悲劇の芸術家でもある。

代表作「HEAL THE WORLD」

[発言]
遠いけれど近い国への関心を呼び起こすラヴ・ソングです
(「We Are The World」について)
みんなは、僕のことを知っていると思い込んでいる。でも、それは違う。誰も、本当のところは知らないんだ。僕は、世界中で一番孤独な人間の一人だ。時々、あまりの辛さに泣くことがある。本当に、辛いんだ。そう、僕であることが辛いんだよ…。

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● 芸術の分類

空間芸術
絵画・彫刻・建築
時間芸術
音楽・詩(文学)
時空間芸術
演劇・映画・舞踊・TV

三つ以上の要素を持つものを「総合芸術」、単一要素のものを「純粋芸術」という

空間芸術 時間芸術 時空間芸術
二次元 三次元
絵 画
グラフィック
装 飾
彫 刻
建 築
工 芸
音 楽
詩(文学)
演 劇
舞 踊
映 画
静 止 運 動

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● 五大芸術

  1. 絵 画  :(空間芸術・二次元・静止)
  2. 彫 刻  :(空間芸術・三次元・静止)
  3. 建 築  :(空間芸術・三次元・静止)
  4. 音 楽  :(時間芸術・運動)
  5. 詩(文学):(時間芸術・運動)
  1. 舞 踊  :(時空間芸術・運動)
  2. 工 芸  :(空間芸術・三次元・静止)
  3. 演 劇  :(時空間芸術・運動)
  4. 映 画  :(時空間芸術・運動)
  5. 放 送  :(時空間芸術・運動)

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「芸術も人生も環境に従うもの」

つまり芸術とは、視 覚・聴 覚・想像感覚・諸感覚の結合によるものであり、芸術も人生も、その時その時に自分の置かれた環境の中で、ベストを尽くすことだと思われる。
なぜなら作品制作にベストを尽くさない者は芸術家とは言わないからである。
芸術家は、映画であれ彫刻であれ絵画であれ、「一種の物」の形を得るまで、フィルムを回し、ノミを振い、画筆を走らせる。
そしてある心の了解に達し完成した瞬間に、自然物の仲間に入り、永続する物となり、作られた物が作った者に働きかけ、作られた物が作った者を超えて生き永らえる性質を持つ。
つまり芸術作品は単なる「物体」ではなく、「生命を得た物」なのだ。
そしてその生命を得た作品は、我々に訴えかけ、また、引きずり込もうとさえするのだ…。
その根底に、人間の最も崇高で深遠な思想であり哲学である、「眞」「善」「美」が深く根付き、芸術とそれを生み出す芸術家に、至高の価値を付与しているものと信じたい。
芸術は人間の「生」の激しい自己主張なのである。
ニーチェの肖像 人間のみが美しい、人間の生の充溢こそが美である。
人間のみが醜い、人間の生の退落こそが醜である。
ニーチェ
芸術は人間を永遠にまで興し立て完成させる業に違いない。

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…参考文献…

「ブリタニカ国際大百科事典」(株式会社ティビーエス・ブリタニカ)
「現代美術のキーワード」(ロバート・アトキンス著/美術出版社)
「西洋絵画史入門」(諸川春樹著/美術出版社)

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衆知の通り時代は絶えず流れており、なかなか明確な線は引けませんが、なるべく学術的・文献的に、そして客観的に明示することに努めました。が、多少なりとも私の主観を感じたり、不足・蛇足や、何か間違いがあった場合は御了承下さい。
また、このような堅苦しいページを最後まで御覧下さり、誠にありがとうございました。

制作 渡辺純也(芸術学履修済)
協力 渡辺晃吉
禁無断転載


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