『両毛』のご紹介
<Introduction of RYOMO>

Introduction of RYOMO
栃木県と群馬県の県境をはさんで隣接する
足利市・佐野市(栃木県)・太田市・桐生市・館林市(群馬県)
の5都市とその周辺を『両毛(りょうもう)』地方と呼び、古くから文化、経済を共有し、人的交流を密にしてきた歴史がありました。

その中で足利市は廃藩置県の折に足利県として県庁も置かれましたが、その後返上して栃木県に編入されたという経緯のあるところから、行政面は別として、ある種の独立意識が根強く残っているようです。
その上、日本最古の大学「足利学校」の存在や、室町幕府の開祖足利尊氏の始祖の地が両毛の地であった点などが、独特の両毛人気質を育てる源になっているかもしれません。
また、両毛地方はかなりの規模の古墳群が点在するところから、中央とは別の強大な勢力がかつて存在した地であったことも想像され、興味が尽きません。

両毛地方は現在国道50号線に沿って結ばれ、JR両毛線と東武伊勢崎線が走っていますが、昔は、渡良瀬川、利根川、江戸川経由で江戸に至る水路が発達して、千石船や百石船が水面に浮かぶ様子が、明治の中頃まで見られたそうで、桜の季節などは実に美しい風景であったと聞いております。

中山道が碓氷の峠を下って高崎に至ったところで江戸に向かう本道から、一本の特別な街道が分かれて南下し、現在の太田市を抜けて足利の南を通り、館林の北から渡良瀬川を渡り佐野に入り、栃木、鹿沼を経てやがて日光に至ります。
朝廷からの勅使が日光参拝のために往復した例弊使街道です。
街道は足利に入り、八木宿という宿場を通るのですが、この宿場にあった遊郭の女性の一人が口ずさんでいた口説き節を聴いた源太という馬方によって八木節が誕生することになります。
戦後、八木節はリカルド・サントス楽団が世界中に紹介したことで、国内でも一層有名になり、日本を代表する民謡の一曲となりました。
「アオよ勇め!アオよ勇め!」 ……… 馬を励ます源太の掛声はやがて曲の中で「オーイサネ」という合の手になったと、これはもはや伝説でしょうか…。
例弊使街道は両毛の地の風土にとって大きな意味を持つ存在でした。

先にふれた渡良瀬川は利根川の支流ですが、足尾山地に源を発し、桐生の地ではいまだ峡谷の風情を残しながら、足利に至ってようやく中流域の様子を見せてきます。やがて館林に至ると、川は滔々たる流れとなり水郷の風情を見せ始めます。川漁師が今でも漁をする流域です。
かつては江戸からの物資を扱う廻船問屋が足利の緑町までの両岸の要所に船着場をもって盛んに商いをしていた頃の面影がいちばん色濃く残っている場所が、この辺りであると言われております。
陸の道がその地の背骨であるなら、水の道はさだめし血管のようなものでしょうか。

両毛地方は豊かな恵みの中でその風土を育み、それを礎に現在を築いて来ました。
今は全国の例にもれず、物の流れも人のそれも全て車に依存する時代となり、それはそれなりに今までとは比べ物のない豊かさを生んだことも確かでしょう。
それだけに、両毛の地がそこに住む人の精神にもたらしたかけがえのない豊かさと美しさをいつまでも守り残していきたいものだと思います。

[各市の公式サイトへのリンクはこちらです・両毛のウェブリング]


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